おや、お客さん
よくこんな寒い晩の出てきてくれたね
早くお入りよ
凍った空気が入り込んで来ちまうよ
さ、奥へお座りよ
さすがに、こんな冷えた晩は寂しい呑兵衛もやって来やしないさね
熱いのを、つけようかね?
さ、どうぞ
冷えた胃の腑には、熱燗が落ちていくのがよくわかるだろう?
日本海側ぢゃ、豪雪だってね
お客さんは東京の人だろ?
雪の恐ろしさは知らないだろうね
一晩で背の丈くらい、平気で降っちまう
よく、母親と雪の中を漕いだね
「漕ぐ」ってかい?
あ?知らないのも、無理ないね
腰以上の雪の中を歩く事を「漕ぐ」って言うのさ
お客さん、おっかさんはご健在かい?
そうかい、ご両親とも健在なら安心だ
いいかい?お客さん
いつか、親はいなくなっちまうんだ
今のうちに、感謝だの、恨みつらみも言っておくんだよ
そうさ、いくら親だって、みんなが立派な親ぢゃない
駄目な親だって、いるもんだ
恨みの一言だって、言ってやりたくたっていなきゃ仕方がない
子供はさ、親の顔色をうかがいながら大きくなるんだ
その親がさ、駄目だったら・・・・どうするよ?
今晩はアタシの母親の話をしようかね
夜中に、母親が暗い玄関に立っていたんだよ
今にもドアを開けて外に出ていく様子だった
ピン!と来たね。子供の直観さ
「連れて行け」って泣いたら、母親はしぶしぶアタシの手を引いて
真っ暗な夜道を歩き始めた
案の定、どこをどうほっつき歩いたのか、記憶にない
あるのは、朝の公園の青く塗られた土管の中で目が覚めて、母親が公衆電話で電話していたことと
目が回るほどタクシーの中で揺られてたどり着いた雪景色と、湯気で真っ白な臭い風呂に母親と冷えた身体を温めていたこと
草津温泉だよ
母親の家出に付き合ったら、草津温泉にたどり着いたのさ
まだアタシが5歳くらいだったから、記憶に無いのは仕方ないだろ?
母親が家出をする晩、目が覚めたのも子供の直観さ
胸騒ぎがして探したら玄関に立って背を向けてドアを開けようとしている母親を見つけたんだ
その後、
「どうしてお前ばっかり母親にかわいがられて!」
ってよく兄貴に責められたもんだけど
付いて行ったのが、アタシでよかったのさ
兄貴だったら、耐えられなかっただろうね
いや、わからないね
アタシぢゃなくて、兄貴が母親についていたら
今も生きていたかもしれないね
まったく・・・・人生はさ
答えが出ないことばっかりだよ
お客さん、今夜は遅くなっても大丈夫かい?
熱燗をつけようかね