ステージ決定の日 | 憂目に咲く花になろう

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神様が私に子宮頚がんを与えました。この試練の向こうには、きっと大きな煌めきが待っている。
その強い確信と溢れる想いを、言葉と祈りに込めて。

…の、予定でした。

 病名とその程度、そして治療方針を聞いて、ある程度覚悟が決められると思っていました。 


 しかし主治医からは「上皮内ガンではある。しかし、その浸潤具合がどうなのか、一度円錐切除をして病理検査に出したい」と、まさかの話。


病理検査の結果がいずれ子宮を全摘することになる確率の方が高くなりそうかと聞くと、その確率の方が高いと。そうなった場合に単純子宮全摘にするのか、その方法は腹腔鏡手術か開腹手術か、もしくは卵巣なども含めて広く取るのか…円錐切除をして浸潤具合を確認することによって、その状態の中でも一番的確な術式にすることができるとの、主治医の判断でした。


咄嗟に頭の中には、いずれ摘出するのであれば、円錐切除手術をせずに、すぐに全摘してしまえば一度で済むのでは?という安直な考えが浮かんだので、それを告げると「合併症と一生付き合わなければならないかもしれません。だからこそ、慎重に判断したいと思う」とのこと。 


子宮を全摘すると、煩わしい生理はなくなり、そろそろ更年期のタイミングでもあるのでと、容易に考えていました。しかし、お腹の下で支えとなっている子宮を摘出してしまうと、その空間に臓器が下がって排泄に支障が出たり、それによって体型が変わったり足が浮腫んだりと、それらを抱えていかなければならない場合があると主治医から聞いた瞬間に、ストンと納得出来ました。


全摘を望む潔さの一方で、術後に合併症に悩む自分が想像できたのです。ましてや、表に立つ仕事。命が助かればそれ以上のことはないのですが、仕事が無くなることは本意ではありません。先生だって、一度で終えることができたらきっと楽なことでしょう。けれども、私の今後のライフスタイルに寄り添って下さり、最低限の術式で済むようにと、円錐切除術を間に挟んで下さる。 

診察室を出て、摘出することを簡単に考えていた自分に反省しました。摘出したくなくてもせざるを得ない人もいる。早期発見だから術式を選ふことのできる可能性があることを有難いと思わないと。


手術日は11月11日で決定し、その日のうちに手術前の検査や入院の説明を聞いて帰りました。


家に戻ると、ミスコンテストの後輩のひとりからの贈り物が。多分、療養用にと考えてくれたジェラートピケのカーディガンとモレスキンのノート。ノートには想いを綴ってください、と。

言葉にしてアウトプットするだけで、心が軽くなることを彼女は知っているのです。

そして「星の王子さま」。

むかしむかし読んだ本ですが、彼女があえてその本を選んでくれたのには、深い意味があるはず。

それを考えながら、時を経てまた読み返したいと思います。