新型コロナウイルスは、何もかも破壊しつつあり、とりわけ、舞台芸術
の将来が危惧されている。
クラシック音楽のみならず、能や歌舞伎なども非常に心配だ。
ドイツのベルリン・フィルが、コンサートを無観客で演奏し、それを全世
界に無料配信してくれているが、喜んでばかりいられない。
とりわけ、日本では文化芸術への支援策は、脆弱でアーティストたちの
生活はどうなるのであろうか?
今回のベルリン・フィルの試みで、アーカイヴスにどんなものがあるの
だろうか、と思って有料会員になった。
驚いたことに、指揮者、ソリスト、作曲家別に、ちょっと聴けないような
素晴らしい内容である。
私のような世代は、ギリギリ、まだ巨匠と言われる人の演奏を生で聴
けたのが、いま、幸いしている。
ミンシュ、チェリビダッケ、カラヤン、ショルティ、オーマンディー、ブロム
シュテット、サワリッシュ、マゼール、ブーレーズ、ベルティーニなど。
ベルリンフィルのサイトの料金は、非常にリーズナブルで、これはお金
を払って視聴すべきである。
それが、アーティストたちに反映されればいいわけで、日本でも、こう
いった形を、これを機会に考えるべきだろう。
アーカイヴスは、常任指揮者と客演指揮者が別けられているが、常任
指揮者は、カラヤン → アバド → ラトル → ペトレンコとなった。
非常に驚いたのは、フルトヴェングラーの跡のチェリビダッケは途中で
ベルリンフィルを去ったが、その38年後にベルリンフィルを指揮した
ブルックナーの交響曲第7番があった。
これは、BlueRayディスク(輸入盤)でも市販されている。
何とも、筆舌に尽くしがたい、もの凄い演奏!
ヒマラヤ近くのガンガー河の滔々たる流れを、何時間も眺めているよう
な感じである。音楽は、楽章があるが、決して止まらない。
このように指揮できるかが、指揮者の最大の力量で、凡庸な指揮者で
は、音楽がどこかで止まってしまう。
幸いなことに、私はミュンヘン・フィルと来日した際、ブルックナーの
交響曲第8番を彼の指揮で聴いた。
日本での公演(第7番と第8番)は、後にSONYがDVD化してくれて、
残っているのは大変貴重だ。
第8番では、ティンパニーが活躍するが、この奏者は、実に凄い。
(ここに焦点を合わせたカメラマンに、拍手!)
終わって、チェリビダッケが、オーケストラに向かい合掌する姿が印象
的だ。
それはともかくとして、このベルリンフィルとの第7番は、また、空前絶
後のものである。
宮下誠さんの本に『カラヤンはクラシックを殺した』というのがあるが、
確かに、彼以後、音楽は、がらりと変貌し、まるでオリンピック・スポーツ
のようになってしまった。
カラヤンの演奏は、実演でも確かに凄かったが、聴いていて非常に疲
れる。
特に、映像化されたベートーヴェンなどは、映像がフラッシュし、頭がク
ラクラする。
いつか、彼に見いだされたアンネ・ゾフィー・ムター(vn)も、「疲れる」
と、同じようなことを言っているのを思い出した。
チェリビダッケの呼吸は、長くゆったりとしているから、演奏が、新しいと
か、古いとかの問題ではない。
聴いている私も「同じ」呼吸をしている。
ベルリンフィルのサイトの客演指揮者には、将来を担う素晴らしい人物
が活躍している。
その中の2人が、アンドリス・ネルソンスとトウガン・ソフィエフ。
ネルソンスは、既に、アムステルダム・コンセルヘボウ管弦楽団の常任
指揮者でボストン交響楽団の音楽監督。
トウガン・ソフィエフは、N響も、たびたび指揮している。
今回の視聴は、大変有意義な体験だった。