allaのブログ -24ページ目

allaのブログ

あまり意味のない日常のこまごましたこと。

いろんなドラマはいくつかの人生論をそこに含ませてある。


主人公の小原糸子が店を女手で立ち上げたころは戦前である。

その頃は各地の小さな街々が人々の集うところであった。

しかし、戦後、交通網が発達すると人の流れはより大きな街、都市へと集約されていくことになる。


なので、娘たちの世代になると人が才能がありなにかをしようと場を求める場合、より大きな街へ大阪さらに東京へ、さらには外国の大きな街へということになる。


高度経済成長期になると大量生産されさたものが、全国チェーンの店舗で販売されていくようになる。

個人商店から商店街、大型量販店と時代の技術の進歩にともない社会構造がかわり、ビジネスモデルもかわり仕事の仕方もかわってくる。


ドラマの随所に主人公が時代の感覚にずれていくことにとまどっている描写がひんぱんに描かれている。

戦前に洋装で女手で店を立ち上げ成功させる能力のある人である。

経営、判断力、胆力、美的なセンスや職人として腕、その他いろんな能力があったはずである。

もし戦後に生まれていたら地元は離れていただろう。

実際、娘たちはそうしている。これはあくまでもドラマである。


時代に早すぎても遅すぎてもいけない。その時代にあわせて適切に動く必要がある。

皿回しのように、つなわたりのように、自転車を乗りこなすようにそういう平衡感覚が大事である。

世間の顔色より時代の顔色をうかがおう。


主人公が壮年になったとき東京での事業に協力要請される。結局、家族のこともありその話をことわる。この選択はどうであったのであろう。能力があるだけに外に出て行ったほうが仕事としてはよい結果が出たかもしれない。器より大きな魚にはなれない。しかし、人生は仕事のみを大きくしていては育成していて失敗であり、バランスよく各方面、家族なども自己実現しないとまちがいであるというのが自己啓発の世界では総論正解とされている。よって、この選択は正しかったのであろうか。まあ、どんな選択をしても一長一短はある。



何かを捨てなければなにかをえられない。何かを得るために何かをあきらめなければならない。

選んだ道なら選んだ道を十分によいものとするようしていけばいい、というか責任もをもってそうしていかなければならないということか。

とかくよい人生は何かということに対する正解がないだけに難しい。



本にある一気にするというセオリーを置いておいて、少しづつのかたづけ。

暖かくなって再開である。冬場にさむくてできたものではなかった。


昨日は蔵の二階部分の不用品選別。選別というよりほんとうに紙屑などのごみの撤去のみである。

思い出の品や意味はないが残したいという年寄の希望に聞いたがための判断である。

本にもあるように他の人とのもの、共有物には廃棄に限界がある。また、してはいけないのかもしれない。

蔵とはためこんでなんぼという概念のものらしい、BY 年寄談。

いろんな視点が世の中にありそれを受け入れていくのが人の道でもある。



allaのブログ

そして本日は外の物入れ。押入れではなく小さな別棟である。


allaのブログ


なんだかんだで次の燃えるごみの大袋10袋はいきそうである。


予定では台所の一部の不用品廃棄選別もする予定であったが、ごみが多くなりすぎ一気には出せないの平日の夜にでもすることにする。


まだ、廃棄段階が終わっていず、ものの設置はなにもおこなっいない。

しかし、2日間それぞれ1時間30分くらいしかかかってはいない。手際がかなりよくなってきている。



サッカーが開幕した。京都サンガのファンクラブに入っていて1年に6~8試合ほど現地観戦している。

他はテレビである。


J2優勝候補にあげられながら初戦を落とす。まあ1年は長いが、負けたり勝ったりしてJ1とJ2を行ったりきたりしている京都サンガであるがまあ負けるのは毎度のことである。ただ、負けるとひどいのが特徴である。

とりあえずもう怒るとかあせるとかそんな境地でない。もうディフェンスが弱いとか、なんでフォワードがそんな疲れてるのかとか言い出したからきりがないが、まあ始まったばかりである。フォワードの久保はどうしたのだろう。昨年はびっくりするくらい冷静にシュートを決めていたのに、この試合はうまいパスを何度もしてもらってるのに何回も失敗していた。


名古屋グランパスから中東に数億円で移籍していったダビが早くも日本に復帰していて驚いた。今は甲府にいるようだ。中東のチームが気の毒でならない。


今年からJFLに降格があるのか。





Vリーグなんだが、おもに女子、東レアローズを見ている。

アローズが滋賀県に来てからケーブルテレビ等で選手紹介などをしているので現地観戦などもしている。今年はまだ行っていないが、ここ数年はたまに他府県まで行ったりして数試合は見ている。

昨年は震災の関係で途中でリーグが打ち切りとなったために煮え切らない終わり方となった。

仕方ないことなのだが。リーグを支える企業がほとんど事業を全国展開しているだろうから、当然、東北にも事業所を抱えているだろうし、この先なにがどうなるかまったく不透明な状態だったからその判断もしかたあるまい。

