「素晴らしき存在」 | まほう の ことのは

まほう の ことのは

幸せの種は貴方の中にあります。

自分らしさに繋がって、
あなたという花を
一緒に咲かせてみませんか?


『あなたたちは



 何かしていないと



 自分という存在が



 役に立たないのではないかと



 どこかで思っている





 天から見れば



 まったく逆なのだ





 あなたたちが



 何をしていようが



 しまいが



 その存在そのものが



 とても愛しいということ





 あなたたちは



 あなたたちが思っている以上に



 素晴らしい存在である』





        かみさまより






~私の父は83歳。


 若いころから腰が悪くて、


 2度ほど大きな手術をした。




 そして65歳を過ぎたころから


 上手に歩けなくなってきて、


 今では手足はほとんど動かせない。


 



 戦前生まれの日本男児で


 プライドが非常に高い。




 

 そんな父が年を取り、


 大きく変わったところは


 自分ができないことを


 誰かに助けてもらうようになったこと。



 トイレのお世話も


 してもらわなければならなくなったとき、


 プライドの高い父にとって


 どんなに屈辱的なことだったかと思う。


 



 だけど、


 時間を重ねながら


 自分のできないことを


 素直に甘える技術を


 いつのまにか身に着けていた。



「ありがとう。」


 と感謝を伝えるようになっていた。





 そして今は


 死に向き合いながら


 痩せて骨だらけの体で


 今という時を


 精一杯生きようと頑張っている。




 そんな父を見ていると、


 「人の器というものは



 死ぬまで



 大きくなり続けることができるのだ」


 と思うし、


 その生きざまを教えられている気がする。






 かみさまが言うように


 人は自分を過小評価しすぎなのかもしれない。


 

 日本人は特に


 謙遜の美徳があるため、


 なかなか自分の素晴らしさを


 認めることができない。



 私が父から学んだことは、


 どんな状態になっても


 誰かに感動や勇気や希望を


 与え続けることが出来るということ。

  


 「生きる」


 という姿勢が


 必ず誰かの役にたっているということ。



 あなたは


 ここに生きているだけで


 実は素晴らしい存在だ。



 それをまっさらな心で


 受け入れることが出来たのならば、


 自分自身


 どんなに嬉しいことだろう。



 あなたがその素晴らしさに


 気づいていなくても


 必ずあなたを


 理解している人がいる。



 私が父から大切なことを


 教えてもらっているように。



 口に出さなくても


 伝えてもらわなくても


 そのエネルギーは必ず伝わっている。



 大切なことを


 またひとつ


 教えてもらった日。~