マグマリのブログ

マグマリのブログ

神様の事イエス様の事書いていきます。

自分の人生は、自分で選んで決めてきたこと。

でも、生まれてきたとたんに、それを忘れてる。

 

自分が精神的に成長出来る体験をさせようと

人生では、色々起きてくる。

嬉しいこともいやなことも、

 

共通してることは

自分の精神的成長、気づけるように、、

最も良いことだけが起こるということ。

 

だから、起こることだけ見て

自分だけ運が悪い、、と凹むことはないのね。

自分に最も良いことを自分の魂がチョイスしてるんだから。

 

自分が生まれてくる前に

選んだ課題をこなすために、

この体験が必要なのか、とありのままの自分を拒否らず、そんなものと納得し現状を

自分チョイスじゃしょうがない、と

受け入れて、、。

 

今の自分を嫌だと拒否らずに

それでいいと思うようになると、

イライラが無くなるので

 

良いことを魂が引き寄せ易くなるのね。

生きてる人間の色々なマイナス思考や、

あれこれ不安と悩みが表面化してると、

そっちのほうが現実化してしまうのね。

 

生きてる人間の方の表面意識の方が

潜在意識より、この世の事象への影響力は大きいので、。

バカボンのパパみたいに

それでいいのだ、大丈夫って、

どんな事が表面化しても、

それは自分にとっては全部プラス。

 

自分が学びたい感情や、体験、想い、知りたい事柄であったのだと、受け入れていくと

拒否ってたせいで、同じことが連鎖して起きてた状態が、軌道修正されて、今度は良いことしか起きなくなる。

 

私も、犬猿の仲だった母との和解の

大きな課題は、するべきことと思い

努力してクリアーしたら、、

何も大きな苦痛は起きてこなくなった。

 

神様に背いたと、気づいた時は、別だけど。

神様に背いたと、気づいた時は、

顔面蒼白、土下座状態で、ゆるしを乞い願います。

 

神様に逆らう事が、一番怖い。一番嫌。

神様のお側に居続けたいから、

それが私の永遠の願い、永遠の望み。

永遠の幸せ、。

 

この世で、人間として生きてる間は、、

人の幸せを願い。聖書の記事を書いたり

スピリチュアル系の記事を書いたりしていきます。

 

この記事スピリチュアル系記事だけど

イエス様も、明日の事まで思い煩う事なかれと

仰いました。

心配事ばかりして心を重くすると

幸せが遠のくと言うことです。

大丈夫って安心して

自分の魂に、よろしくお願いしますって

信頼してしまえばいい。

 

魂は神様が人に与えた最高の贈り物。

無能な訳がないのだから、。

魂が輝き力を発揮するには愛が必要、感謝も、必要。

 

神様からのプレゼントの

魂に、信頼し感謝してプラスエネルギーを蓄えて幸せを実現して貰いましょう。

 

知恵の書

15:13 心に喜びを抱けば顔は明るくなり/心に痛みがあれば霊は沈みこむ。

 

マグダラのマリア

 

 

 

 

異言、奇蹟、霊的事象至上主義者は、

サタンに誘導される。

 

悪魔もね、、霊的事象起こせます。

金粉降らせたり、病気いやしたりもね。

 

悪魔だと悪いことしか出来ないと言うのは間違いです。

人間を依存させ信じさせるために、

一時的に良いことをするくらいのことはやります。

 

悪魔は狡猾です。

人間の何倍も人の心の奥底を読み、

騙す能力に長けています。

 

悪魔は、、この現代には居ないと、迷信だと

思ってると、だまされますよ。

 

悪魔は人に憑いてる悪霊を手下にして、

生きてる人を使って、いかにも正しいように見せかけて、悪を行い。

 

最後は、憑いてる人は罪の痛みも感じないくらいに真実の悪党になり、死んだら地獄に落ちて

サタンの手先に成り下がります。

 

生きてる間は自分の欲望のままに生き

自由気ままでしたけど、死んだら、悪魔の命令通りにしないとダメです。

自分のしたいようには出来ません。

 

良いことをして人を騙せと言われたら

そうするしかないです。

悪魔も悪霊も、悪さばかりする訳じゃないですよ。

それは低級な者だけで、悪魔も力が強いものは人の欲しがる奇蹟、徴、霊言、異言、霊的事象を起こせますから。

 

