本名の方でのカミングアウト20数回にわたって書いたもの。。
「恥の家族」というカテゴリにあるのですが。。
コチラでは何回かにまとめて更新します。
<私の人生って世の中の害?>
あるグループを追い出されちゃって。。私としては自分の人生をポジティブに捉えていて、苦労の昔ばなしって愚痴ればネガティブだけれどこんなに頑張って生きていてこれからもサバイバルするわ!ってとってもポジティブな事だと思うんだけれど、どんなにきれいごとな人生だって川の石をひっくり返せば汚いものがうじゃうじゃってこととおんなじ。もしかして途方もないくらいの重たいものをかかえていきているのに蓋をして表面だけきれいでもお掃除して押入れに何もかもごっちゃに押し込んでるのと同じ。。そのまま一生を終える人もいるだろうしそれはそれで天晴だけれど、人間ってもっと泥臭いものだと思うのよね。で、私も苦労話を少しづつだけれど途方もない分量なものだからちょっと長めに書いたらいきなりつついてくるわけでそういうのってあらし行為でしょ?一言だけ言い返して後は放置して別ページでポジティブとネガティブの捉え方を書いたら意外と賛同してくれる人が居て私としては充実したディスカッションをしていたらいきなりぶちっと画面が切れて追い出されちゃった。昔、当時の恩師(小井戸先生ではなく、歌謡曲を小学校から習っていたボイストレーナー)に相談しても大嘘つき呼ばわりされたし、大人は全部敵に見えてたし。。焼き鳥屋でなじみになって昔話をしたら二度とこの店でそんな汚い話はしないでって塩巻くわよと脅された。私が一生懸命泥臭く生きてることが害なの?ってその都度思うわけですよ。もう慣れてるけど。。アッパーパンチみたいには効くわね。。分かり合える被害者の会っていうの?そこで話せばいいのかもしれないけれどそこって世の中から排除された空間でしょ?何だか隠れキリシタンみたいで私も勝手なものだから自分が暗い時期の事は棚に上げて、暗いの苦手だし。。あ、そうそう父の介護決裂した直後被害者たちと映画を見に行ったわ。。そこでも1つエピソードがあった。。
<ある映画を何度も観た理由の前置き>
父の通い介護が決裂する直前。私は過呼吸で救急搬送されたり、安定剤を飲みながらなんとか踏ん張っていた。
どうしても伊勢丹へ行きたがり帰りはピカデリーの映画に付き合わされた。掃除や介助らしいことができるのは週に2回。父がデイサービスに行ってくれている時間だけだった。その他はまるで添乗員だった。
ある日から新しい映画の宣伝をどうしても父と見る事が出来ず、本編が始まる直前まで私はトイレで時間つぶし。そうやってやり過ごすていた時期、父がもう来るな!と癇癪を起した。父の要求には到底堪えられない事で私の心は疲弊していたし、私の旦那さんも、もう介護は限界じゃないかと言っていた。
「君がお父さんを許せるなら僕も許せる。でも救急搬送されて薬も飲んでもう限界なのでは?」と。。
癇癪を起す父の言葉を聞くうち、忘れていたとてつもない怒りがこみあげてきたものの、私は意外と冷静だった。
「この人生パパと関わってる時が一番不幸だった。来るなというからもう来ません。でも、電話をかけたくなったらかけてもいいからね。」
「電話はかけない!意地でもかけない!」
赤鬼のように真っ赤な顔をして怒鳴っている中、実家のカギを置いて帰ってきた。この介護で得たものは後の気づきで色々恵みになっていったけれどこの時確実に得たものは父の弱点を知った事。。
冷静に言葉を発する事。。冷静に対応すればするほど。。的を得た言葉を発するほど父は強がって良く吠える弱い犬のようになる。一億超えるようなお金を持っていてもこの時すでに半分以下このままではいつか破綻するはずなのは明確。だから電話だけはかけて良いからといったのだけれど。。介護を始めた頃、ケアマネには全部の事情を話していた。父の保護者になる押印だけは待ってもらっていた。泣いて謝る父でもいつかこんな日が来ることを予測していたからかもしれない。。
