四、四句の略答(後半)
【要旨】第一問・菩提心生は、初地菩提心の生起と及びその体得せる(修行者における)不生常住の菩提心体(= 浄菩提心、菩提)の実義を説明するもの、であること。
次に経に第一問の菩提心生の略答がある。菩提心生とは、浄菩提心の出生する義(= 実義、道理)を明かすものである、浄菩提心の生起といえば、上の心続生と同義のよう(に)思わるるも、心続生は地前(分別妄執を未だ全く離れざる位)・地上(分別の細念を超度せる位)に亘り、浄心の生起を説き、菩提心生は地上、すなわち初地の菩提心の生起と及びその体得せる菩提心体の不生常住の実義を明かすものである。経に
百六十心を越えて、広大の功徳を生ず、その性常に堅固なり、彼れ菩提生なりと知るべし。(大日経住心品 菩提心生の答説2025/05/22)
といい、疏には
行者、最初に金剛宝蔵を開発(かいほつ)する時(= 初法明道)、是の心性は浄虚空の如く、諸の数量を超えたりと見る。その時、因・業の生を離れて、仏樹の芽、生ず。この芽、生ずるときに、已に法界に遍ず。(中略)破すべからず、転ずべからず(こと)、なおし閻浮檀金の能くその過悪を説くことなきが如し。故に「その性常に堅固」という。
経に衆生の一切分別の妄念を百六十として説き、この分別の妄念の離れたるとき、浄菩提心体、すなわち本有(ほんぬ)の覚性(= 菩提)、顕現すること、なおし乳の精錬せられ、あらゆる滓穢(しわい)を除かれ、純なる醍醐味(maṇḍa)の生ずるが如く、真に生死の生を離れ、如来常住の生を得、その性、法界に遍じ、堅固常住なる無上大覚(= 阿耨多羅三藐三菩提)を成ずることを明かす。されば疏に、華厳等の顕教(けんぎょう)諸経の中には、ただ菩提心の功徳をのみ歎ずるも、この経には菩提心の体性(= 浄菩提心、菩提そのもの)を説くと釈せり。これ一般仏教には、上(か)み菩提を求め、下(し)も衆生を度(ど)する、上求下化を以て菩提心の義となし、或いはかかる菩提心を生ずる、一念の功徳、深広涯際なきを明かし、或いは主客・能所を絶する空寂無相の理を菩提心体となし、未だこの無相の菩提心を如実に体得せる無上大覚の体を明かさざるによる。しかるに当経には、この無上大覚の体を説く。これ本経を一切教王という所以である。
【要旨】『大日経』と顕教諸経との違いのひとつとして、「無相の菩提心を如実に体得せる無上大覚の体を明か」す(果分可説)が指摘されています。
【要旨】第二問・心相(菩提心相)は、虚空にも比せられる、菩提心の相(ありさま、ありよう)を説示することで、その無相であることを解し、如実に自心本有の大菩提を体得する(「毘盧遮那の心仏、現前する」)に至るを本旨とします。
次に菩提心の相貌を説かれたるが、上の菩提心生に対して釈せば、菩提心生は菩提心の体を説くものにして、今はその相(= 相貌、外的にも知られるありよう、ありさま)を明かすものとも見らる。而も体・相不離の故に、その義(= 意味は)、相(い)通ずるものあり。疏に、その菩提心相を釈し、世間何物も浄菩提心の相に比況するものなきも、ただ大虚空の小分相似せるものありとし、世間の虚空の烟雲塵霧のために染汚せられず、その性、常住にして、因縁を離れ、八方の大風、世界を吹き尽くすも、また動ぜざるが如く、心相も亦しかなり、本来空寂無相にして、一法として能く染汚し、動揺せしむるものあることなく、常住不変にして、永寂無相である。一心は此の如く永寂無相なるも、而もこの無相の一心に不昧の霊知(= 覚性、知性の働き)あり、光あり。行者この寂光不二の一心の心相に滞執せず、却ってっこの寂光のために(= 寂光によって)照らされ、如実に自心本有の大菩提を体得するに至るのである。すなわち毘盧遮那の心仏、現前するに至るのである。疏にこの意を釈して
その時、行人、この寂光のために照らされ(て)、無量の知見、自然(じねん)に開発すること、蓮華の敷(ひら)けたるが如し。故に「無量智成就」(無量の智、成就す)という。この智(の)成就(する)は、すなわち是れ毘盧遮那の心仏、現前するなり、故に「正等覚顕現」(正等覚、顕現す)という、云々。(大日経住心品より (2)菩提心の相の答説2025/05/22)
【要旨】真言門における三密加持の修行は、具縁品第二以下に説示されるということ。
次に第四問の修行の義を略説し、上述の如く無相の菩提心を観じ、分別の妄念を離れ、一心の寂光に照らされ、如実に自心の大菩提を成ぜんには、真言門の三密加持の行を修せざるべからざるを説く。すなわち修行に依り、如来と感応加持の境に住せば、自ら分別の妄念消融し、毘盧遮那の心仏、現前すべきを明かす。しかしてこの修行は密教の事相にして、本経の具縁品以下に宣説せらる。
五、心続生の広答
【要旨】三十種の外道、八心、六十心、三劫等の法門は、いずれも、浄菩提心の転昇、すなわち信念向上の歴程を明かすものであるが、そのうち、八心と三劫が主要な法門となること。
上述の如く九句の中、最初に心続生の義を答し、九句の応答にも、心続生の義を第一に宣説せらる。以て本経は衆生が本有の霊性たる自心の菩提に目覚め、その自覚漸次に増大し、ついに如実に自心の菩提の体を体得するに至る、浄菩提心の転昇、すなわち信念向上の歴程を明かすを宗要とすることを知るべきである。しかして以下、心続生の経の説相を見るに、三十種の外道、八心、六十心、三劫等の法門を説かる。三十種の外道とは、これ違理の迷心なるが、浄心生起の心続生の義(= 内実)を明かさんとして、先ず違理の迷心たる外道の説を出だすは、順理の浄心はこの違理の迷心を因由として(= 機縁として)生起することを示されたものである。
次に八心とは世間の善心の生起を説かれたるものにして、六十心とはこの世間の善心と雑起する妄心である。次に三劫とは世間の妄心(六十心、百六十心)を除かれ、正しく生起する出世間の浄心の相続を明かせしものである。されば三十種の外道は浄心生起の因由として説かれたもの、また六十心は出世間の浄心生起するとき除かるる妄心を示されたるものなれば、以下の釈相に三十種外道、八心、六十心、三劫の開説あるも、正しく浄心生起の心続生の義を宣示せられたるものは、八心と三劫の法門なりと知るべし。