冷蔵庫の棚拭きあげれば白く光りむろん明日は日曜ではない   宮田知子

 

 

窓際で日干しをしてるおじいさん全裸かどうか太ももを見る   山川藍

 

 

止められても徒歩がいいのだ酔うてこそ大きくふるう夜半の両腕   荒川梢

 

 

病棟を渡る怒りの声ありて叫び方を思い出させる   伊藤いずみ

 

 

嘆くように飲むのは止めろよ朝が来て酔いがさめても俺たちはおんな   小原和

 

 

ただいまをまだ言わぬ父にキッチンの吾もわが母も息をひそめおり   加藤陽平

 

 

六千円払いて二日で治りたる眩暈の果てに老婆見ゆ あれは   北山あさひ

 

 

引越しは嫌だソングを歌いつつ子の瞳からは無数の雫   木部海帆

 

 

二日ほどベランダにあるカナブンを放り投げれば賽銭のごとし   小島一記

 

 

もう君に会わないわれは よく冷えた秋果も孤独も色には例えず   小瀬川喜井

 

 

うちがわに満ちる力をもてあまし産毛こくある桃と少年   後藤由紀恵

 

 

一滴の鼻血のようだ社長室のグレーの床のうえのクリップ   佐藤華保理

 

 

クレジットカードの明細見つむれば、数(すう)なれば、濃く感情の滲む   染野太朗

 

 

たましひの一部がふとん 労働はふとんを離れゐるゆゑ苦し   田口綾子

 

 

プラタナスの枯れ葉を車輪でひきしのちふりかえる一瞬のきみの顔   立花開

 

 

くるぶしの骨ほど背丈を伸ばしたる少女の時間を一夏と呼ぶ   富田睦子

 

 

 

 

人生の夏の盛りは傾きて晩夏に至る頃より淋し   加藤孝男

 

 

濃き淡き鯖雲の浮く朝の空素数の月に生まれたかった   広坂早苗

 

 

脱出が敵前突破という話われは好めり老いたればなお   市川正子

 

 

はらわたをゑぐり出せば暗き洞あり国産といふ名の秋刀魚   島田裕子

 

 

みずからの言葉に傷づきいるわれをすっぽり包む今日の落日   滝田倫子

 

 

梔子の残んの香りを散らしゆく風にすがらむ雨を連れ来よ   寺田陽子

 

 

飛行機に乗りて昇るは寂しかり空の真中へ抛らるる椅子   麻生由美

 

 

めっきりと薄くなりたる母の髪を見しより続く下痢に苦しむ   高橋啓介

 

 

屈み込み五右衛門風呂に夥しき本を燃やしぬかの夏の果て   升田隆雄

 

 

一本の青桐あらば寄りゆかむしろがねのねぢ埋めたる足に   小野昌子

 

 

雨の日の朝顔の花いろもちが良いと言いつつ濡れてくるひと   齋川陽子

 

 

脚力の落ちてきたるに抗わずゆったり行かな夕べの野道   齊藤貴美子

 

 

二十代から六十代のアンケート八十代と言えば切れたり   松浦美智子

 

 

山中にひろごる緑化センターの夏にきわだつ夾竹桃の花   中道善幸

 

 

空に挿すメタセコイヤの影ながし坂の半ばに風わたりくる   柴田仁美

 

 

青空へぶんと梢を張りながら寂しいだけの欅いつぽん   久我久美子

 

 

戦争を思うことなく八月は「寅さん」に笑い切なかりけり    岡本弘子

 

 

投手戦になりて七回無得点かわるがわるに三人ずつ死ぬ   岡部克彦

 

 

のけ反りて殻を出でゆく蝉に遇う薄き緑の羽伸びてゆく   小栗三江子

 

 

病む妻はもう大好きなスーパーへ行かぬであろう甘きおけさ柿   吾孫子隆

 

 

 

 

 

 

病むことに支へられつつ生きて来しつよくはかなき実感のあり   橋本喜典

 

 

譲れざるけじめのあらむ大きなるマスクせしまま喋る人あり   篠 弘

 

 

堪え性もともとあらずいいところまできて放しし運の数々   小林峯夫

 

 

夕つ日に光と影のあらわなる竹林音なきものの住むらし   大下一真

 

 

ああ俺は汗かきまくり詮もなきエアロバイクに荒野をゆくかな   島田修三

 

 

うすものをまとふ弥勒はいまにしもわれと遊べと立たむとすなり   柳 宣宏

 

 

さくさくと枯あぢさゐの花首を剪りたるのちの木鋏の錆   中根誠

 

 

銅剣の互ひ違ひに置かれしは何ゆゑ二千年を眠りて   柴田典昭

 

 

静かなる声の明治ははるかなり樹下に埋もれて牛飼の歌   今井恵子

 

 

海底のトンネルゆくときうろこみなぬれて光れりわれの総身   中里茉莉子

 

 

まだ誰も吸はぬこの朝いちばんの空気吸ひ込み草抜きてゆく   松坂かね子

 

 

車より降りたてば眼鏡くもりたり炎天に父が爆死せる時刻   曽我玲子

 

 

