すみません。まず、はじめに大風呂敷を広げました。

このテーマに、さらに7月26日日経新聞読書欄の松井彰彦教授のコラムを足して、書きたいものがあるのですが、いかんせん、風呂敷が広すぎるようで、まとまりません。

「マイノリティ」を縦糸に、「ふつうとはなにか」を横糸にして、何かができる気がして仕方がないので、思い切って賽だけ投げてみました。

あとは、思いつくまま書いてみるのみ。


とりあえず、松井先生のコラムの一部抜粋をしてみます。

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日本は移民を拒むと同時に、障害者を施設に隔離すること、あるいは、家庭養護促進協会主任ケースワーカーの米沢普子氏(経済セミナー8・9月号)が指摘するように、親と暮らせない数多くの「ふつう」ではない子どもの存在を無視することなどで、「ふつうの人」ばかりの社会を築き上げてきた。その結果、「ふつう」の範囲が狭い、息苦しい国となった。声の大きな「ふつうの人」にしか目が向いていない社会は、決して豊かな社会とはいえないだろう。

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松井先生は、私にとってみては「めっちゃくちゃ優秀なゲーム理論の先生」というイメージ。経済学をかじったことのある人ならご存じのことですが、理論経済学ってやつは、「人は合理的な判断に基づき行動する」という前提のもとで話が進められるものなのです。で、その先生が、同コラムの中で

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視点を変えると、自己決定の問題は、現在の経済学の限界を白日の下にさらし出しているともいえる。経済学では合理的な、意思決定ができる主体=経済主体を想定して、その論理を構築しているが、今回の問題(=15歳未満の子ども等でも家族が同意すれば臓器提供ができるとする、臓器移植法の改正のこと)は合理的な意思決定ができないとされる個人が厳然と社会に存在し、しかも、そうした人々の意思をどのように汲みとっていくかという看過できない大きな課題を提起しているからである。

*カッコ内は、まほろんによる注釈

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と、理論経済の根底に疑問を投げかけてはる。

そして、ちょっと気になったので、先生の最近のお仕事を調べてみると、こんなことしてはりました。

総合社会科学としての社会・経済における障害の研究

あの・・・コラムを読んでると、すんごく面白いのですが。いかんいかん。


うわ。先生、発達障害にも触れてるわ。

「知的能力は高いが書き言葉の理解が困難な発達障害など、福祉制度と「ふつう」の制度の狭間で見捨てられた人々には何の手も差し伸べられない。その結果、きちんと教育を施せば社会で活躍できるであろう多くの子どもたちとその親が必要のない痛みを抱えて日々を送っている。」


経済学という手法を用いて、障害者問題にアプローチされていることに、超感動中です。

いろんな方向から、マイノリティの問題を解決しようとする手があることに。


これを自助努力という形でやり上げているのが、椿姫彩菜さんだと私は思うのです。


というところで、次につづく。