今日は東海市の小学校でオカリナ教室。
この学校とはなかなか予定が合わず、かなり久しぶりの開催でした。
今日は私が都合で15分早く終わらなければならず、
それを伝えた瞬間、
「え???コンサートないの?それが楽しみで来てるのに!!!」
と子ども達。
「コンサートはやるから大丈夫。」と伝えたら、
「よかった~~」と。
東海市内の小学校の教室では、いつも最後の10分を利用して、ミニコンサートを伴奏音源を用いて行っています。
それが楽しみで来ている、と言われてとても嬉しいです。
そして今日、コンサート後、
「こんなの私達だけで聴くのもったいないから、みんなを誘おうよ」と子どもたち同士で話していてすごくうれしかったのと、
今度来た時に吹いてほしい曲をリクエスト頂き、
「この曲お姉ちゃんが好きだから。お姉ちゃんにも来てほしいけど、ダメだから聞いてもらえないけど、でも聴きたいから。(講座はこの学校の小学生のみなので)」
と言ってくれました。
可愛い子ども達です。
でも、
「先生、関係ないことですけど、普段もそういう服なんですか?」とフリフリワンピースの私に聞くので、
「そうだよ、普段着」と答えたら、
「すげー」
と言われました、笑
さて、オカリナ教室を切り上げて、尾張旭まで名二環をつかってぶっ飛ばし、
四季亭という中華料理屋さんへ。
娘の卒業した聖カピタニオ女子高校の、PTA奉仕部のOG会でした。
2年前に、奉仕部担当のシスター福井が提案され、
卒業後10年まで参加可という条件(増えすぎると大変だから)でスタートしたOG会。今回は第二回。
当時の仲間に会えることも嬉しいけれど、こんな時でもないと、シスターにお会いできないので、とても嬉しい。
シスター福井は、お声がとても清らかで美しく、
娘の入学式で聖書を朗読された時の声の美しさに涙が出てしまったほど。
耳がだんだんと遠くなって、奉仕部の担当を外れ、授業(確か国語科)も午前中のみ教壇に立たれているとのこと。
お体はお元気とのことですが、そろそろ補聴器を作らないといけなくなりました、とおっしゃっていました。
シスターエヴェリンはインド人。
娘の名前をフルネームで覚えていらしてびっくり。
卒業してずいぶん経つのに、あちらでもこちらでも、母親の顔を見て、娘さんの名前(フルネーム)をちゃんとおっしゃるものだからほんとびっくりです。
「ユイさん、いろいろと覚えていますよ」
と言った目の奥がきらりと光っていたので、
いろいろやらかしていたんじゃないかな~と冷や汗でした、w
シスターにお会いすると、
神社でお祓いしたみたいに、
穢れた自分が清らかになった気がします、笑
娘が海外に興味を持ったのは、小学6年の愛知万博。
中学3年になったら、東郷町(当時の住まいがあった)からのオーストラリア派遣に参加する、という夢を持ち、実現(作文選考の後の選考は、なんと2回にわたるくじ引き)
英語科のある学校に行きたいと言うも、聖カピ英語科は成績足らず。他の学校で娘の成績で行ける英語科はあまり娘に合っているとは思えず、
普通科でも海外に行く機会がある聖カピの普通科にギリギリの成績で入学。
1年の春休みにイタリア(修道会本部がイタリア)、2年の夏休みにアイルランド語学研修、秋にインド研修(修道会の学校などがある)と、3つの国に行き、
結果、「英語を仕事にしたいとかじゃなくて、海外旅行がしたいだけ」と気づき、比較的自由が利く今の歯科衛生士になりました。
歯科衛生士仲間で海外に興味がある子は娘に限らずみんなよく旅行に行っているようで、
雇用側からしたら困ったものでしょうが・・・シフトをうまい具合に調整して、
今月も、先週韓国、来週シドニーに行きやがります・・・
まあ、そういう海外に触れる機会も多くいただいた聖カピでしたが、
何より、朝夕にお祈りをすることで、自己と静かに向き合う時間を持ったり、
生徒たちには厳しいけれど、愛情を持って幸せを常に祈ってくれるシスターはじめ、先生方の愛に包まれて、
また、私もPTA奉仕部の委員として学校に何度も出向き、当時母子家庭で生活は大変でしたが、学校に来ると、そこはまるで聖域のようで心洗われる思いがし、頑張ろう、と思えるような、親子でとても幸せな三年間を過ごさせていただきました。
公立志向の強い愛知県ですが、私立高校はどこも大変努力していて良い学校がたくさんあります。大府に引っ越してから通うのは大変でしたが。。。この学校で本当に良かった、と思います。
ちなみに先ほどのシスター福井、シスターエヴェリン、
夏にコンクールに向かう名古屋駅でお会いした
シスター順子も教員です。
だからもちろん教員免許をお持ちです。
以前の校長先生(ドイツ人でイエズス会の司祭でした)がおっしゃるには、
あなたは日本へ行って教師になりなさい、と言われたらそれは絶対で、
そのために大学に一発合格し、教員免許を取らないといけないのだそうです。
当時の校長先生は上智大学。
多分、エヴェリンは南山じゃないかな~と思います。
もちろんその国の言葉も勉強しないといけないので相当なご苦労だと思います。それも神様の思し召しだからこそ頑張れるのでしょうか・・・
高校には他に、事務職をされるシスターや、高校敷地内の修道院内で食事などを作るシスターもいらして、適材適所で働いていらっしゃいました。
当時の校長先生の話では、
シスターも司祭でいらっしゃる校長先生(当時)も、
得たお給料は、食費、最低限の生活費、介護が必要になった時に(結婚できないから見てくれる人がいない)入所する老人ホームなどの諸経費などに頂いた残りは、いただいたところに寄付と言う形でお返しするのだそうで、
だからこそ、お金のために働いていないのですよ、
とのことでした。
ちなみにシスターたちが身に着けている服も、自分たちで作るのだとおっしゃっていました。
ああ・・・こうやって書いていると、
自分が欲にまみれていることを思い知らされます、滝汗
でも、本当に幸せな時間でした。