表題の件、よく聞かれます。

あちこち行くの大変ね~などと、言われることもあります。

 

呼ばれていくのではありません。

呼ばれる、というのを否定はしませんが、ことさら、呼ばれていくのでもないです。

 

では、何故行くのか?

 

面白いから、と言うのは不謹慎と言われるかも知れませんが、まあ、そんな感じです。

 

神社というのは当時の人にとって大変重要な場所だっただろうし、大切な存在である「神様」をお祀りする場所ですから、それは一等地、ということになります。

では、どういうふうにしてその場所を決めたかというと、それは、気の流れのいいところ、となるのだろうと思います。

その場所は、神社にもよりますが、記録がないほど古くから守られてきた場所だったりします。

そういうところは、たいてい、自然のエネルギーの強い(高い)ところです。

神社は人が作ったものですが、自然は宇宙が創ったものです。

わたしは、そこに流れているエネルギーが好きなのです。

そのエネルギーを感じたり、そのエネルギーと交流するのが面白くてたまりません。

 

ご神事とて、人が作ったものです。

けれども、それが行われるにあたり、神(自然)に対する畏怖、リスペクトがあります。

何らかの意識を持って型を作り、その型に従ってご神事を執り行うことにより、その意識は引き継がれて、そこにあるエネルギーが生まれます。

そのエネルギーを感じたり、そのエネルギーと交流するのが面白くてたまりません。

 
神社のエネルギーや、ご神事のエネルギーが動く時、それはご利益と言われたりもします。
わたしは、ご利益には余り興味がありません。
神社の神様の名前や歴史を覚えるのも苦手で、あまり興味がありません。
ですが、そのエネルギーが動くのはとても面白いと思うのです。
 
その面白さ、不思議さ、その仕組やなんかを、多くの人に知ってほしいと思っています。
神社は古くからある自然界のエネルギーと繋がる入口になっているなと思います。
そこから学ぶことはたくさんあります。
自分を見つめることは、自然と向き合うことでもあるな、と思います。
そして、宇宙や自然の循環の中にいる自分というものを感じてみる時、自分がどういう立ち位置でいればいいのか、そのために何をしたらいいのか、どう生きればいいのか、自分は何者か?というところに向きあうことになります。
そこにあるものこそが、真理なのではないかと思います。
 
今日は鎮魂祭に行ってきます。