男80歳、このままくたばっちゃあ後悔するぜ!残る人生を悔いなく生き切るチャレンジを!

40代、体と心の曲がり角を乗り切る、秘密のバイブル!

勝Z 自己紹介


始めまして、健幸の鉄人。 勝Zです。
かつじぃ と呼んでください。

現在76歳の少年?です。

勝部爺さん と言う意味で
呼んでくださっても、

最後には勝利する男
と言う意味にとって下さっても、
とにかく、

年寄りのわりに気楽な奴
そう思って頂けたら幸せです。


わたしは今、
23歳年下の妻と、

四方を自然に囲まれた、
眺めの良い丘の上に住み、

窓一杯に広がる
自然の光景を眺めながら、

尽きることのない
妻との会話を楽しみ、

ゆったりとブランチを味わう。
それが日課になっています。


気が向いたら、
家の周囲に広がる畑に出て
肥料も農薬も使わない
自然流の畑作りを楽しんだり、

長寿時代に
最後まで心身とも健やかに生きる
秘密の健康法=「真健幸道」
の研究や執筆に打ち込んでいます。

あ、心身共に健康に生きることを「健幸」と
表現しているんですよ。


わずかな年金はありますが、
もう何年も、仕事らしい仕事もせず、
好きなことばかりやって来ています。

贅沢ではないけれど、結構、
心豊かな暮らしを楽しんでいます。

蓄えがほとんどなくても
未来に不安を持つこともなく、

何歳になっても、
目の前には、やりたいことや夢が一杯で
いつも、退屈するヒマが無い人生です。

長年探求して来た健幸研究のお蔭で、
長い間、歯医者さん以外の医療機関に
お世話になることもなく
健幸自立的人生を楽しんでいます。

周りからは、自由でいいねえ。
理想の夫婦だねえ。
などとよく言われます。

と、ここまで長々と 
わたしの自慢めいた話に
お付き合いくださって、
ありがとうございます。

実は、わたしがお伝えしたかったポイントは、

今わたしが提唱している健幸=

【魂と心と体の3つが健康で
     バランスがとれている状態】

を、ごく普通のこととして
わたしたち夫婦が実際に、この17年
実践して来ていると言うことなのです。


かく言うわたしも、昔から3つの健康が
整っていた訳ではありません。

生まれ落ちた瞬間から、
西式という健康法で育てられ、

たまに病気になっても
全部自分で治すのが 我が家の当たり前で、
小さいときから、自分の健幸は自己管理が当たり前
で生きて来ました。

ところが、魂と心は
なかなか体のようには行きません。
自分で言うのもなんですが
実は若いころ、カタブツで(笑)、
人とオープンに話すのが大変苦手でした。

戦争で田舎に疎開していた時も
地元の子供たちとは馴染めず、

戦後、焼け跡だらけの神戸で
焼け残った小学校に
転校してきたときも

仲間たちの群れからは
いつも浮いた存在でした。


一人で、何時間も
焼け跡の草原で
小さな草花と 話している時間が
 一番幸せでした。

そんな孤立癖のあるわたしが、
今ではセミナー講師として
沢山の人の前に立って
皆に話しかけたり、
参加者の質問や相談にこたえたり、
対話を交わすことを
心から楽しめるように
なっているのです。

若いころは、異性に話しかけるのも
緊張して、構えた話 しか
できなかったのに、

今は、男女にかかわらず、
どんな年齢の人とでも
気軽に、心開いて話せるように
なりました。

誰とでも、全然構えずに 
話せるようになるには
色んな恥ずかしい失敗や、
惨めな体験の歴史がありました。

まあ、76年間も生きてくれば
波乱が無い方が
おかしいかも知れませんがね。
そんな人生のドラマについては、
また、おいおいにお話することとして、

まあ、心配性で、頑固で、
そのくせプライドが高くて、

仲間たちから一目置かれはするけれど、

多くの場合、
内心では煙たがられていたわたしが、

なぜ、
今のような生き方に変容して来られたか、
について少しだけお話しておきましょう。


わたしの最初のつまずきは、
高校時代でした。

高校に入った時は、
トップクラスだったわたしも、
遊びまわっていて、気が付いたら
同学年650人中630位あたりをうろうろ、
落ちこぼれて自信喪失、自己嫌悪。

しかし、
浪人中は、毎日3時間睡眠。
1年で3年分勉強して
地元の国立大学に入って、自信回復。

そして、卒業後は、
日本で5本の指に入る
ゼネコンに入って、
何とか両親の期待に応えられた、
とほっとしました。


新人時代は、総務部で
鬼課長から文書作成の特訓。
書いても 書いても、
赤鉛筆の直しが入る毎日に、
またしても、自己嫌悪。

20代後半で、自ら志願して
新しく設立する子会社へ出向。

子会社で直接採用した
若い部下たちのチームを率いて
夢中で頑張る体験の中で、
気が付けば、いつの間にか
人の輪に入ることが 徐々に出来る様に
なっていきました。

必要に迫られて、
飛び込んで行ったからこそ、
殻が取れ始めたのだと思います。


しかし・・・・
会社のために、と張り切りすぎて、
社長にも、自分が正しいと思うことを、
遠慮せずに提言していたら、
「君は、わたしの指導力が
      足りないと言うのか!」