↑こんなことを書けば、このブログの冒頭の父を尊敬するように書いた記事は嘘のようでもあるけれど、それは嘘ではありません。あの一面の父の事は非常に尊敬している。でもここに書く父も間違いのない父の側面。木村元ではなく西尾芳巳の一面であり父の人生の二人の妻。私の母に対する一面です。
父は必ず私に母を憑依させていましたから。。
このように捉えられるようになったのはたとえ途中まででもこの介護に通ったからでもあります。絶対に口を割らなかった父ですが、父も青年期に心に傷を負っていたことが非常にわかりやすかったからです。心理的にはその傷がもたらす不条理。。要は父と同じような不条理を抱え、まるで父の心の膿をわかってあげることが宿命のように流れていきました。父の運命を変えたのはKさんです。私が父に対して不幸だったと同じように父も母や私にかかわるよりKさんとの人生の方が幸せだったのだと思う。
父と母はまるで出会いがしらのように出会って、何かの間違いのように親になってしまったのだと思う。これは、私が自分を卑下するのではなく。今、しみじみ思うわけで、これだけは真実なのだと思う。
<ある映画を何度も観た理由>
端的に言えば、フラッシュバックするためです。今は心理学を学んでいますからこれを論理的に言えますが、心理療法の中に暴露療法というのがあります。PTSDの中にも複雑性PTSDというのがあって、言葉の通りちょっと考え方を角度を変えて。。ぐらいでは効き目が無いのであえて毒には毒を持って制すとでもいうのか?フラッシュバックに晒して慣らしていく療法。。勿論医師やカウンセラーと共に安全な環境のはなしですが。。麻布の医師はおそらく日本で一番私たちの被害の臨床例を持っている医師です。辛辣な言葉で患者を追い込むこともする医師です。
しかし、この映画の頃、暴露療法についての知識はありませんでした。
まぁ、本来、私のような被害者は改心しない親に近づいてはいけないんですがね。父の介護。
医師曰く、「あんたの場合は大丈夫だろう。傷ついても何か拾ってくるだろう。」と送り出してくれていました。介護中は薬をくれたけど、介護を止めたと言った途端、あんたには薬は必要ないとまだ苦しい状況なのにもっと苦しめという医師です。
さて。。この映画。。どの映画?って話もおいといて。。
この映画は父とは観たくなかったものの楽しみにしていました。私たちはサバイバーというレベルになってくると、この手の映画や書籍をあえて読んで何かをつかみ取ろうとします。段階的に出来ない人は観ません。最初は一人で観ました。一人で観れないから誰かいっしょにという人も観ていたけれど呼吸が苦しくなって観れなかった人もそれぞれ様々です。暴露療法的には私は父の介護で父によってフラッシュバックに晒され続けましたから冷静に見れました。父の介護で苦しくなり出して自助グループ参加も頻繁になっていたのですが、そんな仲間のうちの一人がこの映画が賞を取って今夜登壇するらしいからみんなで観に行かないかと声をかけてくれたのです。映画館を出た後、朝までやってる居酒屋で朝まで世間でタブー視されてる話題を声高らかに映画のお話と共に談義したのが今となっては懐かしく良い思い出です。。
映画監督と俳優さんたちが登壇されて質問タイムになりました。私は最初、手を挙げるつもりは無かったのです。
でも、最初に質問した若い男の子の質問があまりに下劣で、賞を取った俳優さんに失礼じゃないか?と怒りがわきました。特に内容を知っていた私たちはあのシーンは神聖なものだったのです。自助の代表はあの映画を観てグループのHPのトップページに赤い涙を垂らす動画を付け加えるほどでした。あれは私たちが何度も心から流した血の涙だねって内容を知っていた私たちは本編が始まるまで話していたんです。
