うまくいかない理由が分かった | 乳ガンでも大丈夫!今日という日を思いきり楽しもう!

乳ガンでも大丈夫!今日という日を思いきり楽しもう!

以前のブログ「ガンでも大丈夫」から引っ越してきました。36歳でステージ1の乳がん発覚。手術、抗がん剤、放射線と三大治療を受けたのち寛解。3年後に第四腰椎への転移発覚。さらに半年後胸椎腰椎5カ所に転移。優しい家族に支えられ、充実した毎日を楽しく生きています



私は母親のことが大好きである。

でもって、母も私の事が自分の次に好きなはず、である。

だが父から見ると私たちの間には

母娘の確執があるらしい。

私はただ小さい頃から

母に私のことを認めてほしい、

褒めてほしいだけなんだけど、

母はなかなか褒めてくれなかった。

それどころか他人様には

私の目の前で私の容姿、脳力、行動、言動をみそくそにクサしていた。

私のいないところでも

私の悪口ばかり言っているのを外から聞いて知っていた。

だから私は、自分のことをいつもダメな子なんだと思っていた。人間性を否定されて、子供の頃から自信なんてこれっぽっちもなかった。

だから教師免許をとったり、

資格にこだわったりした。

けど、その度に資格がナンボのもんや!

などとクサされた。

小さい頃はしょっちゅうおばに預けられて

両親は海外旅行に行っていた。

高校1年のときもヨーロッパとアメリカを横断するのに1ヶ月以上いなかったし、

おたふく風邪で迎えた小学校入学式の数日後も

2人は私を預けてハワイへ行ってしまった。

帰国延長までして悲しかった。

大学は行きたいところがあったが

京都にあったため遠いと母の大反対に合い

自宅からほど近い、

高校に附属していた大学の

母が選んだ学科へ行くことになった。

高校3年生の進学を決めるとき

毎晩夕飯前に進学先の話になっては大げんかし、

最後にはママの言うところへ行かへんのやったら学費は出したれへん!

と言われて恐らく約10日目に折れた。

私の事なのに、いつも母が選んで決めていた。

つい最近も、私の決めた通りにしてれば病気になんかならなかったはずやと言っていた。

高校のときに母の愛を疑うように不満を口にすると

「これだけお金かけたってるのに金は愛と違うんかっ!」と言われた。納得できなかった。私の望むことにお金をかけているのではなく、母がかけたい所にかけていると思っていた。

それは高校2年までの家庭教師。今も関西ではトップ校と言われる女子校に籍を置いていたが、反抗して決して必要以上に勉強しなかった。とりあえずその時の成績で行きたい大学の推薦がもらえるのに行けない、完全に意味わからん状況だった。

大人になったら、自分では何を決めるのも不安を感じるようになった。

ずっと孤独感を抱えて大人になった私は

自分の居場所を求めて

一刻も早く家を出たいと思っていた。

大学を卒業するときには、婚約を決めていた。

結婚してからも子供が生まれてからも

その不安は拭えなかった。

病気になってから、

最初は心配して診察室まで付いて来てくれた母も

病状が進むにつれ恐ろしくなったのか

いまでは抗がん剤投与初日だからついてきてほしいと頼んでも、拒否られるようになった。で、ゴルフに行く。

幾度となく私に暴言を吐いた。

はじめは、この人母親として

以前に人間としてどうなん?

という発言、行動も多くさらに母親不信になった。

そんな数年を経て、最近やっと私が

母の言動に隠された不安を

慮ることが出来るようになり

かつ此方に心の余裕のないときは

距離を置いたりして

バランスを取れるようになってきた。

ひとりっ子なので

母の投げた言葉による影響は計り知れないのだ。

だから距離感が大切なのだ。

要するにそれだけ母を求め母を愛しているのだろう。

今週は木曜から体力を使いすぎてしんどかったが
やっと本日夕方体力が回復したと感じたので早速母に連絡してみた。

はじめは互いの近況を楽しく話していたが、

そのうちまた私の行動への批判、

体を心配するあまり、あんたの命やから知らんけどとマシンガンのようなお説教がはじまり

半ば喧嘩口調で電話を切られた後に

なんでも正直に話してしまった自分を悔いた。



そうだ私がこの人に子供の頃から抱いている怒りの原因は、私が求めているにもかかわらず期待はずれの反応や言動しか返ってこないからなんだ。



ただ母の声が聞きたくて

仲良く話したいだけなのに

なんでも受け止めてほしいだけなのに

毎回電話をきる頃には

うんざりするか、がっかりするか悲しくなるか。

43年も母親やっててなんとかならんのか、

とも思うが私が母の娘を43年やってて

向こうも同じことを思っているだろう。

相容れぬ関係は

どちらかが死ぬまで続くのだろうと思う。

私はとあるヒーラーによると

前世中世ヨーロッパ時代から

母とは母娘であり、

その時の母の勝手な誤解を解くために

先だった母を追いかけて

この世に生まれてきたそうだが、

今世で分かりあうことがなければ

来世はもう母を追いかけたりしない。

一度で決めるのはどうかと思うので、

死ぬまでに10回そう思ったら

来世はそうする事にする。

(これらを教訓に娘っちには娘っちの人生を謳歌してほしい)