こんにちは、マチエール欄所属の広澤治子です。
今回は同じマチエール欄の浅井美也子さんです。
愛知県出身の作者は、2014年にまひる野に入会し、2017年に第62回まひる野賞を受賞しました。
その受賞作である「しまいゆく夏」の中から12首を紹介していきます。
足たかく掲げ寝がえりする吾児のえがく半円きょうから夏だ
寄せ返すことばの波のみなぎわにママと呼ばれる日を待っている
冒頭の二首にはこれから成長していく子供への希望や期待が光のように明るく詠まれている。
まだ「ママ」と言えない子供との対話も大切なひと時なのであろうことが感じられ、ふいに幸せに包まれる安心感を抱いてしまった。
昼餉には温きにゅうめん子育ては沼のようだな細葱きざむ
楽しいといわねばならぬ幼な児と公園に砂の山つくりゆき
ここから突然夢から覚まされたかのようで、あれっとなる。現実はきらきらも安心もない。
子供が赤子から幼児へと成長するということは一人の発展途上の人間と向き合わなければならないというもので、うれしいことだけでは決してないのである。
先の見えない不安は沼のようであり、不安を膨張させないためにも楽しいと言わなくてはやってられない心の足掻きのように思える描写が、また不安になる。それだけ子育ては大変なことだということが、子供を産んだことのない筆者にさえ伝わってくる。
柔らかきところ磨り減るわが体にああこんなにも低き声でる
読まぬまま積み上げてゆく新聞のふとも崩れて終わる一日は
身体感覚として心が磨り減っていく様を描いているのには共感が持てた。こんな状態になりながらも冷静に今までの自分にはなかった声を発見しているところには、心の鋭さを感じる。
唇をきつくむすんで一日を過ごせば下がる怒りの沸点
沈黙はきみの結界やぶる術をもたねば強く米を研ぐのみ
自身の怒りを抑えて我慢しなければ家族の何かが崩れてしまうような、微妙な心情が見受けられる。
耐え忍ぶは古いと思うだろうが、まだまだ家族とはそこまで単純でもないし、簡単でもない。
私が、あなたの母であることに大きく赤く×をうつ
染みだして滴りおちて知らぬ間に溜まりゆく澱 母にならねば
大丈夫と問いあいながら過ごしいるまだ安定期に入らぬ家族
自己評価をするとダメな母であるとしてしまう気持ちを強く描いている一首なのだが、それでも母にならなければいけない葛藤が苦しい。母になるとはどういうことなのだろうか。
一連は子供を育てる過程のひと場面にすぎないのだが、子育てだけではない日常の葛藤もせつにリアルに描いている。
「子育て」に関しては、今まで数多く詠われてきた題材でありながらも浅井の表現力は胸を打つものがあり、30首すべて通して読んでほしいくらい薦めたい作品です。
今回は受賞作のみ抜粋で紹介しましたが、毎月のまひる野に載っている作品も機会があったら、(まひる野ブログではないかもしれませんが)紹介したいと思います。
最後に「しまいゆく夏」から私が好きな一首を
デコイチも新幹線も走らせて児のつくりゆく線路の無限
広澤治子(ひろさわはるこ) マチエール所属
近作は「ヘペレの会」発行の冊子『ヘペレの会活動報告書Vol.1』「ゆらぎ」15首。
次週予告
1/18 (金) 12:00更新 山川藍のまえあし!絵日記帖⑧
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