こんにちは まひろです。
ご覧いただき、ありがとうございます。
起立性調節障害・副腎疲労症候群・機能性低血糖症などの病気から回復した経歴を持つ、1991年生まれの娘と1997年生まれの息子のを持つ母です。
息子が不登校になったのが、小学5年生の時。2008年のことです。
そして遅れること5年、当時大学3年生の娘もダウン。
紆余曲折の末長いトンネルから脱し、現在娘は歯科衛生士の資格を修得して、市内の総合病院に勤務、息子は国立大学大学院卒業後、大阪市内の教育関係の会社に勤務する毎日です。
息子の場合、ぶり返す起立性調節障害の陰には、副腎疲労症候群が潜んでいました。
我が家の経験が、今現在苦しい思いをしている方の回復へのヒントになれば…。
そんな思いをこめて、このブログを書き進めていきたいと思います。
いきなりですが、息子の小学5年生から現在までの経緯をざっくり紹介したいと思います。
長くなりますが、一気にいきますね
小5(2008年)
GW明けに初めて「学校へ行くのがいやだ。」と言い始め、担任の先生と相談して一週間休ませて、その後1学期中は送り迎えをしながらなんとか通う。
2学期からは機嫌よく通い始めたものの、11月中旬から2度目の行き渋り。担任の薦めで市の教育センターにある教育相談所に行く。
不登校の子が通うフリースクールがあるが、本人が学校の方がいいと言うので、休みがち、遅刻・早退しがちでなんとか通う。
小6(2009年)
4月から問題なく普通に通う。
が、11月中旬から三度目の行き渋り。またも休みがち、遅刻・早退しがちでやり過ごす。
その間私立中学進学も考えるが、見学に行ってみて本人が「遠くてとても通えない。」と言うので断念。
近くの公立中学へ進学する。
中1(2010年)
中学に入り、小学校での行き渋りの不安を払拭するかのように、授業にクラブに塾にと、週末も休むことなく毎日精力的に動く。夏休みも毎日クラブ三昧。
が、2学期に入って中間テストあたりから様子が変に。
クラブへは行きたいが、朝から学校に行くことが負担になってきているような感じ。
がんばって行き続けるが、12月には週に1度ほどしか行けなくなる。
それでも週末のクラブに参加していた。
冬休みになり学校が休みになるとクラブには毎日参加。
無理に無理を重ねる。
そして年が明け、3学期初日。
家に帰りつくなり倒れ「もう無理。」
それっきり学校にも塾にも、もちろんクラブにも行けず、自宅で休養。
不登校の理由は特に見当たらないので精神的な疾患を疑い、心療内科を受診。
「冬季うつ」との診断を受け、治療を開始する。
クラブの顧問の先生のアドバイスを受け、母と犬とでよく山登りに出かける。
(近くの山に1時間半程度。)
再び教育相談所へ相談。
その後2月半ばから別室登校を始め、勉強も少しずつ再開し学年末テストは別室で5教科のみ受ける。
心療内科の薬は効かないし長い待ち時間が嫌だと言って3ヵ月もしない内に行かなくなる。
修了式前には教室に戻り、1年生を修了する。
中2(2011年)
春休みに父と母と3人で山を登っていた時のこと。
「お父さん、心配かけてごめんね。でももう大丈夫だから。学校にもちゃんと行くからね。」と発言。
学校側も気にかけてくれ、仲のよい子と同じで、担任も学年一評判のいいベテランの男の先生のクラスにしてくれる。
本人の言葉どおり、初日から毎日通い始める。
が、GW明けにまたダウン。
結局中2の一年間は、週に1~2日、数時間ずつ程度の出席のみ。
ただし夜になると元気になるので塾には通えていた。
そして学校の定期テストや実力テストは全部受けた。
この一年間、カイロプラクティックに通っていた。
そこでは波動の原理を利用した「フィシオエナジェティック」という技法で体の中の悪いところやその原因を調べてもらえる。
(ドイツでは保険も適用されるほど認められている技法なのだそう。)
それによると息子は「頭の中に何らかの炎症?があって、アドレナリン、ドーパミンなどの神経伝達物質が脳に行き渡っていないことが不調の原因。心理的要因は全くない。指定のサプリメントを52週飲むと治る」という。
ほかに評判の心療内科の予約がたまたま取れたので、そちらにも通っていた。
躁うつ病との診断でデパケンという薬を処方さえたが、まるで効かなかった。
あげく「薬の効かないタイプ」とさじを投げられる。
カイロの先生のおっしゃることを信じて、復帰した時に困らないように、できる範囲で勉強をして過ごした一年だった。
中3(2012年)
1学期が始まり、カイロの先生の予告通り毎日休まず登校し始める。
しかし、その頃から今までとは少し違う病状が出始める。
慢性疲労。
疲れやすく回復しにくい。
学校へは行けるが塾には通えなくなってしまう。
頼りのカイロの先生に診てもらうと、「原因は魂が自分のやりたいことをしていないから云々」…???
