タスキに長し…

使い勝手がいいようでよくない、または丁度よくはない意味で

以前勤めていたアパレル会社の上司がよくデザイナーに対して愚痴るのに使っていたこの言葉を

私はよく思い出す


なるべく自己治癒したいが、どうしても現代医学に頼らずを得ない時もあるね

「どしたの?」

風邪らしき症状を話すと薬を出してくれた

地元の小さな病院は
お父ちゃんは糖尿
お母ちゃんは心臓
アタシは緊急時だけ

と家族でお世話になっている

が、

ちょっとヤブ

でも、そのお陰で空いていてすぐ診察してくれる
具合が悪い時に1時間も待たされるのは苦痛だ

手に負えない時は適切な病院に紹介してくれる

処方箋は4日間飲んでもちっとも良くならなかった

「いまからインフルエンザの検査してもねぇ…
じゃ、抗生物質だしとくね」

つって…台風

をい!!ヤブ医者!

アタシの4日間を返せ!

帯に短し、タスキに長し


前の年に言われたんだよ


「もう、お前をかわいがるワケにはいかないんだ」


ってさ



兄貴を浦和に置いてきただろ?


ってゆっても、兄貴はお祖母さん子だったから母親の家出にはついて行かなかったと思うよ


母親なりの理由はこうだ


「離れて暮らしている長男がかわいそうだ。お前は一緒に暮らしている」


平均をとって、


お前にはもう、手をかけない


とさ


だから小学校帰ると、母親が指定した店に行って飯を食べる


昼に母親が食べた食堂でアタシの夕飯分も払っておくのさ


アタシはそこに行って一人で食べるだけ


でもさ、夕飯を食べる時間が3時くらいだろ


寝る前には腹ペコさ


朝は毎日、ひもじくて目が覚める


お客さん、経験あるかい?


ひもじくて自分の指を噛んで痛くて目が覚めたコトって、あるかい?


そのころのアタシは毎日がそうだった


「あぁ、やっと食事にありつけた!」と思った瞬間に目が覚めるんだよ



文句は言わなかった・・・・ただ、その日だけは特別だと思って我慢していたんだよ


手をかけないって言ってもさ、自分で産んだ子供の誕生日も忘れるもんかね


子供はさ、その日が来るのをどんなに楽しみにしているか、お客さんだって経験あるだろ?


いつもより豪華な食卓さ


なんとなく自分の好きなものばかりテーブルに並んでいる


なぁに、和洋折衷でもかまいやしないさ


赤いイチゴがのった白いクリームのケーキ


いまでも、夢に見るよ


一縷の望み(いちるののぞみ)っていうのかい?


前の年も食卓にはなんにも並ばなかった


「きっと去年は忘れてたんだ。今年はきっと・・・」


なんで、夢をみていたんだかねぇ


結局、ショートケーキのひとかけらもテーブルにはなかったよ


それで、ついにやっちまった


なんて言ったのか、覚えちゃいないけど母親の癇に障ることをワザと言ったんだ


カラダの大きな母親の手はやっぱり大きくて、チカラも強い


一発目で、痛いというよりしびれるんだ


二発目はジーーーンとしてくる


三発目、意識には無いよ


それでも、気が収まらなかったんだね


アタシの髪をつかんで階段の上まで引きずっていった


無言でそこから突き落とされたのさ


どのくらい時間がたったんだろうね


九月はまだ日が高いはずだけど、もう夕方だった


不思議なもんだね


アタシはこの出来事をしばらく忘れていたんだ


飼っていた犬、猫を保健所につれて行かれた事もそうだけど、人間は本当に辛いことは記憶から消すのさ


生存本能っていうのかね


覚えているのは、自分の腹に当てた包丁が冷たくて驚いたことだけさ


お客さん、人間生きるのもしんどくてイヤになることもあるけどさ


生きていれば、きっと楽しい日が来るって、まだ11歳のアタシは悟ったね


アタシは今世で親になれずじまいだけどさ、子供を殺そうって


そんな心理はやっぱり、病気だろ?


