妄想劇場へようこそ。第4話
*ここから先はまぐの妄想です。事実とは異なります。ただ、新聞紙上をにぎわせている唐井GMに騙されてみようというネタです。日刊スポーツなどに以下の様な文章が載っていた。さぁ、騙されてみましょう。
唐井GMは「現場はよくやっているが、何らかの形でてこ入れを考えたい」とフロント側も現体制の支援策を検討する方針を明かした。
・まさかとは思うが、エジムンドの様な事をしてでも残留してやろうぞ。そういう意志の表れだろうと思う。それならば、こっちにも考えがあるぞ。Jリーグの規約では選手の獲得は出来ないはず。でも、どこかのクラブに所属していない選手ならば獲得出来るはず。そうだ、あの選手を獲得しようじゃないか!!
~以下、妄想~
・その選手は各年代の日本代表には常に選ばれる程のFWだった。エリート街道をただひたすらに進み、ヴェルディのトップへ昇格するのは高校三年生の時だった。チームの状況が状況だけに昇格のタイミングは早かった。二種登録でJリーグデビュー。当時の外人FWとFWの高木琢也の欠場という緊急事態ではあったが、高校三年生で4試合に出場出来たのは素晴らしい経験になっただろう。
・翌年、Jリーグ5節にJ初ゴールを記録。その後はレギュラーこそ取れないもののスーパーサブとして常にベンチに入り続けた。アジアユースの関係でたびたび試合を欠場はするものの、安定した試合出場を重ねる。
・本拠地を東京へ移した年には選手を大量に獲得。武田・小倉・前園らを獲得し、新人の佐野も入団した。この年はワールドユースの本格的な年という事もあってか満足に試合には出場出来なかった。チームが残留争いに巻き込まれた際には、監督も変更されていた事でベンチ外となってしまった。その後、フロンタへレンタル移籍をすることに。
・残念ながら川崎Fへのレンタル移籍は数試合のみで出番無し。川崎Fでレギュラーを取る事もなくシーズンを終了させてしまった。2003年に再びヴェルディに復帰。脱臼癖が頻繁に起こるようになってしまい試合出場はどんどん少なくなってしまった。スーパーサブとしてベンチに座り続け、この年活躍したのはFC東京戦には必ずゴールするという「FC東京キラー」になった事ぐらい。
・2004年、序盤はエムボマと桜井の欠場により出番を与えられるはずだった。しかし、自らが開幕直前でケガ。これによって、ジュニアユースから飛び級でデビューした森本に出番を譲ってしまう。その後、ベンチの座すら森本に奪われるようになってしまう。森本のU-19代表選出の期間にこそ出番はあるやに思われたが、またしてもケガ。チャンスを自らで潰してしまった。今年は出番が無いかと思われたが、天皇杯には全試合出場。最も気の合う平本と組んだ2トップが見事なバランスを魅せて、あれよあれよと天皇杯優勝。優勝を決める試合で先制点も決めたほど。ユニフォームの下に桜井のユニを着ていたのも印象的だった。
2005年、彼は再び川崎フロンターレへレンタルしていった。しかし、この度もレギュラーの座を奪う事は出来なかった・・・そう、ヴェルディの好きな貴方ならきっと分かるはず。入団当初は同じ苗字の選手がいたことから愛称が「ちび」だった。まぐよりも背は高いんだけどね。

飯尾一慶「通称:ちび」
・天皇杯優勝の立役者とも言える飯尾。昔ながらのウィングというポジションを好む。飯尾の在籍当時はボールを繋ぐ事を重要視していたが、今みたいにサイドを中心に考えるサッカーなら飯尾が適任だろう。右サイドの裏へ走り、サイドへ開き、キープする。前線のタメが皆無の現状には最高の選手だ。何しろ、昨年までヴェルディで一番キープ出来て、ポストが出来て、クサビのプレーが出来たのは飯尾だけですから。ってか、「飯尾がポストプレイやってどうする!」って怒ったのをよく覚えてる。他の選手が覚えなさいよ、何が悲しくて一番上背の低い飯尾にやらせるんだ。
・ヴェルディの選手の現状を見ると、ユース世代と桐蔭駒沢世代・・・この橋渡し的な存在も飯尾だろう。どちらにも顔が利くというか、可愛がられてるというか。山田隆裕や石塚啓次とも仲良かったなぁ。実は影の中心人物だったりして。
~以下、妄想終了~
・うん、何だか一番現実的な感じか。天皇杯優勝チームってのは大体J2落ちだそうですね。何となく、分かる気がします。優勝した分だけ選手を獲得する時の甘さが目立ちますね。ヴェルディも狙った選手をことごとくふられてますから。ま、「天皇杯を優勝したんだから今年は大丈夫だよ」とヴェルディサポの誰もが妄想を抱いてしまったはず。妄想しちゃったのは、まぐだけじゃないはずさ。もしかすると、選手にもそういう気持ちがあったはずだしね。そして、その天皇杯で大分戦。ここで何かが変わるかもしれませんしね。