奇跡を起こすのは神様側の霊だとの思い込みは愚かなことです。

霊的事象自体に救いは関係ないです。

 

救い主メシアはイエス様だけです。

 

天使も異言も金粉も救いには

必要も関係もないです。

 

聖霊主義者になると、自然と人というものは

聖書は二の次となり、異言による

託宣じみたものに重きを置くようになり、

 

気づいたら聖句に反する方向へと

サタンに誘導されて、霊的事象さえあればいいという、変な教会になったりする危険性は高いです。

 

人には起きた霊的事象が、

神様側の御霊によるのか、

悪魔によるのか、明確に判別できる賜物を持つ霊的に優れた信仰者が教会内に居ないのなら、

霊的事象は、完全無視するに限ります。

 

人が完全無視しても、派手にも

ならずそっと霊的事象が起こり続けるならば、神様側かもしれないと考え、淡々と神様に感謝すれば良いこと。

 

異言や霊的事象を、

すごいと騒いで奇跡だと騒ぐのは早計です。

 

完全無視してれば、悪霊がしてる悪戯なら

収まります。

悪霊も、宣伝効果がないところで長居はしません。騙しやすい他の教会を求めて移動します。

 

御言葉に堅く立たずに、霊的事象にだけ目を向けてれば、、サタンの手に落ちて必ず堕落します。

 

お気をつけ下さいね。

特に牧者となった方々は、、

一歩間違えば、羊を狼に差し出すことになるのだから。

 

聖書の御言葉を、よく学びよく読んで

心に留めて祈ることより、

霊的事象を、上位にしたらダメです。

 

それって神様の御言葉を、

霊的事象、奇跡より下に置くことだから、。

 

霊言、異言は死者の霊が、かかってきたのでも、出来る。霊的事象を、最善のものとして求めることは、口寄せ行為を求めるのと紙一重。

悪いことは言わないから慎んだ方が良いことです。

父の御心に、、添うことではない。

 

マグダラのマリア

 

 

 

 

 

 

 

 

社労士さんと新小岩の駅で

待ち合わせをして心療内科の病院へ行きました。

前日から雨の予報だったから、

もし傘と杖を両方持つと手の空きが無くなるので、、しぶしぶ階段の上り下りがある

駅に行くのだけれど杖を持つのは諦めて、傘は折り畳み傘を持って行きました。

 

行きは小雨だったので傘差さなかった。

 

前日から、晴れないかな、。

滑って転びたくないな。

杖持っていけないし、、

小雨か晴れますように。と

都合の良いお願いをしてました。

 

前日予報で、

たしか降水確率90%だったんですけど。

 

なぜか当日40%に減ってて小雨。

ありがとうお父さん!と心の中で祈りました。

 

社労士さんが書いた書類見ながら

お医者に、息子、いろいろ突っ込まれて。

 

いくつか引っ掛け質問されて、

息子、出来る。と言っちゃって、

そこ何で出来るっていうよー。

書類作ったときの打ち合わせはなんだったのよ。

お医者さんには出来ないことにしないと障害年金貰えないって耳にタコが出来るだけ言ったのに。

自分が出来ないレッテル貼られるのが屈辱的だからでしょうね。

ご飯作ったりしてないのに作れるって言うし。

今、作ってないなら出来ないでも、いいのに、

中学の調理実習のカレーライス作ったときのこととか、私居なくて、ご飯は炊けてて、おかずに冷蔵庫にあった鶏肉焼いて、焼き鳥のタレで味付けて、娘と一緒にご飯食べた時のこととかを指して、出来ると言うのよね。

 

何年前?今じゃコップ出すのも飲み物出すのも

箸出すの以外は、みんな私してるじゃん。

出来るじゃなくて出来てたなんだけど。

こりゃダメかな、。と思ってたら

 

お医者さん、、笑いながら

何でもひとりで出来ると書いちゃうと、障害年金いらないでしょってなるんで出来ないということにして書いときますね。って。

 

でも、コンサーター増やしたいと言ったことは忘れてて増やしてなくて、

 

窓口でそれを言おうとしたら

息子、もう来月でいいよ。

来月9日が予定日 

その日に、ある程度診断書、

書いて貰えてないと

 