アタシが消したかったのは母親の殺気だったんだろうね


ま、その一か月後にポックリ母親は酒と薬で死んじまったんだけどさ


「眠れないから」って、薬屋のおやじからもらっていたんだよ


前日に別れた亭主の実母と妹が草津に観光に来ていて、母親の呼び出されて聞かされたんだね


元亭主が再婚した、と


他に何を言われたんだか、知らない


その晩は、ひどい酔いざまで帰って・・・・・荒れていたねぇ・・・


もっとアタシが大人だったらね・・・助けられたかもしれないし、家出について行ったのが兄貴だったら


もっと母性に目覚めて違う母親になっていたかもしれない


ほんとに、人生なんてさ


ピタリ!とくる答えなんて見つからないもんなのかねぇ・・・・


あぁ、母親が亡くなったおかげでアタシはこうして生きていられるんだけどね


雪、やんだみたいだね


早く春がくればいいねぇ




まだ、その頃は母親が25・6歳だっただろうね


18歳で結婚して、翌年に兄貴、二年後にアタシが生まれて


32歳で死んじまった


なんて、早い人生かねぇ


「太く、短く生きた」


なんて、他人は勝手な事を言うけど


身内にしてみりゃ


タマッタもんぢゃないさ


好き勝手して、自力で生きていけない子供を残して


勝手に逝くなんてさ



身内が言うのもかわいそうだけどさ、決して美人ではなかったね


父親より身体が大きくて、だんごっ鼻の、一重瞼の残念な顔だった


でもノリが良くて愛嬌のある女だったから


男にはモテたね


面食いだったみたいで、いっつもいい顔の男を連れてきた


小さな子供がいたって、男を連れ込むんだから


親としての常識は持ち合わせちゃいなかったね


まだ小学生のアタシを連れてホテルのその当時のディスコに夜な夜な遊びに行ってたけど


今の時代なら「虐待」って言われちまうんだろうね


それとも、育児放棄かい?


仕事はまじめにしてたさ


負けず嫌いで派手な性格だったから、お客より飲んだみたいだ


「今月は売上が一番よ」って嬉しそうに言ってたっけ


芸者の売上は指名料と呼ばれた座敷で売れた酒の数さ


そうさ、芸者として売れ始めてからシラフで帰ってきたコトなんか、なかったよ


ヒドイ時は、救急車の担架で運ばれてきたよ


ヒドイのは、そればかりぢゃない


売れっ子芸者だってコトをいいことに、見番に楯突いて独立したことだね


売れっ子芸者のトップ5人と鳴り物上手(三味線)な年寄芸者一人を引き抜いて


見番が「うん」というまで雲隠れしたのさ


詳しいことは知らないが、アタシまで学校を休んで仲間の家に隠れていた


しんしんと雪が降る晩に、離反芸者の顔を心細いろうそくの火が照らしている風景をよく覚えているよ


その翌朝に積もった雪を漕いで自宅に帰ったんだよ


母親の胸まで積もっていたから、溺れるかと思うほどの雪だったね


それで、雪が解けた頃に自分たちの見番を立ち上げて、「やまぶき会」の看板を掲げたのさ


クリスマスと大晦日以外は休みはなかったよ


記憶に残る母親の姿は仕事前の支度する後ろ姿さ


一緒に食事をしたのはクリスマスで、ホテルのクリスマスショーとかの食事さ


母親の味なんて、知らないね


化粧が上手で、着物が似合っていた


これで、母親としての愛情にあふれていたなら文句なかったけどね


芸者は支度に金がかかる


着物に履物、カツラにかんざし


稼いでも酒飲んで使っちまう母親だったから、亡くなった時にはかなりの借金があった


ま、それもパトロンがきれいに払ってくれたから、よかったけど・・・


人の善さそうな薬屋のおやじだった


どんなに善い人間でも、オスは雄さ


アタシは嫌いだったね


母親も別に、そのおやじが好きだったワケぢゃない


金のためさ


金でカラダを売るような女はダメだよ


そう簡単に心とカラダを割り切れるもんぢゃないさ


どんどん心とカラダのバランスをとれなくなっていたのさ


でも、子供のアタシにはわからなかった


お客さん、雪が降ってきたみたいだよ