恋愛依存と向き合うのはしんどいのでこのままでもいいのでは?と思う。 | 三重臨床心理カウンセラー/恋愛依存症専門カウンセリング

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自分を取り戻し、人生を、価値をもって生きていくために

こんばんは。

 

 

このブログは恋愛依存症でお悩みの方に書いています。

 

(あなたに合うものを参考にして、合わない内容はここに置いていってくださいね)

 

 

 

はじめて当方のカウンセリングをご希望の方は、電話カウンセリングのご予約からお願いしています。*ご新規の方の対面カウンセリングは2025年8月頃より再開となります。

 

 

下記の予定枠より、お日にちとお時間を、それぞれ第3希望までお知らせくださいませ。

 

 

 

 *既にお受けいただいているクライエントさまへ。

 

対面カウンセリングは最大60分までとなります。

 

平日、土日ともに、

 

通常の対面カウンセリングは、13:30〜14:30

 

(60分まで)

 

心理療法をご利用の方は、 13:30〜15:30

 

(120分まで)

 

となります。(事前に話し合い、必要だと判断した場合、心理療法を確定します)

 

 

 

なお、10:00〜12:00ならびに、夜間20:00〜のカウンセリングは電話カウンセリングのみとなります。

 

 

 

 

 

12月13日(水)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月14日(木)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月15日(金)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月16日(土)20:00〜22:00

 

12月17日(日)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月18日(月)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月19日(火)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月20日(水)ゼミ受講のためお休みとなります。

 

12月21日(木)20:00〜22:00

 

12月22日(金)10:00〜12:00 20:00〜22:00

 

12月23日(土)20:00〜22:00

 

12月24日(日)20:00〜22:00

 

12月25日(月)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月26日(火)20:00〜22:00

 

12月27日(水)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月28日(木)20:00〜22:00

 

12月29日(金)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月30日(土)ご予約をお取りいただけない状況です。

 

12月31日(日)お休みとなります。

 

2024年1月1日(月)お休みとなります。

 

1月2日(火)お休みとなります。

 

1月3日(水)お休みとなります。

 

1月4日(木)10:00〜12:00 20:00〜22:00

 

1月5日(金)10:00〜12:00 20:00〜22:00

 

1月6日(土)20:00〜22:00

 

1月7日(日)10:00〜12:00 20:00〜22:00

 

1月8日(月)10:00〜12:00 20:00〜22:00

 

1月9日(火)20:00〜22:00

 

1月10日(水)10:00〜12:00 20:00〜22:00

 

1月11日(木)20:00〜22:00

 

1月12日(金)10:00〜12:00 20:00〜22:00

 

1月13日(土)20:00〜22:00

 

 

 

恋愛依存と向き合う、これを乗り越える作業は確かにしんどいです。

 

人間の本能に抗うような局面が何度もあります。

 

依存症は別の言い方で現すと嗜癖と言います。恋愛依存の場合、人間に嗜癖している、ということです。

 

嗜癖ですから日常に浸透しています。朝起きて歯を磨くのと同じノリで依存行動を繰り返していますので、それを止めるというのは、かなり落ち着かないし、かなり不安になります。

 

ですのでこの依存に気づき、止めようと日々、自分の行動などに着目し続けているというのは、すごいことです。

 

きっとあと数年もすれば、相当な自信になっているはずです。

 

止めようとしている方々は、見えたんですよね、このままでは未来がないと。

 

このまま依存を繰り返していたら、もっと苦しくなっていくと。

 

そんな人生は嫌だと思ったし、親のようにはなりたくない、そう言う方もおられます。

 

こうした方々だって苦しいのです。依存が危ないと分かったとしても、それをいざ止める、変えていくというステップはしんどい。

 

もうしんどいですって言われます。しんどいよねって言うことしかできません。ほんとうにしんどいからです。

 

それでもなぜ頑張れるのか。

 