当時はほんとうに日本が崩壊しそうな感じすらあった。

開幕前と終盤の違いはあるが強行した感のある野球とサッカーは結果的にタフである。

もちろんプロだからやめら経営的にまわらなくなるという事情もあるが、結果的にそれはよかったと思う。


少し見るモチベーションは下がったとはいえ、とりあえず東レアローズ女子は盤石である。

数年前なら優勝できる戦力でないのに最後は優勝したりして、それはそれでよかったのであるが、強すぎるチームのファンというのは楽である。


しかし、JTはキムヨンギョンが抜けてさっばりである。けがの選手はいるもののその他の戦力ダウンはないはずである。東レがJTを追う展開であったおととしのセミファイナル、ファイナルなどはものすごい緊迫感であった。いろんなスポーツのいろんなリーグをみたが屈指の緊張感であった。豊田の現地でセミファイナルを見たがキムヨンギョンとそれを固める集められた選手たちと東レの対決は圧巻であった。


荒木、迫田、木村の代表アタッカーと同じく代表のリベロ浜口、セッター中道にオランダのエースのフリールがいれば負けるわけがない。東レは近年ないほどパワーアップしている。ファンとしてはキムヨンギョンの移籍が的チームながら非常に残念である。



allaのブログ

プロジェクターを私用と仕事用の両方の目的で購入。

テレビデジタル化からはじまり、録画機、スカパー、パソコン関連と二年計画で進めているがその一環。

最近のプロジェクターは優秀で壁ですらきれいに映る。

しかし、別途注文したスクリーンが大きすぎ。


allaのブログ
正直、えらいものを買ってしまったと一時は落ち込んだ。

100インチ用だが、重いわ設置しにいくいわ、でかすぎて圧迫感が強すぎる。

80インチのものだと上に引き上げるだけですぐに使用できるものがありそちらにすればよかったと思った。

しかも軽いらしい。


しかし、別の部屋にもっていき設置場所を決めるとそれなりに収まる。

たしかに当初考えていたように部屋やよそに持っていくことは簡単ではないが、迫力はある。


80インチのものは発売されたのが数年前のタイプだしそのうち新しい規格のものが出るだろう。

それまで待とう。スクリーンは最近、意外に安い。


この100インチは閉じても3メートルくらいの棒状にしかならず、中型自家用車に積むのも大変である。

しかも重すぎる。ネット通販ではスペックを慎重に吟味せねばならない。

まあこれはこれでよしとしよう。


秋までモバイルネットだけしか使っていなかったが、まあそろそろ光もということでネット契約。


ブログはいままで10以上作ったが続いていない。

テーマを決めてやったほうがいいかなと思っていたがすべて放置。


今回、光にしたので読んでもらうとか自己主張より、書いてひまつぶし。

人に見られるとかは気にせずにするほうがこの目的によいのかもしれない。

しかし、さすがにアクセス2件とかなると少し物思いにふけったりする。


まあ、マイペースで書きなぐろうと思う。

結果はどうでもよい。


しかし、べたというシステムは本当にやっかいだ。

放置したこともあるが、そうするとつけなくなる人もいてそれも気の毒なのでまたつけている。

営業の人が多いが、というかほとんどだが、せめて日常をたまに日記してもらってればまだいいのだが。

営業しか書いてないのもなんだが、まるで更新してない人もいる。


かといって、義理べたしょうとしたらさせないシステムを採択していたり、なんだかなと思う。


まあ、しょせん仮想現実、シビアに考える必要もないか。




あまり料理ができなかったころ、やきめしだけは得意だった。

チャーハンでもピラフでもないしょうゆ味の「やきめし」である。

ごんはを押さえつけて水分を飛ばすのがポイント。

目分量の味付けは苦手、ようするにあまり料理の才能はないのだがやきめしだけは各種調味料、具材をまぜあわせてもうまくできた。

そのなかでヒットだったのがレモン汁である。

レモン汁をしぼって、しょうゆ味のやきめしにかけて仕上げるのである。


これがうまい。うまいというか自分は好きであった。


このあいだ新聞を読んでいたらとある店の自慢料理にレモンライスというのがあった。

世の中にこういう料理が存在しているかとネット検索したらあるある。

レシピも多い。


洋食というより西洋料理のようだ。洋食というと洋風和食のことになる。オムライスもそう。

汁気を飛ばすというテクニックはオムライスの作り方を参考にしたものである。


今度、レモンライスを作ってみようと思う。



allaのブログ

先日、韓国語の学習をしている人がはじめて現地に行ったら通じずがっかりしたと言っていた。

今はふつうに韓国から来られた人と韓国語で話しておられる。

自分もアメリカに行ったときは簡単な会話なら通じるものと思っていたがいかんともしがたかった。


フランス語でいうリエゾンみたいなのをちょっと入れたほうがいいのかなどといらんすけべ心をだしたりするのでなかなか聞き取ってもらえない。


ホテルのフロントで「 アイ キャーツ アンダースタンド ホワット ユー セイ」と細かく切って発音してくれたらはっきりとわかった。意味が分かっただけにさらにつらかった。頭の中にカタカナがはっきりと思い浮かんだ。