と 普段は穏やかな社長が、
突然プッツンして、大声で叫ばれたのです。

なんと、それから1年近くも
あれほど信頼され、
可愛がられていた社長から
まったく口をきいてもらえないという
思いがけぬ体験をすることに
なってしまいました。

この体験から、わたしは・・・
どんな正しいことでも、
相手が受け取れる形で伝えないと
伝える意味が無いことを学びました。

その後結局、その子会社は市場に適合できず
事業から撤退。
子会社で直接採用した人たち大半の
首を切らざるを得なくなりました。

親しい仲間や部下たちを切るという、
なんとも辛い体験でした。

営利企業と言うものの冷酷さと、
雇われている者の立場の弱さを、
痛感した体験でした。

そんな体験の後、

わたしが激怒させてしまったあの社長が
親会社に強く推薦して、33歳のわたしを
本店の課長で復職させてくれたのです。

1年間干されはしたけれど、
熱意は通じていたのだなと嬉しかったです。


この子会社の社長に対する
わたしの表現方法には
工夫の余地があったとは思いますが、

自分の魂の声に従って、
本音でものを言い続けることは、
結果として私の人生にプラスすると学びました。


親会社に復帰した私は、
高度成長期に向かう
一流企業の若いエリート管理職。
お得意様に出かけるのも
運転手付きの社用車を使うルール。
それはまるで、
テレビドラマになりそうな日々でした。

3人の娘にも恵まれ、家も郊外に新築し、
物質的、社会的には豊かな日々。

しかし、40歳を前に、
わたしの心は揺れ出していました。


自分ががんばり、
会社が発展することが、
環境破壊に力を貸している。
このままでは地球をダメにしてしまう。
自分もその加害者の一人なんだ。
そんな思いがだんだん強くなって来て、
仕事を進めることに迷いが出てきてしまったのです。

押さえてもおさえても、
「こんな仕事を続けるのは嫌だ!」
と魂が叫び続けます。

さらに辛かったのは、
実務を部下に任せるにつれて、
だんだん現場と遠ざかり、
自分自身で直接手を下す仕事が、
ほとんどない状態に
なって行ったことです。

歩く名刺としての役割だけの自分です。
何のために生きているかがぼやけて来て、
働く意味や目的さえ見失っていきました。

この頃のわたしは、
まさしく、心が健康じゃない状態だったのです。

そんなとき、
ある勉強会で問われた言葉
「最近あなたは、どんなことに
        感動しましたか?」

愕然としました!

思い出そうとしても、
感動体験が思い出せない。

1週間、1ヶ月、半年、1年・・・
遡っても、感動した体験が浮かんでこない。

恐ろしい経験でした。
良く考えてみたら、
「自分は生きている」と実感する瞬間は
酒を飲んでいる時か、
麻雀をしている時くらいしかない。
それも、実感していると言えるのか疑問な程度。

ダメだ。このままでは生きた屍になって行く。

この一見安定した地位や収入の
安全地帯に閉じこもっていては、わたしは
ゾンビになってしまう。

内なる声が叫びます。
「生きながら死ぬなんて、いやだ~~~!」


せめて、環境破壊する側から止める側になりたい。

しかし反対運動では、
世の流れは変えられないことは明らかだ。

可能性があるとすれば、
人々の意識が変わることからだ。

そう思うようになりました。


悩みに悩んだ末、会社を辞めて、
意識啓発や能力開発の
トレーナーになろうと決意したのです。


しかし、妻は猛反対です。
せっかく安定した地位や収入を確保し、
新築した家のローンなどの保証が
人生から消えてしまう、と不安だったのでしょう。

妻とも散々話し合いましたが
どうしても、同意してくれません。

「妻が同意してくれなくても、もうやるしかない」

そう決意したとたん、それを伝える前に、
妻は「好きにしていいよ。」と言ったのです。
反対を続けさせていたのは、
実はわたしだったのだと気づきました。

結局41歳の終わりに、
19年半勤めた会社を退職しました。

その時に気づいたことは、

チャレンジしようかどうか悩んでいる時も
枠を飛び出す決意をした時も、

「自分は今、本当の自分を生きている」
という実感があると言うことでした。

妻と3人の娘とを抱え、
家の大きなローンを抱えての決断には
正直なところ、わたしにも不安もありました。

しかし、安全地帯で
生きたまま腐って行く自分は見たくない。
「生きる目的とは、
チャレンジし、成長進化して行く事だ。」

例え、経済的にピンチが来たとしても
魂が腐るよりは幸せだ。
そう決意し、枠を超えた時は
実に爽快な思いを体験しました。
やっとのことで、魂と心と体の健康を
取り戻した気分になりました。