息子の誕生日の前後3ヵ月以内に

申請出せないから、。診断書いつ頃できますか?と次に聞かないと。

ちょっとボケ入ってるっぽいし先手打たねば。

 

息子は、引っ掛け質問に気づかないし

全部、自分でやらせたら、お医者さんが連絡するまで自分から診断書のことも聞いたり、早く書いて欲しいとか催促しないだろうから。

 

障害年金、継続出来るかも怪しい。

任せれないな。

貰える仕組みを息子が理解するまでは。

 

永久に手取り14万円でいいのか。

お嫁さん来ないよ。

 

障害年金貰えなきゃ

ネット系の副業YouTuberするとかアフィリエイトするとかしか無いけど継続的収入は見込めない。

 

株投資もあるけど、息子に向いてるとは思えない。パチスロギャンブルも30万円散財したから、絶対に向いてない。引き運が悪すぎる。

 

太鼓の達人で動画作って広告付ければ?と昔言ったけど、本人もう20だから引退するとか言ってるし。

 

障害年金貰えなきゃ、今の給料から出来る限りケチって貯金するしか無いんだけど、

それもわかっているようでもない。

 

お金は働けば貰えるって感覚。

年重ねるとそうは行かないから貯めておけ!って言ってるんだけどね。

 

お金に関しては言うこと聞かない家の娘と息子君。江戸っ子気質。次の月の給料までに

ろくに貯金しないで、財布はいつもすってんてん。

 

私が生きてて、支払いできてる間だけなんだけど貯金が出来るのって、、どれだけ私が支払いしてるか、子供達はわからないから。

 

マグダラのマリア

 

 

 

 