ローズマリーの香りが残る指先を大切にしてページを繰れり   山田あるひ

 

 

茄子畑の茄子がとろけて腐りゐるけふ原爆忌びしょびしょの雨   大槻弘

 

 

石にふれ水にふれつつゆれてをり風に従ふ萩のしづけさ   大林明彦

 

 

 

 

 

 

天明を没年とする墓もあり飢饉ありても家を継ぎ来し   上野昭男

 

 

母の日にわが目を合わせ微笑みぬお母さんはわたしのお母さんだから   杉本聡子

 

 

投票の記念は意思を残すこと無記名用紙を男子が欲しがる   田村ふみ乃

 

 

キツコーマンの暖簾が日焼けしてをりぬ老婦商ふ醤油カステラ   森暁香

 

 

軍隊は変身しないし血も出ると教える前に子は眠りゆく   浅井美也子

 

 

「七つの子」歌えば山にまぼろしの孫いるごとく思えてうたう   中野豊子

 

 

藤浪にカーブ教えしは我なりと少年野球の父らの神話   高木啓

 

 

完熟のブルーベリーをザルに採る微熱のような気怠さの粒   菊池和子

 

 

飲み終へし薬包紙にて折る鶴の真白き姿いずこへ飛びけむ   栗本るみ

 

 

哀惜にかかわりもなく季はゆき白きアジサイ冴々と咲く   松本ミエ

 

 

看護師は明るきひかりを携えて深夜勤務に木霊と生きる   大葉清隆

 

 

ミニ薔薇のかろき鉢さげ金曜の夜をふらりとわかものが来ぬ   智月テレサ

 

 

成りの良き夏野菜籠にあふれさせ仮設住宅(かせつ)の友へ持ちゆかんとす   宇佐美スミ

 

 

録画せし映画半ばで一度止め後の半分過ちて消す   今井百合子

 

 

亡き姑のうすずみ色のアルバムにわが夫幼く眠る一枚   松本いつ子

 

 

手を伸ばしそつと触れたし噴水の光のかけらが集まりて虹   茨木久子

 

 

いてもいい居なくてもいい老いの身に居場所たしかな己(おの)が菜園   金谷静子

 

 

熊の子は銃撃されし母を待ちわれは戦死の父を待ちにき   諸見武彦

 

 

いつの日か笑わなくなり丸まった背中をさする人もいなくて   広沢流

 

 

夕立が激しく降った七月の日記に傘の絵を幾つか描く   片桐真喜子

 

 

二次会に消えるお金を下ろすため道路をわたり108円はらう   山田ゆき

 

 

 

 

雨雲のたれ込めるように響きくる鳥のうた梅雨の湿りを分けて   宇佐美玲子

 

 

励ましは一切言わずただ聞き入る阿武隈川に車を停めて   西一村

 

 

炎天の棚田歩きの休みどき冷凍みかんに頬を冷やせり   相原ひろ子

 

 

いただける野の百合の束抱へ持ち中学生に席を譲らる   庄野史子

 

 

午前二時喉の乾きに目を覚ましごうごうと降る雨音を飲む   矢澤保

 

 

切り分けた文明堂のカステラが食べられてゆく文明人に   伊東恵美子

 

 

ジャンプして転がり遊ぶ幼子が去り座布団のへこみが残る   広野加奈子

 

 

幾度(いくたび)も脚立を降りて水平を確かめ垣のさざんかを刈る   金子芙美子

 

 

梅雨空の奥に夏空ある気して洗濯する手を弾ませてをり   横川操

 

 

咲きつぎてのうぜんかつら蔓伸ばす封書の中身は講座の案内   熊谷郁子

 

 

わが父は苔野二郎のペンネーム歌人名鑑にその名連ねき   苔野一郎

 

 

おおよそは羽の動きに飛ぶ鳥を見分けん朝の大空に追う   大山祐子

 

 

母猫にまことそつくりの三毛の猫コピーと名を得て二十年生く   河本徳子

 

 

落し物ジプロックに入れ木につるし持ち主を待つ我の生活   坂田千枝

 

 

 

 

金麦はかなしからずや青の缶、白の缶にも麦の絵揺れて   田口綾子

 

 

火を掴むされども夢のわたくしは火を知らざれば燃える手を見る   富田睦子

 

 

花のない初夏の花園二周してベンチですこし君と眠りぬ   立花開

 

 

折れるほど固いものや強いものが私になくて侮られている   宮田知子

 

 

母は朝三度言いたりわたしたちパンを食べるのもうやめようね   山川藍

 

 

日傘の柄の木のひび割れをなぞる親指 目を合わすたび   荒川梢

 

 

神様はいるらしいかづち炎昼を裂きスーパーの駐車場も空く   伊藤いずみ

 

 

実家へと妻と子どもの行きたれば父のト書きを見ずに箸もつ   大谷宥秀

 

 

「すぐ!すぐ!」と救急からの電話受けモルヒネ1A(いちあん)掴みて駆け出す   小原和

 

 

赤飯を毎日たいてもいいですかと母は言いおり危うかるべし   加藤陽平

 

 