藤川が聞いてくれるから、なんとか頑張れる、そう言っていただくこともありますが、やはり一番は、依存のままでは危ないという危機感、これが強いのだと思います。

 

「もうあの頃には戻りたくない」

 

「あんなに苦しい依存は二度としたくない」

 

そう言われます。

 

ほんとうに依存と闘ってきたからこそ、言えるのだと思います。心底苦しんだ。

 

散々苦しんで、自分でもなんとかしようと色々勉強もしたりと頑張ってきた、でもどうにもできなかった。どんどん苦しくなっていく依存状態に、とうとう手放したくなった。

 

 

また、恋愛相手がいなくなってきた年配の方々からは、

 

「歳を重ねれば恋愛依存も自然と卒業するから大丈夫だと思っていた。でも現実は息子や娘に依存を向けている自分にがく然とした」

 

「同性の友人なら大丈夫だと思っていたが、今度は私が依存される形になり、歳を重ねても逃げきれないことを痛感した」

 

「最後は一人になっても平気だと思っていたけれど、歳をとってから本当の意味で親しい人が居ないと分かったとき、若い時からの人との関わり方がこんなに尾を引くとは思わなかった」

 

「夫との関わり方と向き合ってこなかったことで、今になってどうしたらいいのか分からず、積み重ねが大事だったのだと思う」

 

 

歳を重ねても依存の問題というのは、心理学を出すまでもなく、ずっとつきまとうことが分かります。それでもまだ、こうして言語化できているのは、すごいことです。乗り越えられていないという点ではつらい老後なのかもしれませんが、自覚がある、ない、これは大きいです、天国と地獄ほど開きがあると言ってもいいと思います。

 

 

自覚できずに病気で過ごす晩年の依存の方々は、もう地獄です。世の中を恨みながら、身体的病気の痛みに強く襲われながら(否認し続けた依存の方々はガン末期の痛みにも非常に敏感なことが多い印象です)親身に寄り添ってくれる人が誰も居ないという中で、相当に苦しみます。

 

 

これを読んで年配の方は恐く感じるかもしれませんが、藤川のブログを読む方は楽してなんとかしたいというマインドの方ではないと思いますので、きっと大丈夫だと書いておきたいと思います。自覚ありますよね?自分は依存症だから、人間関係など気をつけないといけない、と。そういう認知があればひとまず大丈夫です。

 

 

そしてそんなあなたに、もう歳をそこそこ重ねてしまって、今さら頑張ったって、どうにもならないでしょ?

 

だったら依存のままでももういいじゃないって思う、だってブログを読んでいても「しんどい」ばっかりだし。。。もういいんです、、という方に今日は書きたいと思います。

 

 

まず、これまでの人生を依存的に生きてきたこと、

 

それでも命を絶つことなく、なんとか生きてきたこと、

 

そのことをちゃんと正面から、心底、よく頑張ってきたのだとねぎらってください。私からも、頑張ってこられましたねと、尊重の念で伝えたいと思います。

 

恋愛依存症も、好きでなる人なんてひとりもいません。

 

親を選ぶことはできず、致し方なく、依存的な人間関係しか学べなかったのです。あなたのせいではありません。

 

若い方には私も必死に怒ります。それはこの先が苦しいものになるよ、ともうわかっているからです。若い方の未来を親との苦しい関わりによって摘んでしまうのは許せないです。だからつらいだろうけど、頑張ってほしい。依存に耐えてほしい。過去を一日も早く諦めて手放してほしい。

 

でも散々苦しんで生きて、もうだいぶ歳をとってしまった。

 

そういう方には、もうねぎらう思いが一番強くなります。

 

だって依存をもちながら、つまり病気を抱えながら、それでも普通の人と同じように生きなきゃならなかったから。

 

どこかで誰かが「あなたそれは危ないわ、専門家にみてもらって」と言ってくれたら。変わっていたかもしれない。

 

そうすれば依存を乗り越えるその時期はしんどくても、穏やかに生きられる時間も同時に残っていた。今のあなたのしんどさはほとんどなかったかもしれない。

 