人を指して、人とも、人間ともいう。
人が複数いたら、人間。

人と人の関係を人の間という。

人と人が思いやりあうとき、
神様も、そこに、、
共にいらっしゃる。

神様は人を介して
働かれる御方だから、。

自然に人を思いやれる人は幸いです。

神様は、憐れみを
与えられるでしょう。


目の前で困ってる人を、
思いやり助けることは、、
大きな愛の行いだからです。


神様は、コップ一杯の水を
飲ませるという
すぐに忘れるような
小さな行い一つさえ、

けっして忘れません。
必ず、何倍にしても
報いて下さいます。


それは普通、人というものは

自分を守ることで精一杯であるのに、
自分のことを後回しにして、他者を
気遣ったからです。


たとえコップ一杯の水を
与えたことでも神様は忘れません。

人は自分に余裕がある時には、、
思いやれても
自分が大変な時に他者を、
思いやることは、とても大変です。


人を愛せというだけなら楽です。
愛の行い、愛の実践は、大変です。
そうしたくない自分の想いを、、
退けないといけないですから。

喜んでそうできるのがベストですけど。
そんなの奇麗事です。

善きことが出来てると思えば
人というものは簡単におごり高ぶり
神様にへりくだることも
感謝する事sらも忘れてしまいがちです。

常にそっと手を合わせて、
神様に想いを向けて感謝すること、
自己反省する事、
させて頂いたと、、
謙虚にへりくだることです。


人は自分は
人を愛している、愛があると思えば、
心の奥でおごり高ぶり、
ほくそ笑み。

人を愛せないと言っては
自己嫌悪し、、、
人に腹を立てては、、
憎んだり悲しんだりして、
心は、右往左往する。



心を静め
神様に感謝する事が
一番大切なのに、、、

多くの人は自分の心に、
振り回されて、過ごし
神様にろくに感謝をせずに生きる。

自分の善行に酔って、
自分の正しさを喜んで、。
反省もせず、自画自賛して生きる。

神様は善人だから救い
悪人だから救わない訳じゃない。
見た目がいくら善人でも、
心がおごり高ぶってたら救わない。

ニネベの町の人たちは、元悪人よね?
滅ぼされると預言されたのだし、。

でも、彼らは老いも若きも、
全員が死ぬほど悔いて、、
神様に必死に憐れみを乞い願い、

どうぞ憐れんで下さい。と
神様にへりくだって願い祈ったら、、
神様は憐れまれて災いを想い返された。

神様は、罪を自覚し
切実に罪を悔いて嘆き
救いを求める罪人の願いを優先して
叶えられる。

だから自分は清いと思ってるような
心おごった人の願いは一生叶わない。くす。

我が主は、、罪人を救われ、、
我が父は、、罪人の父となって下さる御方。

御名、永久に讃えます。
足らぬ者を選び救われ憐れまれる方に、、

永遠の感謝と忠誠を捧げます。

私の命も魂も、

あなたの願いの成就に為に、

お使い下さいますように。


天の門は、イエス様と共に

最後に通りたく願います。


私の主人が人を救わんと働かれてるのに
私が天国で、のほほんとしてたくないです。

私は、地獄落ちも経験済み。
地獄の底にでも、どこでもお遣わし下さい。

父さま、あなたの願いのままに、、。

 

あなたが私などに目を留め

憐れんでお救い下さいましたから

幾ばくかでも御恩返しをさせて頂きたいです。

マグダラのマリア



 

腰まだ少し痛くて、

立って動くのが、しんどいし、

御飯をありもので済ませて

あまり食べてなかったら、、、

貧血起きた。

 

デブで貧血?となり、、

もしかして低血糖?と思って、

ミニクリームパン3つ食べたら

落ち着いたから低血糖だったみたい。

 

昨日は背中も痛かったから、マシなんだけど

子供達は、もう痛くないみたい。

寄る年波には勝てません。

 

永遠のJK気分で居たいのだけどねー。

しずく、私がずっと台所に居て

見てる状態なので台所で、、

マーキングお漏らしするのは諦めたらしく

 

台所においてある猫トイレで

オシッコしてまして、、

洗濯物を減らすのに協力してくれてます。

 

寒くなって来たので

冬仕様のモコモコ長座布団をしいたら、

しずく、、そこを陣取って

丸まって、ウトウトしながら寝ています。

 

猫は、もう人より寒いのかしらね。

 

 

血筋。
聖書では血筋が重んじられる。

アブラハム契約は血筋による祝福。
アブラハムとアブラハムの子孫すべてへの神様の祝福の約束。

おまけに永遠の契約であるから永続的。

アブラハムの血筋であれば与えられる無条件の祝福の約束。。。のように見えるけど、、現実的には、不信仰な場合、祝福は与えられない。

イエス様の時、ファリサイ人らは血筋はアブラハムの子孫だったけれど
イエス様は、まむしの子 悪魔が父だと仰いました。

神様とイエス様とに心が繋がっていないから、、悪魔の木に繋がれたままで、神様から離れてしまってた彼等。

自分自身では正しい信仰者だと自負してたに違いない。

彼等は、批判や苦言を言われたら、、
心を静めて相手の話を
聞く、聴く、きく、、ということが
出来ない人たちでした。

すぐ、イエス様を殺すことに思考をつなげてましたものね。

敵は殺しても良いというユダヤの古い思考が根底にあるので、敵視したら、もうあとは憎しみと怒りしか持てなかったのでしょう。

自分を省みたり、
自分も悪かったのではないか?とか
思い直すことが出来なかったのね。

敵は殺してしまえば、いいと。
彼らの隣人は、自分の家族、親族だけで
自分に敵対する者なら同朋のユダヤ人でも排除し、異邦人に対しては、人だとも思って居なかったでしょうし、、犬と呼んでましたからね、動物、家畜位に思っていたのではないかと、、。

奴隷に関しては、更に動物、家畜以下で、物と同じ扱いをしていたでしょうから、ひどいと過労や病気で死んでも良いと思ってたでしょうね。

彼らには本当の意味での隣人愛はなかったのでした。
だからイエス様は、彼らを批判し諫めようとされた。

でも彼らは間違いを認めるどころか逆に公にイエス様に反旗を翻して、殺そうとした。
いくらイエス様が奇跡を起こし見せても、神様の御技だと頑なに認めなかった。

祝福を得るには、、血筋だけあってもだめなのね。神様への正しい信仰心がないと、。

自分の欲を満たしたいから神様信じてるふりして、人が見てないところでは悪行三昧だったなら、神様のための信仰じゃなくて、自分自身の為の信仰でしかない。

神様ではなく自分自身が主人だから堕落しっぱなしで罪の行いを改めることがない。

信仰者であっても、自分のための信仰なら、悪い実しか結ばない。
神様の為なら、、神様を愛し慕う故に罪から離れようと決意して、行いも改めようとできる限りでも努力する。

