本当の意味での異端って、

自分と思考が合わない。

信仰の仕方や、理念が違う、という理由付けで、、関わることよることすら避けて

 

人間とすら扱わないことじゃない?

そういう排他的思考から、、宗教論争、宗教戦争が起きてる。

人も自爆テロしたりで死んでる。

 

自分と違うから、排他って

隣人を愛しなさいという

イエス様の掟から一番遠い行動であると思う。

 

人間だもの、信じ方、受け止め方、

信念、色々と違う部分はあってもしょうがない。

人に危害加えたり、ストーカーしたりの

異常行動や考えをせず、穏やかな社会生活してるか否かで、判定すれば良くない??

 

思想や受け止め方の違い、

要は感受性の違いをあげて

異端と排他するのは、

ウルトラナンセンスだと思いますわ。

 

お布施、献金の強要、、ストーカー、嫌がらせ、迷惑行為してなくて、

節度ある、生き方してたら、神道でも、仏教徒でも、クリスチャンでも、父なる神様は、、善い人間、、とお認めくださるでしょう?

 

先ず善い人間でなかったら

良い信仰者たれるのか?

ご覧なさい。見た目だけの信仰者であったファリサイ人らを、、。

 

彼らは人一倍、律法を守っていました。

見た目上はね、。

でも、、それは自分を人に

良く見せるためで、、神様が大好きだったからじゃないの。

 

神仏が大好きで生かされていることに

感謝して人らしく生きてる方が、

まっとうな信仰者でしょう?

 

イエス様は血筋的には、

異邦人のサマリア人でも、

見えざる神様に思いを向けて生きてる人は、、

 

ルカ福音書 17章

18 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
19 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。

 

あなたの信仰、、が、あなたを救った。と

信仰心あり、、であると、

信仰は、、心にあると、、

イエス様御自身が明言なさっています。

 

心の伴う正しい信仰を持っていますか?

排他しまくり、批判しまくりでいたら、、

隣人愛は、どこにあるのでしょうね?

 

諌め助けたいと思うのなら、、

まだ愛があるでしょう。

関わろうとしてますしね。

居ないが如くに無視するとか排除するなら

その人への愛なんてかけらもないですね。

 

愛せない人って、

どうしても居ますけれども

 

イエス様の与えた掟では、、

敵を愛し迫害するもののために祈れ、、で、

居ないが如くに無視するとか排除とは真逆ですね。

 

敵と、認識するのも、

味方と認識するのも自分自身ですから。

自分が敵とみなせば敵となり

味方とみなせば味方になります。

 

最大の敵は味方になったら

最大の味方に変わります。

 

排他して無視するより

和合するように努力するほうが

神様の御心に近づけますよね?

 

マグダラのマリア