生きてゆくことしかできず夏の血をしずかに吸わせている広島忌   北山あさひ

 

 

「ばくだんがあたらなかった」クスノキを調べて夏の宿題終える   木部海帆

 

 

蚊を叩くことができずに蚊が去りし後の痒みにムヒをぬるなり   倉田政美

 

 

知事選の政見放送つるつると朝餉の納豆絡ませている   小島一記

 

 

遠ざかる白杖の音ホームにはなまぬるき風せり上がるのみ   後藤由紀恵

 

 

半日を保育所にいる幼児を引きわたしつつ出す請求書   佐藤華保理

 

 

ドトールでアイスコーヒー飲むうしろ父のごときの怒りてゐたる   染野太朗

 

 

 

仏壇にあるのど仏父親の美(は)しき盛りを見し夏もすぐ   加藤孝男

 

 

空港に遅延の便を待ちおれば夜盗のように息子あらわる   広坂早苗

 

 

死後という時持つ死者にこれの世の時もらいいるつくつく法師   市川正子

 

 

女童のやつさやれやれ囃しあふ勢ひは増す母たちの撥   島田裕子

 

 

やぐるまの紺の深みに耳よせて逝きたる人のさざめきを聞く   滝田倫子

 

 

秋されば茎をもちひて籠を編む年中つくるものにあらずき籠は   麻生由美

 

 

ちちと鳴り水仙荘より請求のフアツクス届きつまぼろしの旅   升田隆雄

 

 

乳母車の犬の頭を撫でながら危ふき錯誤ありてさすりつ   寺田陽子

 

 

つばくろのすべるごと入る寺の門ちちははの忌を忘れ果てたり   小野昌子

 

 

荒れ狂うしぶきに濡れて最大の光量を誇る灯台の灯は   中道善幸

 

 

野薊の花に寄りゆく棘の原いくさ仕掛くる予感に怯ゆ   齋川陽子

 

 

若き日に市議員選挙のウグイス嬢務めて朝より汗ばみたりき   齋藤貴美子

 

 

海見ゆる駅の屋上広場には食事する人ありてのどけし   松浦美智子

 

 

週末の十三回忌の夏は来て父なき家に足は冷えゆく   高橋啓介

 

 

夏草の絡まり茂る夕まぐれ傷あるものの喘ぎゆくらむ   久我久美子

 

 

どれ程の怒りが腹に留まりしや「お前」と息子がわれを呼ぶまで   柴田仁美

 

 

マンボウは疲るる横顔見せながら泳ぎを忘れへばりつきおり   岡本弘子

 

 

速や足に歩む然れどもいくたりか老夫婦にも追い越されたる   小栗三江子

 

 

すでにして後期高齢暮れなずむ空に入日がまだ残りおり   岡部克彦

 

 

たっぷりと水気に浸る湿原の榛(はん)の木林は漠然とあり   吾孫子隆

 

 

 

 

それぞれの老にそれぞれの相あれば一己の老をわれは詠むのみ   橋本喜典

 

 

ひまはりの大き花芯はきらめけり目に冴えざえと炎をあぐる   篠 弘

 

 

彼岸花は死人(しびと)花とも言うらしいとり巻かれおり燃え立つしびとに   小林峯夫

 

 

汗をかく否汗が噴く人間の無駄なき機能と聞けどうとまし   大下一真

 

 

日本人はすつかり大人になり果てて天皇ばかりが少年である   島田修三

 

 

大切な三千円をポケットにさはる久保田の千寿買ふべく   柳宣宏

 

 

天国の母恋ふゆゑに首伸びて“キリンの子”かと半ば肯く   横山三樹

 

 

パトカーがわが駐車場塞ぎゐて夏の没日(いりひ)に眩(めくら)む思ひす   柴田典昭

 

 

雨音のように亡きもの気配あれど非礼を詫びんと思えば居らず   今井恵子

 

 

ピンカーブ幾曲りして下りゆく八甲田越えて橅の真みどり   中里茉莉子

 

 

茜雲に見入りてをれば吸ひ込まれさうな鋭角の傷口のあり   亞川マス子

 

 

鷺になれず蜥蜴になれず意地わろき妻でいる日の足首冷ゆる   曽我玲子

 

 

棄てられず棄てずにありし戦中の母の遺品は私で棄てる   山田あるひ

 

 

命日は目を瞑るのみ供えたるほたるぶくろの中に入りて   佐藤鳥見子

 

 

胸に手をあてて見ている野の花の蕾のままに萎みて落つる   今川篤子

 

 

あの雲に私は乗れそう分厚くて巾も身丈もゆったりしている   仙 貴美惠

 

 

ふり返ることはそろそろ止めませうわれより長き子の影法師   大野景子

 

 

のこるみづ自分の足に颯(さ)と掛けて夏の夕べの打水終ふる   大林明彦

 

 

 

【特集 短歌のヒューモア】

 

古典作品に見るヒューモア 鮒やら鯉やら     島田修三

 

【書評】

 

大口玲子『神のパズル』評       今井恵子

 

【作品7首】

 

朗朗介護                 升田隆雄

 

【連載】

 

歌のある生活⑮             島田修三