義母の片付け
ゴールデンウィークも終わりですね。
今年は、実家の母が泊まりに来たので、母の行きたい場所、母のしたい事を叶えて過ごしたゴールデンウィークでした。
私の父は、60歳の誕生日を迎え、定年退職の祝いを家族でした翌日に、末期の胃癌が発覚しました。
お医者様のおっしゃった、余命3ヶ月きっかりに天国に旅立ち、母が1人残されました。
私は、父に頼りきりだった母を気の毒に思い、私の出来る事は何でもしました。
元々、母は家事など完璧主義でなんでも出来るんですが、外で働く事や車の運転等が全く出来ません。
弟が、父が亡くなり母もまだ若い(当時59歳)から、家で悲しみにくれるより、外で働いたら?と言ったら、そんなのお母さん無理よと泣き出し何も言えなくなりました。
母は、昔から私達が言う事を聞かなかったりすると、怒ったりはしないけど、さめざめと泣いて背中を見せるので、怒られるより私はこたえました。
父が亡くなり16年たちましたが、私の気の毒に思った優しさのせいで、母は益々自分で何も出来ず、私がなんとかしてくれると思っています。
先日、夫の父が亡くなりました。
認知症で、義母が家で1人で介護していましたが、もう家で看るのは、無理だと1ヶ月前に施設に入所したばかりでした。
施設で、夜ベッドで寝たまま朝、誰にも看取られず天国に旅立ちました。
突然の出来事に家族全員、戸惑いましたが、待ったなしに葬儀を執り行い、納骨を済ませました。
義母は、働き盛りの40代に車に轢かれ、右半身が、不自由になりました。
車に轢かれ大怪我をおい、入院、手術となった時、当時大学を卒業し、東京の営業所に配属になって家を出ていた息子(夫)には、知らせても心配をかけるだけだからと一切知らせず、息子(夫)が知ったのは、半年経って帰省した時だったそうです。
あの時ほど、悲しく、情け無く涙が出た事はなかったと夫は言っていました。
義母は、息子がおっても怪我が治るわけないから言わなかったと昔話を私にしてくれました。
右半身が不自由でも、農業も家事も全てこなし、義父のことも、本当に限界まで1人で看ていました。
義父が亡くなり、葬儀の夜、まだギリギリまで、ここで暮らす。息子の家には行かない。畑仕事をするほうがいいと。
どうしても無理になったら、施設に入るからと。
89歳の義母は、右半身が不自由て腰が曲がり歩く事さえ困難なのに、杖と手押車で畑に行き、私や夫が手を貸そうとしても、自分で歩くからと、断ります。何か必要な物はないか聞いても、無いと。
車にも乗れず、買い物も不自由しているはずなのに、週に1度移動スーパーが来るから大丈夫と。
ゴールデンウィークの最終日、実家の母を車で送り、そのまま義母の家に夫と様子を見に行きました。
義父が亡くなり、まだ2週間ですが義父の使っていた衣類が処分され、部屋が綺麗に片付けられていました。
手の届かないタンスの上部の衣服を全て出すお手伝いだけ出来ました。
義母をみていて、自分で出来る事を奪ってはいけないと。手を差し伸べる優しさは私の自己満足かもしれないと考えさせられました。
ブログを始めて、丁度1年たちました。
いつも読んで頂きありがとうございます。