「追悼 関根伸夫 <位相―大地>と「モノ派」について」
2019年5月18日 土曜日
多摩美の大先輩にあたる関根伸夫先生が、ロサンゼルス郊外の病院で、
日本時間の5月14日、午前1時20分、76歳で亡くなる。
(ロサンゼルス時間、5月13日、午前9時20分)
<位相―大地>とは、
円柱の土をくり貫いたマウンドを、
神戸の須磨離宮公園のグラウンドに、
土の凹凸として示したインスタレーション作品である。
時は、半世紀前の1968(昭和43)年である。
日本では明治100年に当たり、
パリでは五月革命が起こった年である。
この<位相―大地>は、今でも革命的なインスタレーション作品として、
世界のアートシーンに衝撃を与え続けている作品である。
米国のランドアートにも大きな影響を与えた。
1990年代に、パブリックアート・フォーラムでお目にかかって以来、幾度かお目にかかった。
ブッダのような様相の存在感を漂わせている作家だった。
多摩美の70周年記念式典でも、関根先生に出くわして、ご挨拶をしたのを思い出す。
大阪では、中之島ダイビルにある「風景の指輪」「位相絵画〇」がある。
http://www.art-inter-tokyo.com/daibiru.html
関根伸夫は、1942(昭和17)年、埼玉県に生まれる。
多摩美術大学で斎藤義重(1904〜2001)、高松次郎(1936~1998)に師事し、
1968年に多摩美術大学大学院油画研究科を修了する。
この年にはじめて開催された、第1回 神戸須磨離宮公園現代彫刻展に、
<位相-大地>を出品し、「もの派」のムーブメントが起き、
世界的な評価を受けるのであった。
近年、世間を賑わす東京芸術大学出身の
会田誠の「Monument for Nothing」(2004~)のシリーズは、
関根伸夫の「Phase of Nothingness」(1969~)の影響を受けている。
また、「もの派」誕生には、関根伸夫が多摩美で指導を受けた、
斉藤義重と高松次郎の教え子たちとともに、多くの日本の美術家たちに影響を与えた。
そして、2010年代に入ってから、制作の場をカルフォルニアに移して活動。
そんな経緯からロサンゼルス郊外の病院で亡くなる。
関根伸夫オフィシャルサイト(English)
この<位相―大地>の制作にも関わった、
小清水漸の回顧録が面白い。
この<位相―大地>は、1970年の大阪万博で再制作される。
それ以来、何度か再制作されている。
しかし、小清水曰く、
「この<位相―大地>は、再制作してはならない作品である。
ビッグバンは一度だけのものである。」
と、1996年6月に西宮大谷記念美術館で開催された
『「位相―大地」の考古学』展のカタログインタビューで、
上記のように語っている。
『「位相―大地」の考古学』展では、
原寸大の凸の部分のレプリカ(樹脂製)が再現されて、
展示されていたのを思い出す。
この『「位相―大地」の考古学』展のカタログの巻頭には、
関根伸夫自身の回顧録も掲載されている。
❞<創造>することはできない。
でき得ることは、ものの表面に付着するホコリを払いのけて、
それとその含まれる世界を顕わにすることだ。
顕わにすることが数学であり、美術であり、ハプニングであろう。
(数学セミナー 1969.8)❞
という当時のメモを紹介している。
そして、この当時、1996年においても、
「<モノ派>論の主張は、李禹煥や峯村敏明によってのみ発言され過ぎた観がある。
もっと事実は真撃に受け止めなければならないと言っておきたい。
従って<モノ派>の外部にいる明晰な研究者によって
初めて<モノ派>論は可能なのだと思えるのである。」
という言葉で巻頭の回顧録は閉められている。
2005年10月、中之島の国立国際美術館では、
「もの派―再考」展が開催されたのだが、
関根伸夫自身が語っているように、
外部からの明晰な<モノ派>論は、この時点でも検証されなかった。
あれから13年経った今、<モノ派>論を問う時が来たのである。
峯村敏明は、1986年8月にモノ派が通俗化してしまった問題点を、
「「モノ派」とは何であったか」(峯村敏明 1986年8月15日)
で、指摘しており、鎌倉画廊のWEBサイトにて公開されている。
https://www.kamakura.gallery/mono-ha/minemura.html