和英対照仏教聖典より Buddha Chp.3-Ⅰ-1 p.48-49.
1. Do not seek to know Buddha by His form or attributes; for neither the form nor the attributes are the real Buddha. The true Buddha is Enlightenment itself. The true way to know Buddha is to realize Enlightenment.
姿や形だけで仏を求めてはならない。姿、形はまことのreal仏ではない。まことのtrue仏はさとりそのものである。だから、さとりを見る者がまことの仏を見る。
attributes:a quality or feature, especially one that is considered to be good or useful
仏は、三十二相と八十種好をそなえているといいます。さらには十八不共法(aṣṭadaśāveṇikabuddhadharma十力・四無畏・三念住・大悲。異なる数え方あり)という徳性も数えられます。三十二相と八十種好はそれぞれ「姿」、「形」に対応しますから、顕著な三十二相に付随した八十種好(随好相)を意味するのでしょう。ともに仏のすぐれた身体的特徴をいいます。
real: something that is real exists and is important; something that is real is actually what it seems to be and not false or artificial [OPP] fake
ture: based on facts and not imagined or invented [OPP] false
realとtureはともに「まこと」とありますが、どのようは違いがあるのでしょうか。(存在論的意味あい、認識論的意味あいの違いなのかしら。)少なくとも、The true way to know Buddhaにおけるtrueは、「ブッダを知るための正しい(確実な、間違いのない)方法」と理解できます。なお「ブッダを知る」とは、自らがブッダとなる、さとりをさとるということと同義です。
この機会にもうひとつ経文をご紹介しておきます。
「実にヴァッカリよ、法を観る(真理を覚る)者はわたし(釈尊)を観る。わたしを観る者は法を観するのである。」『相応部』(鈴木隆泰『内在する仏・如来蔵』春秋社2021,p.67参照)
とても有名な一節で、瀕死の状態にあるヴァッカリ尊者が、最期に釈尊に見まえることを願い、それに応じて彼のもとに赴かれたときの仏のことばです。
法を観るとは「真理を覚る」と言いかえられているように、「縁起」を見ることをいいます。『中阿含経』(『現代仏教聖典』東京大学仏教青年会編、大蔵出版1992, p.238)
「姿や形だけ」とあったことに関連してもうひとつ経文をご紹介します。
修行者よ、まさにそのように、人格完成者(如来)にまみえることのできる人は少ない。(中略)まさにそのように、人格完成者の説かれた教えを聞くことのできる人は(より)少ない。(中略)まさにそのように、教えを聞いて、それを実行する人は(さらに)少ない。(中略)まさにそのように、実行している教えの意義を観察する人は(きわめて)少ない。『アングッタラ・ニカーヤ』(『現代仏教聖典』p.55)
仏の説かれた教えに出会うことは、自らを向上させる絶好の機会となるのです。