私の場合ですが、特性からか、事実を断片的にしか取得できなくて、

物事の流れを含めては相手から受け取ることができません。

それでか、その事実のピースをつなぎ合わせて、自分の解釈を通して、理解につなげる作業をします。

そこで、こまった作用をするのが被害者意識です。

一旦、その人が私に対して害を及ぼすようなことをする人だ、という認識ができると、

その人の行動を「何か私に悪いことをしようとしているのではないか」という角度から

検証するようになってしまいます。

そのため、事実無根なことでも思い悩んだりするわけです。

特にデータが少なくなってしまうと余計にです。


これを防ぐには、憶測をそうでないという事実で潰して安心させるか

深読みといわれる考え方自体をなんとか変えるか、です。

深読みをするなといわれながら、どうしてもいままで、改善にいたらなかったのかというと

深読みするメカニズム自体が、自分の思考システムそのものであるからだったのでしょう。

断片的なものに繋がる部分を見つけて、それで全体像を作るというのは

実は私の能力でありながら、その使い方を間違えて、自分を苦しめることになっているのだから

やっかいなものです。

深読みすることだけをやめるという器用なことも、どうもできないみたいで、

自分にとって大事なことであればあるほど、自分の使える能力を注ぎ込んでしまいます。


根本的に、今までの私自体を捨てるしか、仕方ないのでしょうか。


ここまで書いたところで、いつも私の思索を広げるのを助け、新しい視点を与えてくださる

ふたりに会いに行きました。


今日でよかったです。


彼女は言いました。(正確でなくてごめん)


外の環境変化で自分の受け入れられないものに対しても、自分の解釈で受け入れられる形にして

飲み込まなきゃと思っていた。

そして、飲み込みきれずに、自分がしんどい思いをして、そして誰も分かってくれないと思っていた。

でも、そうじゃなくて、自分が外に対して自分の思いを伝えられていなかったんだ。

伝えれば、わかってくれない人もいるだろうけど、わかって、助けてくれる人もいる。


まさに、私の「解釈」に対する答えでした。

これまでの思考システムそのものを捨てることなどできない、だから変わることはできない、

と出かけるまでは思っていました。

でも、解釈で自分の心の中に押し込もうとしても、無理が生じるだけなら、

自分にだけ関わって問題を解決しようとするのではなく

人と関わることによって問題を解決する方法もとれるように

変わることを考えてみてもいいのではないかと思えました。


私にとって解釈は根深くて、

「解釈するな」ということを分かったつもりになっても、

あとでまた、まだまだであることを知らしめられます。

ついつい、今までどおりの思考回路のほうが楽だから

油断するとそちらの方へ戻ってしまうようです。


私は全力でこのことについて考えて、こう解釈したんだ~。

この私の思いをそのままを受け止めてくれ~と体当たりしてしまう自分でなく、

もうちょっと、力を抜いていいところは力を抜いて、

筋を通すところだけは、しっかり通して

受け止める相手にとってももう少し受け止めやすいまほろんになりたいな、

そう、あらためて思えた日でした。