それでもがんばって学校には通い続ける。
公立高校に進学するための内申を取るために学校に行かないといけないことは、本人もよく承知していた。
夏休みになり、学校がなくなると塾の夏期講習には行けるようになる。
が、2学期が始まるとまた塾には行けなくなる。
学校の方が大事だからそれでもよしとした。朝起きづらく休みがちになりながらも10月の中間、11月初旬の実力テストは頑張って受けた。
そして11月中旬
ついに学校に行けなくなる。
本人曰く「嫌な気持ち」に支配されてしまうそう。
何もやる気が起きない様子で2学期末テストは受けられず。
「公立高校に行けなくなるよ。どうするの。」と尋ねても「どうでもいいわ、もう。」と超投げやり。
カイロの先生に診てもらうと「甲状腺に何かがあります。」そうで、お勧めのサプリメントを飲むと3学期にはギリギリ間に合って治るという話だった(と思う)。
ほかに何もできないので、再びカイロの先生を信じて塾にも行かず自宅療養する。
山登りも復活。
12月も近づき、いよいよ受験校を決めないといけない。
中学と違い出席日数が足りないと留年しまう公立の普通科より、通信制高校の方がいいのでは?と提案しつつ本人の意志を聞くと、「公立の普通科に行きたい。」と言う。
それを受け、担任と母の二者面談で(本来は三者面談だが。)相談する。
彼の内申でギリギリ受けれる公立高校が近所の高校ということだったので、あっさりと決定。
併願の私立も近くの高校に決め、本人もそれで納得する。
3学期になり、少しは学校に行けるようになり、勉強はまるでしてないながらも学年末は受ける。
併願の私立の願書も出し、受験。なんとか合格。
とりあえず4月から行けるところができたと一安心。
1月~2月上旬がんばった分、またしばらく自宅休養。
もうカイロの先生には本人の意志で行かず。
2月半ばの公立前期は無理だから受けないと主張。
(一応願書は母が出しに行ったけど。)
2月末からそろそろ登校を再開し公立後期は願書も自分で出し、卒業式にも出席。
11月以来全く勉強していなかったが、受験した公立後期になんとか合格し、説明会や物品販売やと忙しい春休みを迎える。
高1(2013年)
晴れて高校生となり、希望に満ちた春を迎える。
疲れやすいのは相変わらずだが、無理しないよう夜は10時には眠るようにして、休みなく学校に通う。
クラブは将棋部に入る。
夏休みには学校主催の語学研修に参加し2週間ほど海外へ。
カリキュラムを無事こなし、元気に帰ってくる。
2学期になり、文化祭の準備に追われる。
疲れている様子が気になるが楽しそうでもあり、母には止められず。
そして魔の11月。
またしても「嫌な気持ち」が出現。学校に行けなくなる。
ここで初めて副腎疲労に詳しいクリニックを見つけ受診。
色々な検査をしてもらい、副腎疲労症候群と診断される。
納得のできる病名を告げられ、全ての説明が腑に落ちる感じとともに、治る希望を見いだし心から安堵する。
その先生は常に息子に寄り添ってくださる医師で、息子も全幅の信頼を置いていた。
2学期末テストは受けられなかったが、成績は良かったので見込み点で問題なし。
休んでいる間はパソコン三昧で全く勉強せず。
12月中頃からぼちぼち学校に行き始める。
担任とも懇意にしていたので出席日数が危ない科目を教えてもらい、そこに重点を置いて休み休みながらも3学期をやり過ごし、なんとか2年に進級する。
高2(2014年)
治療を続けながら、疲れすぎないよう体調管理に自ら気を付けながら、通常に学校へ通う。
友人関係も良好で高校生活を楽しむ。
しかしやはり疲れは蓄積されてしまっていたようで、10月末の修学旅行(これもめちゃくちゃ楽しそうでした)のあと、例の「嫌な気持ち」出現。
学校に行けなくなる。
それでも本人は「去年より状態はいい」と言う。
確かに休んでいても好きな数学の問題集をやっていた。
この状態で勉強できるのは初めてだった。
また1ヶ月ほど休養して、ぼちぼち復活。
どの教科をあと何時間休むと進級できないか、担任と学年主任が説明してくれ(その場に本人もいました)、時間割とにらめっこしながら3学期の出席予定を親子二人で考えて、その表を冷蔵庫に貼ってクリアしたら大きな×で消していき、なんとか3年に進級する。
高3(2015年)
いよいよ受験を迎える3年生。
クリニックに通い始めて1年余、その成果は現れているとは思うものの、今一つ疲労感が抜け切れない感じの彼。
中間が終わった5月半ばに「嫌な気持ち」が出てきた、と衝撃発言!
