「アイドルとは偶像崇拝の対象 ― 西城秀樹」
2018年5月18日 金曜日 くもり
アイドルとは、偶像崇拝の象徴でもある。
アイドルは、テレビ画像製造機より、
音声と光輝く映像からつくられた神話の世界を
表象していると云われた。
現在のアイドルは、
コンピューターネットワークの世界へと誘う
アイコンに取って代わられたとの指摘もある。
たぶん、初音ミクが登場したころから、
アイドルの偶像崇拝の対象が変わったのだ。
生身のアイドルでは、
もう、24時間単位で推移するセカイに対応できないからだ。
初音ミクになってから、
益々、バーチャルリアリティが加速し、
消費社会の進化の過程で産み出されたのが初音ミクであった。
西城秀樹も造られたアイドル神話の中に生きる人だった。
だから、脳梗塞を患いながらも、
諦めたら終わりだという信念の下、
彼は生涯現役の歌手として活動したのである。
3年前の還暦ライブをみると、痛々しい姿が伝わってくる。
(西城秀樹 ヒデキ還暦ライブの様子 : 2015年4月)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=9&v=MEKDv6krrbg
しかし、彼は、神話と化した偶像崇拝の対象として、
ステージに立ち続けるのであった。
魂の覚醒から目覚めたプロの根性である。
スポ根世代の我々にとってのアイドルとは、
偶像崇拝の対象でありつづけることの夢が
自分に何らかの共感をあたえるのだ。
夢を亡くしたのでは、前に進めないからである。
だから、西城秀樹は永遠のヤングマンであったのだ。
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【西城秀樹さん死去】永遠の“ヤングマン”
脳梗塞後もステージに熱い思い
2018.5.17 20:40 産経新聞
http://www.sankei.com/entertainments/news/180517/ent1805170022-n2.html
数々のヒット曲、情熱的なステージで人気を誇り、昭和歌謡曲の黄金期を築いた西城秀樹さんが16日、63歳で死去した。脳梗塞に2度見舞われながら、ステージへの熱い思いからリハビリに励み、約1カ月前にもコンサートで熱唱。力強く歌う姿を見せ、ファンを喜ばせたばかりだった。
高校1年生で上京し、デビュー2年後、昭和49年に「傷だらけのローラ」がヒット。同年末にはNHK紅白歌合戦に初出場した。細身の長身、肌を露出した衣装、ウエーブのかかった長髪、何よりも叫ぶように歌う情熱的な歌唱スタイルが若い女性の心をつかみ、「ブーメランストリート」「ギャランドゥ」などヒット曲を連発した。
54年の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」は、星条旗をモチーフにした派手な衣装と両腕で「Y・M・C・A」とアルファベットを表す振り付けが受けて大流行。世代を超えて一緒に歌える曲として親しまれた。市場調査会社「オリコン」によると5月13日までに約81万枚を売り上げ、西城さんの最大のヒット曲となった。
俳優として出演したテレビドラマ「寺内貫太郎一家」(49年)では、父親役の小林亜星さん(85)と毎回激しい親子げんかを繰り広げる演技が話題に。ハウス食品「バーモントカレー」のテレビCMに長く出演し、決めぜりふの「ヒデキ、感激!」は流行語になった。
平成15年と23年に脳梗塞を発症。25年に大阪府内で行った講演では、右半身に障害があることを明らかにし、「やるという姿勢が大切」「あきらめたら終わり」とリハビリの大切さを強調。軽い運動など心がけていることを紹介し、「こうやって話せるのが生きがい」と話していた。
昨年10月に東京・中野サンプラザで行ったコンサートでは、ほとんど動かないまま歌っていたが、「ヤングマン」を歌うときはおなじみの振り付けを披露、観客をわかせた。言語障害も残っていたはずなのにパワフルなステージを見せ、その後の取材に「歌になると楽に声が出る」と不屈の精神を示した。
今年の誕生日の翌日、4月14日に栃木県で開かれたコンサートで、最後に熱唱したのは「ヤングマン」。“永遠のヤングマン”を全うした人生だった。(文化部 竹中文)


