Bill Tapia ばかりではありません。
約5年半暮らした ハワイ では、
多くの人との出会いが、
私の人生を豊かにしてくれました。
そんな出会いの エピソード や
素晴らしい人たちのことも少しずつ
記録してゆきたいと考えています。
カミールも、私のハワイ生活を
豊かにしてくれた一人です。
カミール とは、
ハワイカイ に住んでいた
クーパーさんを通じ
知り合いました。
クーパーさん
は
私をかわいがってくれた
白人のおじいさんです。
カミール は、
カイムキ の山手に アトリエ を持つ
アーティスト で、知り合った頃には、
横綱・曙関の銅像に
着手していると言っておりました。
現在 ワイマナロ にある
曙の銅像の制作者です。
また、
ヒルトン・ホテルの敷地内 ビレッジ・グリーン には、
妖精を テーマ にした
彼女の作品が4点あります。
(写真上と下)
ハワイ の伝説を テーマ にした
「守護人(ハワイ の メネフネ)」、「夢見る人」、
「鹿の妖精」、「メネフネ・キング」
彼女は彫刻ばかりでなく、
ハワイ に住む人たちの
赤ちゃんらを モデル にして
ファンタジー な写真を撮っています。
毎年それが カレンダー になり、
ロングス なり ハワイ 各所で
売られていますから、
そんな カレンダー をみたら
カミール の作品かどうか
確かめてみてください。
タパ 製作者 プアナニ さんを モデル に銅像を制作する カミール
2006年 のこと。
ヒルトン・ハワイアンヴィレッジ・タパタワー の コンコース に、
伝説の タパ 製作者
プアナニ・ヴァン・ドルペ の、
“タパ” を制作するときの
ポーズ を イメージ した
3体の ブロンズ 像が
建てられました(写真下)。
この“タパ を作る人たち”の
ブロンズ 像を製作したのが
カミール です。
ヒルトン・タパタワー、コンコースに建てられた、ブロンズ像
カミール は、この制作に
10年もかかったそうです。
2006年11月12日、
私たちはその建立除幕式典に
カミール から招待されて
出席しました。
タパ・タワー での ブロンズ 像・建立除幕式典。紫の カーテン で目隠しされた像の前に大勢が集いました
“タパ“ とは、
古くから太平洋の島々に
伝えられる
伝統的な布地で、
ハワイ では
カパ とも呼ばれますが、
桑 (ワウケ)の樹皮を
水に浸し、叩き、
乾燥させる工程を
何ヶ月にも渡って
続けます。
そうして出来上がった
カパ には、
葉や果実をはじめ、
砕いた珊瑚や
根などからとった染料で
美しい模様が
描かれます。
それが ハワイ に伝わる
伝統的な装飾布
“タパ” で、
その手法を完成させたのは
ハワイ の人々だと
伝えられます。
ちなみに
タパ・タワー の
名前の由来となったタパは、
この ブロンズ 像の
近くの壁面に
ガラスケース に入って
展示されています。
プアナニ・ヴァン・ドルペ さんが、
古代の技術を用い、
14ヶ月以上も要して
完成させたものです。
ブロンズ像の除幕式では、
お披露目された像に
ハワイアンの祈祷師が
チャンティング(祈り)を捧げ、
祝福しました。
まずは、古典 フラ・カヒコ あり。
続いて
ハワイアンバンド の
歌と踊りあり。
バンドの名前は忘れてしまいましたが、曲を聞けば、この人かというような、お馴染みの方です。
この日は、
ブロンズ 像の モデルとなった
プアナニ・ヴァン・ドルペ さんも
入院先の病院から
かけつけました。
プアナニ・ヴァン・ドルペ さんとカミール
プアナニさんが登場すると、
みんなで彼女をたたえ、
またまた
ハワイアン の歌と踊りの
オンパレード となりました。
シャンパン で乾杯、
タパ・タワー の プールサイド の バー では
カクテル が飲み放題。
手前の青いTシャツのご婦人は、初代ミス・ハワイだそうです。
陽気なお祝い ムード の中、
それぞれが楽しんでいました。
日本と違って堅苦しくなく、
パーティー 慣れしたお国柄だなー
とつくづく思わされました。
カミールからのクリスマスカード。Much Aloha & many Thanks ! (love your picture ~ !) Kmille
その後、カミールは
私が撮った
このときの写真 (写真上)を
気に入って、
その年の自分の クリスマスカード に
使ってくれました。
2008年、私たちが帰る前には
もう一度会いましょうと約束しましたが、
叶わずじまい。
3月に電話でお別れの挨拶を交わしました。