故郷のこと。
ご無沙汰なブログです。
バタバタしていたらあっという間に7月も半ば過ぎですね。
今年もすっかり後半に入ったってことですね。
昨日は早朝から夜まで撮影でした。
みっちりお芝居できて、共演者の方との芝居での会話も楽しくて、監督さんやスタッフさんの熱意をたくさん感じて、『表現』と向き合えた、充実した1日を過ごさせてもらいました。
関係者の皆さん、本当にありがとうございました。
詳細はまた解禁したら載せようと思います。
家には、風邪っぴきの一会と旦那さんを残してきました。
先週は秋田に帰っていたのですが、こっちに戻る日の朝、高熱をあげた一会。
向こうの病院行って、冷えピタや保冷剤で冷やしながら帰ってきて、次の日には熱も下がったのですが、またその次の日には熱が上がり、地元の病院へ。
秋田から帰って早々オーディションやら撮影やらで私がバタバタしている中、一会の面倒を見てくれてた旦那さんも、疲れからか体調を崩してしまっていました。
今日は久しぶりに一会と母子2人きり。
今朝、また熱が上がっていて、食欲もないので薬飲んで寝かせようとしていましたがしばらく愚図っていて、
その愚図りがいつもより苦しそうで、辛そうで。
お腹空いているの?眠いの?熱いの?痛いの?苦しいの?
まだ言葉が喋れない一会。
でも必死に何かを訴えてきてて。
切なくて。
大丈夫だよ。そばにいるよ。
ただただ抱きしめてあげることしかできなくて。
しばらくしたら眠ったから、眠いだけだったのかもしれないけど、
やっぱり心配なもので。
昨日は離れてて、旦那さんからも熱は下がっていると連絡が来てたので安心してたし、旦那さんに頼りっきりになっていたなぁと反省しました。
そばにいなきゃ分からないことって、たくさんある。
体は1つしかない。
でも、一会の母親は私しかいなくて。
役者を続けていくと決めたのも私。
協力してもらって支えてもらっていることに甘え過ぎずに、ちゃんと、背負わなきゃって、そう思いました。
一週間前の夜中に出発して秋田に帰って、水曜日戻ってきたら、セミが鳴いていました。
浦島太郎の気持ちが少しだけわかった気がしました。
竜宮城じゃないけど、都会よりはそれに近い場所なのかもしれません。
秋田は東京より10度くらい涼しくて、紫陽花が満開でした。
今回の帰省は紗也香も同伴し、佐々木家の娘のようでした。
いや、娘よりも歓迎されてました。(笑)
一緒にジョギングもしました。
お日様を浴びた草や稲の、懐かしい匂いがしました。
親友たちにも久しぶりにゆっくりと会えて、夜中に泣きながら語りました。(笑)
一会は広い家や庭や自然が楽しかったようで、興奮して、毎日毎日飛び回っていました。
母はたくさんの美味しい食事を作ってくれました。
父も珍しく夜更かしして、酔っ払って、楽しそうでした。
兄は十八番のラーメンを奢ってくれ、
海岸の風が強すぎて溶けたソフトクリームに塗れて一緒に爆笑しました。
兄が食べたがっていた肉巻きおにぎりを川井さんちの美味しい豚肉で作り、
作り方を母に教えたり、
母の作る料理の作り方を教わったりしました。
楽しい思い出がまたたくさん増えました。
ありがとう。
18歳のときに上京して、14年。
もう少しで、秋田で育った年数を超える。
でも、これからもずっと、あの地は私が生まれ育った場所には変わりなくて。
五感が、覚えていて。
それはとても、さりげなくて。
でも、心にしみてきて。
それが、とても、嬉しかったりしました。
色々変わる。
人も変わる。
環境も変わる。
町も変わる。
私も変わる。
でも変わらないものは、ちゃんとあったから。
それが、とても嬉しかったです。
それだけでいい気がしました。
私の故郷。
ありがとう。