堕落の道、、性的堕落、金銭的堕落へとまっしぐら状態、、なのは、、

悪魔の木に繋がれたままで、イエス様には繋がっていないということ。

肩書きが牧師であっても、神父であっても、、形だけクリスチャンであるというだけで、、それではまむし、悪魔の子なのです。

血筋も大切ですけど
心と魂が、どこに繋がっているのか、は
もっと大事です。

それが先んじてあってこそ、、
聖霊が下って汚れてる霊を清めて下さり神様を信じて生きれるように助けが与えられるのですから。

神様の創造が霊界から始まったように
霊的新生、心の割礼が先です。肉体の割礼、洗礼は、あとでも良いのです。
どこかで一度洗礼を受ければ、、。

イエス様の血筋、神様の血筋に繋がっていると見なされるための霊的儀式が聖餐です。
イエス様の御血と御体を受け取る象徴儀式です。

聖餐の儀式はイエス様の十字架の贖いが、一度で良かったように一度で十分です。
でも人はイエス様に触れれる機会ですから幾度も聖餐に与りたいと想うし、教会側は、教会にこさせ献金を勧めるためにもミサで、聖餐と共に献金をするよう勧めます。

プロテスタントは、、月に一度聖餐式があるくらいですけど、、カトリックでは、ミサのたびに聖餐のパンを信徒に与え献金を勧めますね。

葡萄酒を与えない不完全な儀式だから、
行えば行うだけサタンに半分奪われて、サタンに霊的捧げものをし続けてると同じなのですけど、。

カトリックは、聖餐の仕方を原初のイエス様が命じた通りに、

赤い葡萄酒もしくは葡萄から作られた赤い飲み物とホスチアとにして、信徒に赤い葡萄の聖餐を与えるべきです。

悪魔に荷担するのはやめませんとね。
現状の性的堕落や腐敗が収まることはなく、ひどくなる一方でしょうね。

カトリックは結婚出来る牧師と違い。
子を産んで血筋による物理的な継承がなく、霊的な継承のみだから、霊的なサタンの関与が簡単。

信仰心が薄い者を選出させ、
少しずつズラして、神様の御心に沿わない方向へと引っ張って行っている。

サタンが、神様から、100年の間、自由にする事をゆるされたという幻を視た教皇がいたという話を、かなり前に読んだ。

fc2の記事に前に書いてあると想う。

奇跡は、、真摯な信仰の故に起こる。
神様のことを、、よく分からなかろうが信じて、、はい。と従う素直さが必要なの。

私、通常の一般的な思考を優先し
イエス様の御命令を軽んじて、神様とイエス様の御命令に、出来ないでしょう。と言い返してしまい、、大失敗したけど、、

身にしみるほど辛かったから、
頭の中で、心で聖句に言い返し厳禁🈲と
何度も刷り込みました。

聖句の足を洗うこと、思いやりで済まさず、一生に一度だけ、教会内の誰かの足を洗うこと、なら、、難しくは無いです。

たった一度のことならば、努力できるでしょう?
出来る範囲の御言葉に、そのまま従うことは、大事なことです。

こういうことを言うと
聖絶も動物をけしかけて殺害するのも是なのか?という人も居ますが。

聖絶は、神様への絶対服従を教えるための訓話で、歴史物語のように後世まとめられたもの。

実際に聖絶を、神様が命じたとは思いがたいですし。

家族ぐるみ、一族で罪を犯したのでなければ、神様は、罪を犯してない女、子供は生かし、親の罪を子に負わせないお方です。

聖絶、これは聖書に書かれてる内容で
ずっと腑に落ちないことでした。
訓話で、歴史物語であるとわかってスッキリしたのですけども。

聖書に疑問を持つのはしょうがないですけど、この聖句は信じれないとか従えないとか、下手なことは口に出して人に向けて言わないほうがいいです。

人に向けて言えば間接的に神様に言うのと同じなので、、人は神様から魂を頂いて居ますから、人に行い言うことは神様に向けてするのと同じです。

あと、見落としがちなことで

人に言うのも、自分自身にいうのも同じです。

自分をけなせば、自分の中の自分は傷つきますし自信をなくして、助けてくれなくなります。

 

