毎度楽々の本日のメンタル状態・・・

昨夜は何となく寝てしまい、熟睡の感がありません。なので今日も5時過ぎに目覚めたのですが、そこからもう一度寝てしまい、7時くらいに起床です。

ということで安定度は80%くらいです。今日は夕方にお出かけ予定なんですが、お盆のお寺のお参りがあるとの報があり、今日は楽々1人で日中のお留守番なのでお盆にお寺にお参りに行くように変更してもらいました。ご先祖のご供養がお盆の行事ですから、過去帖か位牌を持参してお参りすることにします。

仏教のそもそもはご先祖供養があったのではない・・・日本に仏教を取り入れた聖徳太子は氏族間闘争を経験していたので何とか争いをなくす為に、「国家仏教」という形で統一した宗教を外国から移入してきたと思います。蘇我、大伴、物部など有力な氏族が国家権力を求めて争い、天皇家の皇子たちをも巻き込んでの血みどろの戦いがありましたからね。

各氏族の祭る神々は祖先神が多く・・・つまりそれぞれの祭る神様が違うわけですが、これを仏教という精緻な宗教を持ち込んで統合したのではないかと思います。

現代の私たちには、ご先祖・・・つまり自分のルーツに関わる人に対しての敬いの気持ちがあり、それを仏教という形にしているのではないかと思います。

仏教では人間の持つ四苦八苦から逃れるためのものですが、これは個人の問題ですね。生老病死の四苦なんてのはどんな人も持っているわけです。この苦痛から逃れる為にいかにするか?・・・これが宗教の大本でしょう。浄土宗、浄土真宗では「阿弥陀」さまによって悪人と言えど救われるのであるから南無阿弥陀仏と唱えることで必ず救済されると説いています。自力ではなく他力の本願によって救われるようにそもそも人生が設計されている・・・だから安心しなさいということです。


一方では、苦しみから逃れる為にはいかに生きるか?という自分の生き方を説くものもありますね。
身体を整え、気持ちを整え、毎日の生活態度を安定したものにする・・・その中に「平安」の心が生まれるというものです。

楽々が昨日書いたようなスポーツ選手のメンタルコントロールというのは後者の小乗仏教的な理解だと思います。スコアが悪くても、体調がもう1つであっても仏を信じて南無阿弥陀を唱えれば心に平安が訪れるというのではなく、いかに自分の心を知り、コントロールするか?というのは小乗的なことのように思います。

難しい話になってしまいました。

楽々もお盆にはご先祖の供養をしますし、毎日お仏飯を仏壇に供えています。何かを信じる・・・あるいは何かの教えを受けて生活を律する・・・人間である以上必要なことだと思います。

ゴルフ競技は競争ですから激しい闘争の場でもあります。それにはアドレナリンがドッと出るような興奮状態とそれを制御するメンタルコントロールがあるわけです。優勝すればまさに大興奮ですし、負ければ悔しさと後悔がつのり自分を攻め立てます。つまり感情が多いに刺激され、高く低く動くわけです。

こういう感情の動きを正しておく必要があるのでしょう。優勝の為のメンタルコントロールも必要ですが、優勝後のケアも必要だと思いますね。

日本ではあまり見られませんが、外国人選手の中には、首に架けたクルスにキスをしてティーショットする選手がいます。神のご加護を祈り自分の精神を安定させているのでしょう。日本の選手の中に「南無・・・・」と唱えてティーショットする人はほとんど見たことがありません。楽々は次のラウンドではお経を唱えてみようかな?他力本願なゴルフなんていわれるかも・・・

取り止めのない話になりました