福岡海の中道大橋飲酒運転事故 10年前に起きた事件です。


幼い子供たちを連れて、かぶと虫をとりに行こうとしていた家族連れのクルマに、飲酒運転で猛スピードで追突して、家族らの乗ったクルマが橋の欄干を乗り越えて水没し、3人の子供たちが亡くなった事件です。

犯人は、22歳の福岡市職員で、追突後には、300mあまり走って現場から逃走しようとしました。
さらに、大量の水を飲んで、飲酒事故を偽装しようとしたのです。

この事件から10年経って、今年も地元では、「飲酒運転撲滅」の報道が続いています。

毎度楽々は、この報道には違うアプローチの報道が必要だと思っています。

クルマを運転していた犯人は、最高裁で懲役20年の判決でした。

飲酒運転が悪いのは、当然です。アルコールを飲んで正常な判断が出来なくなるのですから、やってはいけません。この事件以後も飲酒運転について法律が厳しくなりました。

飲酒させるお店も処罰されるようになりましたし、一緒に飲酒する人も処罰される、クルマに同乗していても処罰です。

この事件を契機に、公務員などで、飲酒事故を起こせば、直ちに「解雇」という厳しい処分が下るようになりました。

メディア報道の中で、この「解雇さけた公務員等」の人数が発表されていないのが不思議です。
これこそが、飲酒しようとする人を自制させることになるのではないでしょうか・・・

それにしても、飲酒運転は無くなりません。

これは、人間の業というか、どうにもならない点です。

メディアは、飲酒運転を無くそうとしても、無くならないと報道しますが、これは人間を知らない議論だと思います。理想を掲げるのはよいけれど、飲酒運転がないなんてことにはならないでしょう。飲酒運転よりも厳しい、麻薬なんかでもなくなりません。

この飲酒運転については、「やってはいけない事」ですから、誰も反対はできないでしょう。
こういう「正義」を振りかざすのは、真っ当なことですが、あまりにも「正義」が強調されると
人間という愚かしい動物を見失う感じがします。

キリスト教ならば、原罪でしょうし、仏教ならば「業」なのかもしれません。
宗教では、人間の愚かしい面を見てるのですが、法律とか、世論は、そういう愚かしさを認めないという面が強く出てきます。

完全なる人間はいないわけですけれど・・・

何か窮屈さを感じる毎度楽々です





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