なんだ、カタカナでいいのかと思ったりした。

あなたの言っていることはわからないと言われたのである。まあ、今から考えたら日本のホテルではぜったに言われないことだし、それはそれで親切である。


個人的な感想だがそのホテルは大きくて古かったのだが、まるで日本旅館の仲居さんや従業員のように接してくれて、ビジネスライクではなかった。適度な親近感と距離感でよい感じだった。


それ以来、カタカナ発音で話したらある程度は通じたように思う。それもあくまで自分の中学生レベルの文法知識と単語の範囲内ではあるが。


地域性によるのかコカコーラがなくペプシしかなかったので、ペプシを買おうしたが「ペーップス」と呼ばれていた。売り子さんが正しく言えるまで発音を正してくれる。というか、言えるまでペプシを渡さない。親切に矯正してくれていたのだろう。


観光地であったので外国人も多くけっこうみずしらずの自分に発音を矯正しょうとしてくれた。それもたまにではない。


ようするに、一人でうろうろしている外国人に英語やアメリカ文化を教えるのは社会の常識というよう雰囲気があるように感じた。


言葉の話に戻るが、旅行も数日たつと英語が通じるとかはどうでもよくなる。言葉は用を足すためのコミニケーションの手段の一つというドライな感じになる。そして、適当な英語と日本語と勢いで話しかけていく。一人なのでそうしないとならなかった。不思議なものでそうなると、以心伝心というかフィーリングが脳波を通じて伝わるのか、こちらのイメージしているものが相手の頭の中に伝わるようである。また、逆に相手の頭に思い描いているイメージも自分の中に描けてるくるような感じなる。人間にはそういう能力があると思う。もちろん、状況判断や表情、身振り手振りの読み取りというものもあるのだろうが。


その時は何語ができるとかどうでもよかった。


帰りころにははずかしいとかそういうことも気にしなくなり、勝手なことをまくしたてていてた。それでことたりていくのである。どこかで聞いたフレーズや教科書の言葉も乱発していたが、よくできたときは相手はことばに何もこだわらず当たりえ前の反応で用だけをたしてくれる。






この前の日曜に大きめの図書館に仕事の調べもののために本を借りに行く。

借りる冊数に余裕があったのでだんだんと興味の出てきた現代美術の本もついでに借りる。


おととしくらい今各地のまちおこしでもやっているなんとかナーレの一つを見に行ったのだが、何か感じるものがあった。


まあ、要するにクラシックなスタイルでない、近代以降の美術作品を総称してそう言うらしい。


本屋で美術コーナーを見ていたら、以下の人の本が気になった。

高畠花宴、高橋真琴、フィービー、諏訪敦。


マンガ、アニメ的なフィーリングがたぶんに含まれている。


というか、高畠花宴は戦前のマンガである。


こういうレトロ感がよい。


中原淳一なども好きである。


で、自分がどんな絵を描けるかためしてみたところこんなものである。

ネコを書こうとしたがうまくいかず違う生き物になった。


大人の描く絵ではない。


allaのブログ

先日、足裏マッサージ、リフレクソロジーに行った。

はじめていったのはもう10年以上まえだろうか。

場所がかわっていて、そこに久しぶりに行った。

古い会員証を持っていたので、びっくりされた。


台湾式が強くて痛くて、英国式がやさしく心地よい。

まあ、結局することは同じであるといえば同じである。


今回はまったくどちらの感じもなくなくてその時は感動はなし。

しかし、胃腸の調子がすこぶるよい。まったく不思議である。


もちろん何らかの心地よい感じがあるにこしたことはないが、やはり効果も大事である。


施術は個人によりもちろん技術は違うが、効果やその時のヒーリング効果もまた違う。

人それぞでれである。


年齢性別と施術者の技術ははまるで関係なし。

大丈夫かなと思う若いねーさんにもすごい人はいる。

そこそこの年輩の男性の場合でもその時のヒーリング感ものちの効果もまったく感じなかった人もいる。

ひよっとしたら相性もあるのかもしれない。


はじめて施術していただいた人は頭が疲れていて胃の調子が悪いとぴたりとあてた。

体がものすごくあたたかくなった。


とある店舗だがどの施術者が出てきてもよかったところがあった。

しかし、経営母体がかわったらいまいちになったと、あくまでも個人的に感じたところがあった。

人選びが経営者にとって大事なのかと思っていたのだが、よく考えたら経営ができたら撤退はしないだろう。

仕事のよさと経営はまた違うのか。

このへん難しい。


一度、簡単な講習でも自分で受けてみようかと思うこの頃である。

けっこううまくできるような気がする。


ちなみに絵は足の裏のつもりです。