しかしうまくいかなかった。ここまで生きることに必死で、向き合うチャンスがなかった。依存のままでなんとかここまできちゃった。

 

そして歳を重ねてしんどくなってきた。やっとこういうブログに目が留まるようになった。

 

そんなあなたに厳しいことは言えないです。もう、ほんとうにお疲れ様でした、もういいんですよと、もう手を抜きましょうねと、そう言いたい。

 

まずは荷物を下ろすような気持ちで、よっこいしょと一息ついてほしい。彼とか誰とかどうでもいいから。向き合うとか、そういうのもいいから。まずは、ふう~、わたし、頑張ってきたなって。

 

依存だったと思います、ずっと。夫や子供に依存をしてきたと思います。それでも埋まらないものを不倫で散らしたりしてた。友人とかいろんな人に依存をしたり、食べ物やお酒や趣味にも依存していたと思います。

 

こういうことってどんなに私が「もういいんですよ、自己責任という罪悪感はおろしましょう」と何百万回伝えても、消えないんですね。あなたの心から。

 

ずるい生き方をしているなっていうのは、依存の方々が根底に抱えているようです。彼のせい、誰かのせいと言って、自分の弱さを帳消しにしているという罪の意識で、また依存に埋没するという悪循環があったりするのです。

 

でも、あなたがそうやって自分を責めて、自分を虐めれば虐めるほど、周りは不幸になってしまいます。

 

もう充分に苦しんできたのだから、もう終わっていいんです。

あなた自身も苦しかったのだ、ということを認めてあげて、一息つく、これが大事だと私は思います。

 

そのうえで、おそらく、虚無感ですね、あとは自己不在感とか、不全感というような思いにさいなまれることがあるかもしれません。これは依存症のどうしても逃れられない感情です。

 

依存症でも特に恋愛依存、共依存というのは、自分を捨てて他人に寄生する形をとることで、もともと抱えていた生きづらさ、自分では決断ができないだとか、そういったものから逃れるという構造をもっています。

 

つまりもとから、自分がない、ということに人一倍苦しんでいるのです。だから依存相手を用意して、その人を思う通りにしようと、しなければいけないというような強迫性をもって、自分の現実の問題を棚上げしてきたわけです。

 

それが歳を重ねて、再び、ドーンと返ってきてしまう。

 

若い時以上の空っぽ感が襲ってくるというのは、どうしても避けられないのです。ですから苦しいときは、せめてその気持ちを話すためにカウンセリングを受けてみる、ということは検討してもいいと思います。丁寧に聞きたいと思います。

 

それで、そうやって話してみたところで、しんどいことには変わりない、という思いも出てくるでしょう。その通りです。でも、まだチャンスはあります。そのしんどさがあるからこそ、あなたはあなたなんだという生の実感は消えないからです。

 

そのしんどさこそ、生きている、ということです。

 

ここはとっても大事なところなので何度も書きますが、

 

世の中には、あなたのように自分が依存だと気づかずに、

 

あいつが悪い、親が悪い、世の中が悪いと呪いのようにずっと思いながら、ガンなどの大病に見舞われて発狂状態の晩年を迎えている方が多いんです。

 

これってちょっと想像を膨らませば見えてくることのはずなのですが、依存状態の脳では、見えないんですね。わからないんです。

 

どんなに権力をもっている人でも、政治家でも、恵まれているように見える人でも、貧乏でもなんでも、依存症は誰でもなる病いです。恋愛依存を除いても、世の中依存症の人であふれかえっています。これが大多数なんです。

 

もちろん強弱がありますから、うまいことやって逃げ切る人もたくさんいます。でも死の間際は全員、逃げられません。向き合わなかった依存の問題は絶対に最期につきつけてきます。「私の人生これで良かったの?」と。

 

あなたは歳を重ねて今さら気づいて、今さら頑張ったってもう先が見えてますから・・・と、もうこのまま依存のまま、しんどいままでいったっていいって思うかもしれませんが、

