昨夜のにゃんずとパパのこと… | henohenoにゃんずと、まったり生活

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お空組2ニャンと元気組2ニャンとの生活と日々のつぶやきです☺️

おはようございますカナヘイピスケ
雪は滅多に降らない地域ですが…
やっぱり寒いです…(´-ω-`;)

にゃんずに
寒い思いをさせられないので
おウチの中は
ぽっかぽかですてへぺろうさぎてへ

ホットカーペットで
コロリンする
leoと旦那様…yaaハート

leoの開き…>w<ハートぃっぱぃ

お腹をモフられるleo…にへ

通りすがりのオネムのgino…きゃー笑

旦那様はご機嫌…❤

無抵抗なleo…にこ
目線の先にちょっと置いてみた…ニャハー
鏡餅に飾られていた招き猫ですキラキラ

bennyは
いつも通りに
椅子でまったりはーとラブ



そして
今日は父の命日です。
とても長くなっちゃいます(´▽`;)ゞ
わたくしの思い出話ですので、
興味のない方はスルーしてくださいね(*´∇`*)

父は、平成元年に亡くなりました。
なので、
亡くなって何年経ったかが
とても分かりやすいんです苦笑汗
私が高校1年の時、
あ…ヽ(;´Д`)ノ…年齢がバレる…( ̄~ ̄;)
肝臓癌の末期でした。

父の事をブログに書こうと思って
写真を探したら
父が写っている写真の少なさに
ビックリ…滝汗
いつも撮る側にいたからね…
そして
久しぶりに見た父の写真…
あれ…??
パパってこんな顔だったっけ?はてな5!
と、いう自分の記憶力のなさに
さらにビックリ…笑い泣き
ヒドい娘だね…(* ̄∇ ̄*)

石原裕次郎が大好きだったパパ。
格好もよく真似っこしてたね…(≧∇≦)

父の思い出といえば…
私が幼稚園年長の時、
時々母と姉には内緒で
連れて行ってくれた居酒屋さんおんぷ
今でこそ珍しくはないですが
当時はまだ珍しかった
舞茸の天ぷらを注文した父。
私「パパ、舞茸ってなあにぺこ?
父「舞茸って、スゴいんだぞ❗
 栄養がありすぎて、子供が食べると
  死んじゃうキノコなんだ髑髏
私「パパ、そんなの食べるの!?!!!!!!!!ビックリ
父「大人は大丈夫なんだよ🎵
〇〇も大きくなったら食べようね✨」
ショックなうさぎって
おいっびっくりパパ…?
娘に何を教えてるんじゃいカナヘイ!?
そんなに独り占めして
食べたかったのか❔
娘にも食べさせろ~っ❕まったく…顔に縦線2汗

お酒と煙草、珈琲が好きで
食べる事も料理する事も
好きな父でした。

父が亡くなって、少ししてから
舞茸の天ぷらを食べている時に
突然思い出した幼い頃の記憶きゃー笑
母と姉は大笑いでした。
そんなふうに
何かと私をからかうような
かわいいウソを教えて
楽しむような父でした汗
他にもいくつかウソを教えてたのですよ…┐(´~`;)┌やれやれ…

オチャメ❔な父ですが
飴と鞭の人でした。
約束を破ったり
言い訳したり
ウソをついたりすると
本気で平手打ちに…カナヘイびっくり
自分でも悪い事をしている
自覚があるから、
まったく反抗出来ず…(T-T)
普段は
よく冗談を言ったり、
変なダンスを踊って笑わせてくれたり…。
やってみたい事は
いろいろやらせてくれました。
ピアノ、バレーボール
子供英会話、塾、バスケ、
劇団ひ〇わりひまわりなどなど…
みんな楽しく、いい経験になりました。
どれも中途半端で…(;゜∀゜)…ゴメンなさい(´-ω-)人

そして
わんこ🐶にゃんこ🐱の
可愛さ愛しさ、命の大切さを
教えてくれたのも父でした。

幼稚園の頃のように
小学生中学生になっても
よく母と姉に内緒で
二人で食事に行ったりもしました。
たいてい、母は仕事で帰りが遅く、姉もバイトで遅くなるという日に…
仕事帰りの父から電話があり、
家から最寄り駅までバスに乗って
待ち合わせをするんです。
パパからのカエルコールが
楽しみだったなぁはーとにへ
高校の時は、駅の改札口で
待っててくれたこともあったね❗
今みたいに携帯電話なんてないから
ずっと帰りを待っててくれて…。
父が亡くなってからこの事を話したら
母と姉は全然知らなかったらしく、
ホントに内緒だったんだ…と。

パパのことが大好きだったんだよ…ウキャキャ笑
どこへ行くにも
よく腕を組んで歩いたねにこ音符
"ふじ"と"はやと"(わんこ達です)を車に乗せて
よく早朝の茅ヶ崎の海岸に
お散歩行ったねキャッ☆


姉の成人の日の家族写真。
私、中学生です。

パパ…
姉ちゃんの成人式だけ見て…
私の成人式はいなかったね…。
姉ちゃんの花嫁姿も
私の花嫁姿も見てもらいたかった。
親孝行なんて
考えた事ないうちに
逝っちゃうんだもん…。

パパ…
パパと過ごした時間より
旦那様と過ごした時間の方が
ずいぶん長くなったよ…。
私、あと何年かでパパが死んだ時の
年齢になっちゃうよ…苦笑
でもね…気づいたの。
旦那様とつなぐ手が
パパとつないだ手と
とてもよく似てるっていうことに…。

父の写真を探していたら
同じような場所から撮った
同じような景色の写真が
たくさんありました。
父が病床から撮った写真だと思います。
母の遺品を片付けた時に
持ってきた写真の中にありました。
この写真は
昭和64年1月1日
昭和の最後のお正月。
父、最後のお正月…。

パパ…
パパと最後につないだ手…
パパにお迎えがくる少し前
パパの手を握って
「〇〇だよ?わかる?」って
声をかけた時
少し握り返してくれたね…
わかってくれたのか
苦しかったのか
今となってはわからないけど
私とわかって
握り返してくれたと思ってる。
パパの顔の記憶が曖昧になっても
この手の記憶は
今でも、これからもずっと忘れない。
パパ…
パパとよく似た手の旦那様が
今は私を守ってくれてるよ。
可愛いにゃんずもいるよ。

ママと仲良く見守っててね。

長い長い思い出話にお付き合いくださいまして
ありがとうございました‼

Mahalo流れ星