子宮という「お部屋」 | 憂目に咲く花になろう

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神様が私に子宮頚がんを与えました。この試練の向こうには、きっと大きな煌めきが待っている。
その強い確信と溢れる想いを、言葉と祈りに込めて。

退院してから、一日目。

変わらず痛みはありますし、家事などで立って動いた後の疲労感…と言いますか、立っていられなくなる感じは変わりませんが、出来る範囲で新年迎える準備をしております。

なので、子宮を失った、などという喪失感はまだ実感する余裕もなく、癌の発覚から駆け足の2か月なので、心が落ち着いていない部分あるかと思います。

ですが、10歳になる娘は私以上に、私の身体から子宮が無くなったことを、実感しているようです。

私は嘘をつけない事柄、つまり事実であることは全て娘に正直に話し育てて来たので、今回検診に引っかかって生体検査を行う時にも同行してもらい、内診台の横で手を握っていてもらってから、細かなことを話すようにしています。
子宮頚がんに何故なるのか、ということはもちろん、気をつけるにはどうすれば良いのかということまでも。
ですから、子宮の役割は既に分かっていて、とりあえず今回は卵巣は取らないことにしたのを喜んでくれたのも娘でした。私がホルモンの変化で具合悪くなることを危惧していたのでしょう。

そんな娘が、入院前夜のお風呂の中で、お湯に浸かりながら泣きました。
その涙は、私と離れることや手術が心配ということだけではなく、自分が生まれる前にいた「お部屋」が無くなるということも、理由のひとつでした。

なるほど。
私の身体の臓器だと思っていたけれど、娘にとっても想い入れのあるものなのだ、と。
娘は胎内記憶を話していた時期があったので、私も何とも言えない気持ちになりました。

手術が終わり、娘は摘出後の子宮を見ました。
(いま思うと、子供だからと見せないのではなく、娘にもきちんと見せて下さった主治医にも感謝です)その後に、麻酔から覚めて痛みと戦っている私に届いたLINEがこちらです。

娘のかつての「お部屋」は無くなってしまったけれど、この記憶を自分の身体を思い遣る気持ちにつなげて欲しいです。


私は術後に写真で見ましたが、子宮も卵管も全て、よく目にする絵の通りで、人間の身体の神秘を感じると共に、健やかな身体に産んでもらったことにも感謝の気持ちが湧きました。

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