下劣な質問と共に会場内が爆笑の渦になったことも許せませんでした。私たちの事を笑っているような気がした。そんな目に何度もあっていたから。。。で、気づいたら私は手を挙げ、当たってしまいました。もうそこから心臓はバクバクでした。ここには具体的な質問の言葉は避けて書きますが、私が被害者であることを名乗り、世間で言われているこのイメージをどう思うか?と言った内容で質問した途端。。会場内はお通夜のようにシーンと静まりました。本当は主役の俳優さんの表情が私の父と重なるほど狂気の表情をなさっていて、そのことも盛り込みたかったのですがうまく入れ込むことができませんでした。監督さんは涙目で家に持ち帰って考えますだったかな。。で出演者にはマイクは周りませんでした。皆さんにおうかがいしたのですけれど。。次の質問にうつり、俳優さんにマイクが回っていったとき、一人がさっきの方へのお答えですが。。と語ってくださいました。しかし、自分の映画に対する向き合い方とフラッシュバックさせて申し訳ないでした。。
う~~ん違う。。思い込みでこういった映画を作るなという抗議のようにうけとられたんでしょうね。。私たちはフラッシュバックするために観に来たんですともう一度質問の趣旨を返したかったけれどもう、私の手にマイクはありませんでした。
2ちゃんねるではミソクソでしたね。。
「くそばばぁ何十年前の話だ。」とか。。「ヤラセ」だとか。。私の体形だとか。。
マスコミは無視するだろうと予測していました。ところが一社だけ取り上げてくれた。。内容はちょっとちがうんだけれど。。それでも嬉しかった。
ず~~っと何十年も世の中から無視され続けてきたのですから嘘つき呼ばわりされた事。。傷に塩を塗られるような思いは何度もしましたから神も仏も無いって二次被害は当たり前だったから。。
キモチワルイ話って?どうキモチワルイか経験があるのか?違いも分からずよく言えるよって心に鎧を付けて生きて来たんですもの。。この映画から12年。。何が変わったんだろう。。やはり私の苦労話はその仲間に入れてもらえないらしい。こんなに一生懸命生きているのにネガティブの部類に入れられて排除されるのはまだ変わっていない。
<恥>
ある日、父が言った、
世の中誰にでも人に言ってはいけない経験が一つや二つあるものだ。まして、自分の恥になるようなことは尚更だ。
貴方は昔、恩師(歌謡曲を習っていたボイストレーナー)に自分の恥を話しただろ。。
ああいう事は人として絶対にしてはいけない事だ。
たとえ、医者にでも話してはいけない事だ
。。。。。
これを父の介護中聞いた時、思ったのは
父に言われたくない。
それに父の言う恥は父の恥であって私の恥ではない。
精神科に通いながら介護に向かう私に口止めしようとしているのだ
だった。。
でも、今はこの言葉。。
父は自分自身にも言い聞かせる為に反芻していたのだなと思っている。それは私に対することではなく、
若い頃、自分が受けた被害に対して。。
「被害者は加害者になりやすい。」
人間の脳はされた事を忘れない。勿論したこともだけれど。。
己の意識の浅いところではなく意識の深いところには蓄積され続ける。それは無自覚に。
AIの実験でもそう。。殴られるAIと殴るAIを戦わせ続ける実験。殴る。。殴られるという役割を忠実に続けるAI同士。しかし、一定数経ったところで殴られるAIが反撃するのだ。そして殴るAIも殴られる事を学習する。。
私は加害者になっていないのだろうか?
あの頃飼っていた犬に対して私がしたことも連鎖。。
子どもは作らなかった。。私は自分の遺伝子をも憎んでいて
育てる自信がなかったからだ。
でも、子供の居ない私でも当時飼っていた犬に私は連鎖させていた。
でもそんなものじゃない。。
あの闇の五年間。あの終焉を迎える為の最後の出来事。
そう、コルドンブルーのダンサーになると決まったあの日。
日本の法律に照らせば加害者にはならないけれど。そこに向かう私の行動は父が私にしたことより重い罪が隠れている。
それに何故、今更私がこんなことをネットの片隅でかいているのか?の本意の為にも父が言った私を諫めた恥ではなく、私が父にも明かしていない恥。。
父の事、ここまで直接的ではないけれど書いてきて、
あれを語らず。。ではフェアでは無いわね。。パパ
そして、Kさん。ごめんね。