 

いいえ、最期の審判は、あれはただの神話じゃないんです。

 

あれは人間の人生という脚本の最期の最期の現実を現したものなんです。

 

 

この最期の審判を、自分で人間は勝手にどうしてもやってしまうのですね。だから神話とかいろいろ学んでみてください。あなたの今と必ず似た話しがあるはずです。

 

その最期の審判のとき、向き合わなかった者は、発狂します。嘆きます。壮絶に苦しみます。

 

でも向き合った者は、この最期のときに、

 

「私、よく頑張ったよね」って言えるんです。

 

どんなに酷い幼少があろうとも、向き合ってきた者は、心底言えるんです。

 

ちなみに向き合えずに依存のまま亡くなった方の死顔は、まるで貞子の呪いにかかった者のような顔をしています。逆に笑顔の方は、深いところで自分と繋がっていて、依存を乗り越えることはできなかったとしても、自覚をしながら精一杯生きた、そう感じます。

 

なのでまずはいま、依存なのだと自覚できていることを、その一点を大事にしてほしいと思います。そしてよくねぎらってほしい。

 

そのうえで、あなたはまだ生きています。まだ人生は終わっていません。これまでとは違う生き方を模索してみてもいいのではないでしょうか。

 

それはなにも大きなことじゃなくてかまいません。むしろ大きなことなんてしなくていいんです。ちょっとのことでいいのです、たとえば、なるべく笑顔で過ごしてみようとか。夫に向けなくてもいいです、道端の花にだっていい。自然にだっていい。ほんの少し、笑顔を向けてみる、それだけだっていい。

 

ぬるいですか?でもですね、そもそも人生はぬるいのが通常なんです。今まで依存モードで自分の不安を誤魔化してきていたからわからなかっただけで、人生とはふだんはぬるく、たまに「おお!」ということがある、そんなもんなんです。

 

自分で決断できない、別にしなくていいんですよ。しないという決断は下してるんですから、それでよかったんです。なにも彼を使って存在意義なんて見出さなくてよかったんです。私は熱い人間だ!って、そんなことはしたい人だけすればいいんですよ。仕事ができない、いいんですよ、生きているだけで本当は価値があるのに、そう思えずに、何か仕事ができなきゃいけないと強く思いすぎていただけなんです。

 

もっとぬるいというか、のほほんとしていていいんです。それはすごく価値のある生き方なんです。そんな人がもしあなたの前にいたら、嬉しくなりませんか?ああ、こんなんでいいんだ!って(笑)

 

そう、だからなにも完璧にやらなくてよかったんです。性格が悪くたってお互い様だった。みんな悪いし、でもみんな良いところもあるんですよ。そういうゆる~い世界という認知があれば、こんなに苦しまずにすんだ。

 

だからこれからは、どうかのんびりとすることを意識してみてください。そういう世界に慣れていくことだけは、ちょっと頑張らないといけないかもしれない。

 

 

前回も書きましたが、恋愛依存を乗り越えた人は、

 

誰かの役に立つことを意識した生き方を視野に入れるのもいいなと感じています。

 

もちろん今度はそこに依存されると困るので、急ぐ話しではないんですよ、でも、

 

その苦しんだ経験を必要としている人はたくさんいるんですよね。ブログで徒然に書くということだけでも、助けにんると思います。どこの誰なんて明かさなくていいから、ひとりでつらい思いをしている恋愛依存の人に寄り添うように体験を綴る、それってあなたにしかできないことだと思います。

 

私はこんなふうに乗り越えたよっていう話しはたくさんあったほうがいいです。どれだけの方々の参考になるか。

 

なんにせよ、最期の審判のときに

 

優しい気持ちで天国を受け入れることができるように

 

今のあなたを責めずに、依存を自覚できているそのことを大事にして、

 

日々を穏やかに、なるべくゆるく、そういう日々をあなた自身に向けてあげられたらどんなにいいかと思います。