セミナートレーナーとしての新しい人生は
ちょうど、わたしの42歳の誕生日から始まりました

40過ぎての、全く新しい仕事へのチャレンジは、
悪戦苦闘と自己嫌悪の連続でした。
学びの苦闘は数年にわたり、
自分自身が、論理療法のカウンセラーに
相談に行きさえしました。

パーソナル心理学
アドラー心理学
ゲシュタルト心理学やフォーカシング、
サイコドラマやプレイバックシアター、
様々な心理学を学び、
アメリカのエサレン研究所にも何度か通い、
インドのアシュラムで瞑想修業し、
人々の成長を支える心身統合の研究を
積み重ねる日々は最高に輝いていました。

セミナーを通じて、
目の前で自分の殻を破り、
イキイキとした感情や感動を取り戻し
姿勢や表情や肌のつやまで、
みるみる変化して、笑顔いっぱいになる
受講生さんたちの姿を見ることは、
何よりも嬉しいことであり、
積み重ねた苦労を忘れさせてくれる
ものでした。

自己実現する喜びを体感する日々でした。

そんな充実した10年を体験した後、
突然のバブルの崩壊に伴い襲ってきた大嵐。
わたしは、仕事も、家庭も、家も、
全てを手放すという人生最大のピンチを迎えました。

それから5年にわたる、それこそ文字通り
どん底の体験を通じて、
わたしは、プライドと言う一番厄介な荷物を
徹底的に手放すことが出来ました。
手放してみて、それが、
魂と心の健康の邪魔に大きく影響していたことを
実感しました。

ゼロから再起した体験については、
またブログの中でお話して行きましょう。

最後に、
この人生のどん底から這い上がった時、
川の土手に咲く花のように、
突然目に飛び込んで来た
一人の女性との出会い。

全く成育歴も、考え方も異なる元ヤンキー、
歳の差のあるその女性との出会いから
結婚、そして共に学ぶ日々、
それが、やがて冒頭に描いた
窓辺のブランチに繋がっているのです。

わたしが50代に体験した、
想像もつかないほど波乱の人生遍歴が、
今の自由で、枠が無くて、気楽なわたしに
魂・心・体 そろった、
文字どおり健幸な状態に
繋がって行ったことも、これから
少しづつお話して行きましょう。

激しく揺れた76年の人生ドラマを通じて
生涯にわたり「健幸」を維持し、
最後まで喜びに生き切る秘訣を、
わたしは会得し、実践しています。

それは誰でも、実現可能な道なのです。
生命が本来的に備えている叡智
=イノチネ を絶対信頼し、耳を傾ければ、
誰でも、本来の健幸な状態を維持し続け、
納得のいく人生を楽しみ、
人生最後の瞬間まで生き切ることが
出来るのです。

健幸自立、生涯健幸を実現するカギは
すでにあなたの中に在ります。
今、あなたが職場で、私生活で、
仲間や異性との関わりで
見失ったり、限界を感じたりしているなら、

また、生きる意味や目的があいまいに
なって来ているなら、

今こそ、自分の在り方をリセットする時だと
あなたの魂が教えてくれているのかも知れません。

あなたが生まれながらに持っている能力や性質、
まだ気づいていない可能性や個性などの産土を
自覚する時、可能性の広がりが見えてきます。

それらの経営資源を携えて降りて来た魂が
演じて見たかったシナリオは
どのようなものだったのでしょう。

さあ、これから 自分の内なる魂の声や
心の叫びに耳を貸し、表現したり、
行動に移しませんか。

最初はかすかだった声も、
受け入れ、耳を傾けていれば
だんだん良く聞こえるようになります。

やがて、自分がこれからの人生を
本当はどう生きたいのかというシナリオが
見えてきます。

あなたには、すでにあなた独自の人生シナリオを
生きるために必要なものが、実は、すべてそろっています。
それがあなたの産土(うぶすな)です。

あなたらしい、あなた本来の人生を生きる旅に、
あなたも出発しませんか?
このブログは、そんなあなたを応援するために書いています。