靖国神社創建150年特別展 | 遠江徒然日記

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靖国神社は今年創建150年を迎える。

遊就館では、記念の特別展が開催され、連日多くの来場者で賑わっている。

 

3月16日から、後編の展示が始まった。

前編では、18世紀以降の欧米諸国のアジア進出から、創建までが取り上げられた。

後編では、創建前後から現代に至るまでの歩みが紹介されている。

 

 

展示場では、創建から現在までを8つの区画に分けて紹介している。

まず最初に展示されているのは、『招魂社の創建』と題して、慶応四年五月十日、新政府が戦没者の慰霊計画を発表するところから始まる。

 

最初に行われたのは、上野彰義隊鎮圧の直後、東征軍大総督・有栖川宮熾仁親王の命により、江戸城西之丸大広間で行われた招魂祭であった。

 

明治四十四年に発行された靖国神社誌(三代宮司・賀茂百樹編)には、この江戸城西之丸大広間にて行われた招魂祭が、靖国神社の起源であると書かれている。

 

展示場の第一区画では、この時に祭主を務めた、「大久保初太郎(後の陸軍大将大久保春野)の当時の写真」、「大総督府参謀(西郷隆盛)から下された祭主任命書」、「招魂祭の役割表」など3点の史料が、大久保氏の出身地である磐田市歴史文書館から提供されていた。

 

翌明治二年、九段坂上の地に、東京招魂社が設立され、六月二十九日に最初の招魂祭が執り行われた。この時は、大久保初太郎の父・大久保忠尚が祭事主宰を受け、軍務官知事・仁和寺宮嘉彰親王(説明文では小松宮嘉彰親王となっている)が祭主を任ずる。これが明治十二年に改組改称され、別格官幣社靖國神社となる。

 

詳しい説明は、是非特別展をご覧頂きたいので、ここでは割愛する。

説明文には間違いも幾つかあるが、ここで指摘することは憚れるので、別の機会に譲りたい。

 

江戸城西之丸大広間で行われた招魂祭の祭文は、大久保初太郎が夜を徹して草稿し、三条実美公が手直しをして作られた。創建時の祭文もその後も、ほぼこの内容に準じて作られているそうだ。靖國神社誌では、原文は大久保家にあると記載があるが、今ではその所在の確認はできない。

 

大久保家は、遠江国府・磐田市見付にあり、今は子孫の方が家を守っている。

月に1度、まちづくりの勉強会が大久保邸で行われ、床の間には大久保春野さんの胸像があり、私たちを見守っている。

 

私が訪れた3月23日は、境内の桜の標本木が丁度開花したばかりで、カメラを向ける人も多く、来場者の目を楽しませていた。