この話はずっと開示していなかったのですが、
沖縄でセミナーをやるので、
書こうと思います。


以前
>>Maiストーリー~生い立ち編~
で少し触れましたが、
わたしはベトナム生まれで、
生後3カ月半の時に、
両親に連れられボートで国を出た難民です。
難民なんだか、難民の子、なんだかw


そして、太平洋を乗りだした4日後、
日本の船が救助をしてくれたことがきっかけで、
今日本に住んでいます。


18歳の時にボートピープルという言葉を知り、
衝撃を受けたわたしは、
大学で国際社会学科を専攻し、
卒業論文のテーマを「ボートピープル」として、
自分が生まれたベトナムをはじめ、
難民キャンプで暮らしたフィリピンのパラワン島、
日本の入国管理局があった長崎県大村市などを取材し、
更には船で一緒に出ていった難民達のその後も取材しました。


今も全部ビデオテープが残っています。


その自分の軌跡をたどる旅の最後は、
沖縄だったんです。


わたしたちが乗っていた漁船を救助してくれた、
日本人を探しました。

そして、沖縄でみつかったんです。



わたしは、大学4年の春、その方に会いに、
沖縄に向かいました。
家族みんなで。

船長さんは救助をしてくれた当時35歳で、
23年後に再会した時もまだ現役の海人でした。
今もそう。現役海人(´ー`)

わたしのことをよく覚えていると言っていました。



image
※これはマカハのイルカたち♪



ベトナムのサイゴンが陥落したのは1975年。
そこから難民がどっと出ましたが、
私たち家族が出ていったのは1981年の春です。

この頃は、国際社会も少しずつ疲れ切っていました。
難民船をみつけた船は、膨大な手続きを国連等にしなければならない。

だから、貨物船やフェリーなどは仕事に差し支えますから、
難民船を見つけても、救助をしなくなっていました。

反面、国際的なNPO団体などが、
大型船で太平洋を循環して、
難民の救助などもしていました。


それでも1980年代を過ぎると、
国際社会は疲れ切って、難民をあまり救助しなくなった。

だから多くの難民船から餓死者が出たり、
何か月も海を漂い、沈没した船も多かった。

そしてタイの海賊に襲われて金品を奪われ凌辱されたりね。

普通におきていた。


うちの父は再教育キャンプに何年も入れられたりして
(共産主義の教育を受けるところ。ただ奴隷機関)
そこから出て何度も脱走を企てて、失敗も繰り返しての脱走だったので、
この年になってしまったんですね。


わたしたちが乗った難民船には76名の難民がいて、
そのうち半分くらいは少年少女、子供でした。

うちは5人姉妹なんですが、
姉が2人と赤ん坊のわたしが乗っていました。





上の娘


わたしは、自分の子どもたちが、生後100日くらいになると、
いつも子どもたちを見て泣きそうになっていました。



息子


母親からよく聞かされていました。

あなたはあの時、生まれたばかりで小さすぎて、
連れていったら死んでしまうかもしれないから、
親戚に預けようってお父さんはいったんだ。
でもわたしは絶対に嫌で連れていった。

一番小さかったあなたは、
船の中では何も知らず、一番元気だったわ。


そう言って笑う母の顔が嬉しかった。

その時の母の気持ちを考えながら、
生後3か月の幼い我が子を眺めていました。



船を出して4日目。
どんどんどんどん、波が高くなっていきました。



づづく



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