Maiストーリー、続きです。


生い立ち編


で、テレビのADに無事になれたんですね。
ずっと育った栃木県から東京に出ました。

最初に携わったのは、テレビ東京の田舎暮らし番組♪

レギュラー番組で、ハードだったけど、全国あちこちに行けて、面白かった^^

それで出会った人たちは、自分の人生をしっかり生きていました。
家族仲良くて、とても豊かな暮らしだった。

それから医療番組も特番でやりました。

情熱大陸とか
NHKのノンフィクションとか。

面白かったんだけど、
「家族を持って愛を知ること」と
「伝えること」が
どうしてもテレビの業界では両立しないと思えた。

テレビ業界、みんな家庭崩壊しているし。

わたしもかなりハードに仕事していました。

大学時代から付き合っていた人が、大学院を出て、北海道に就職を決めたんですね。

わりと大手だったし、彼の猛烈な意志の力に押しやられるように、
就職して2年でテレビの仕事を辞めて北海道に移住しました。


結婚生活を始めたものの、元夫は体が弱かったんですね。

定期的に体調をおかしくした。

わたしは長女を生んだ時に、価値観の大転換が起きたんです。

助産所での出産の話はこちら

命の素晴らしさに目覚めて、自然とつながる生き方をしたくなった。






でも元夫はケミカルなのが好きだった。

定期的に体調崩して、でもケミカル好きで、
育児の価値観も違くて。
何にも変わろうとしない。

ある日大ゲンカして別居したら、夫は完全に体調を崩して、働けなくなった。

原因不明なんです。
わたしには医原病にしか思えなかった。

元夫は、わたしが優しくしないから病気が治らないとか、ストレスの方が体に悪いとか言って、
とにかく自分の人生を他人のせいにばかりする人でした。

わたしも別居から一度北海道に戻ったものの、ふと気づくと、元夫の死を願っているんです。
車で出かけると、勝手に、
今死んだら保険金がいくら入るな・・・とか考えている。

だって仕事もせずずっと家にいてごろごろして、
ストレスだとか言って家のこともしないし、
何のために生きているんだろうって。
死んで保険金おいていってくれた方が家族のためじゃないかと。

もうわたしもだいぶ病んでいました。

解放されたくて仕方なくて。


一方で、このころからスピリチュアルの本などを読むようになりました。
生きる意味を考えてました。

離婚したらわたしはどんなふうに生きたらいいのか。

わたしは惰性で結婚して、夫は病気を他人のせいにしている。

どっちもどっちだったんだと思います。
どっちも無責任に生きていた。

今なら、そんな元夫もわたしの鏡だったんだと。


二人目を生んですぐ離婚しました。

このままじゃ本当に呪い殺すと思いました。


人生のどん底。最悪の頃でしたね。





でも息子の100日は祝ったな♪


つづく。