11月ならまだしも、まだ先の長い5月になんてこと!
…そこに登場したのが「温圧療器(温かい自己指圧器具)」!!
ちょうどGW前にお姉ちゃんが川本治療所に行き、何度か試しにやってみてその成果を実感し始めたところだったのだ。
とりあえず毎日「温圧療器」で母が手当てをして疲労回復に努める。
1週間もすれば「嫌な気持ち」は治まったので学校には復活するが、体への負担の大きい6月の体育祭参加は諦めようと決め、担任に報告。
その後は無事期末テストも受ける。
夏休みに入ると同時に「温圧療器」を自宅で毎日するよう指導してくれた川本治療所を受診。
そこの先生の理論に納得し、クリニックと並行して通うことになる。
夏休みには大学のオープンキャンパスにも3校ほど友達と連れ立って行き、結構元気に過ごす。
その間も毎日のように温圧療器で指圧をして受験勉強を進める。
2学期には最後の文化祭を大いに楽しむが、なんとか元気に過ごす。
しかしやはり11月にまた「嫌な気持ち」出現。
大学入試に内申は関係ないので無理をせず、2学期末テストは休む。
遂に高校3年間2学期末テストを一回も受けず!(中3から数える4年連続!)
休んでいる間も自分なりに勉強はキチンとこなす。
12月には「嫌な気持ち」も治まったようなので、学校には無理のない程度に出席し、塾には行かず(行けず)、自分のペースで受験勉強をがんばる。
そしてセンター、二次と受験をこなし、無事第一志望の国立大学に合格する。
なお、体力的に無理なので私立は受けず、でした。
大学1年(2016.10)
授業を休むことはなく、毎日真面目に大学に通う。
楽しみにしていた麻雀サークルに入り、活動に週2回ほど参加。
チューターとして母校の後輩を教えるバイトに週1で入る。
クリニックからは5月頃に「卒業」を宣言され、治療終了。
夏休みには運転免許を取得。
川本治療所へは2週に一度の割合で一人で通う。
夜更かししないよう気を付け、体調管理には常に注意して暮らしている。
「温圧療器」による指圧を週3~4回程度継続した結果、「魔の11月」を何事もなく無事に通り過ぎ、体力的にも自信を深める。
追記
大学4年・2019年5月
4月に大学4年生になった息子は、現在も川本治療所に定期的にメンテナンスに通う一方
自宅で大字式健康器やそろばん型自己指圧器で毎日のケアを欠かさず行って、元気に過ごしています。
母による「温圧療器」による手当は、2~3ヶ月に一度…という頻度にまでなりました。
大学の3年間で欠席はたったの一日。
履修登録をした科目の単位は全て修得。
サークル活動を楽しみながら、現在は夏に行われる大学院の入試に向けて勉学に励む毎日です。
大学院1年・2021年3月
大学を卒業し、院試に合格した息子は、現在大学院修士課程1年に在籍。
コロナ渦の影響でオンライン授業で、自宅学習を進める毎日です。
体調はすっかり安定しており、自宅での温圧もすることはほぼ無くなりました。ただし、丸太や大字式健康器は習慣化しているようです。
社会人1年目・2022年12月
4月から大阪市内の教育関係の会社に就職し、元気に通っています。
大学の6年間で、自分の適性を見極め、自分が選んだ仕事についた彼は、仕事にやりがいを感じ、充実した毎日を過ごしています。
梅雨時や秋の季節の変わり目には、疲れから体調を崩しそうになったこともありましたが、やはりここでも「温圧療器」の力を借りて、体調を維持しています。
以上です。
長文を最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。