若い幼いうちは

インスピレーションが湧いて、

勘が当たってても、自分をだめ認定して

運が悪いと自分が口に出す通りになっていく。

イエス様は、すでに成ったと信じて喜びなさいと仰いました。

自分の信じ切ってる思考は、

良いことも悪いことも現実化するので、

明るく朗らかに自分の可能性を信じて

自分を誉めて認めて、

 

自分の中でがまんばかりさせてた

もうひとりの自分を、、

暖かな光の中に迎え入れてあげましょう。

 

もうひとりの自分は、

俗に言う潜在意識です。

普段自分だと思ってるのが表面意識。

 

例えば嘘つかれて傷ついても

そんなことで怒ると、狭量って思われるからと

我慢して怒らないで我慢にがまんしてるうちに

 

急に我慢できなくなったり、引っ込み思案になってしまったり、心のバランスが崩れ、病んでる状態になります。

 

もう一人の自分に我慢させすぎて、自分の心を制御しずらくなったわけです。

 

癒やしてあげれば元に戻れますけど。

痛めつけた分の10倍は、良い言葉をかけ続ける必要があるので、被害は少ない内から自己ケアしたほうがよいです。

 

傷ついた自分を癒やしほめるのも一仕事です。

 

逆に自分はすごい偉いと人を見下してる人は、

もう一人の自分は、そういう自分に、うんざりして、引きこもり出てこなくなって、良い運からは遠ざかってしまうかもです。

 

もう一人の自分を誉めて認めて大事にして

感謝しましょう。

 

潜在意識と表面意識が一つになると

本来持つ神様の子としての自分に与えられてる能力を気づかず使えるようになりますよ。

 

ラッキーが重なったりして、、

運が良い。ツイてるという状態になるわけです。

 

天地創造の神様が手ずから創造され

魂を与えたのが人間です。

無能な訳がない。

 

山も本気で動くと信じたら、動くし消えます。

既成概念で動かないと思うから動かない。

山も天地創造の神様の御霊が満ちてるのだから、願いが、自分のためではないことで正当な願いであるなら山も動く。

 

 

マグダラのマリア
















 

夜中の3時に帰宅。

fc2ブログの方に書きましたけど

色々起きて、、疲れました。

 

浸水したらと考えて食べ物、水を2階に運んで。

猫のご飯やトイレ砂も、

パソコンとか濡れて困るもの、替えが無いものとか

2階に運びました。

 

そういう作業してて、避難しろーって

3レベル、4レベル、最後は5、、。

 

あちこちで氾濫ニュース、。

気は焦るけど作業すすまず。

レベル4のとき、焦ってご飯食べてから避難。

 

 

お腹空いてたら眠れないし、

体温も上がらないから寒いでしょ。

猫も連れて、、避難生活初体験。

 

身体、、痛い😂

コンクリートの床に寝てたからね。

 

夜中の3時に雨が止んでたし

6時には警報に変わるみたいだったんで 

子供に声かけたら起きたから、家に帰ろうと言って

帰ってきました。

 

しずくは自由に動けなくて怒ってたけど

家に帰って自由になれて、ご機嫌良くなりました。

私、、生まれて初めての避難所生活でした。

 

ボロでも自分ちが良いです。

座布団でも敷いて眠れるだけマシでしあわせです。

コンクリートの床で寝るのは心底ならぬ骨底寒いわよー。

 

マリア

  

 

仁徳天皇の御世、、民の家から米を炊く煙が昇らないのを見て、不審に想い調べて、、不作が続いて、

税を納めて、食べるための米の蓄えもないのだとわかって、、。

 

3年間、労役も納税もしないで良いとの

特赦令を出された。

 

民が弱り疲れていては国がたち行かないと、。

 

国が揺らぎそうな危機のときほど

減税して、特に裕福層に消費を促すのが得策であろうに、、。

 

今の政治は、、貧しいものが搾り取られて

裕福な者は、、さらに裕福になり

生活の格差はひらくばかり、、。

 

父なる神様、。

どうか、、今の日本を憐れんで下さい。

 

このまま、、東京オリンピックを迎えても

景気が上向くと思えなくて、、。

 

どうか、、良き徴の訪れがありますように、、。

 

マグダラのマリア

 

 

 

 

 

 

 

聖書に書かれている安息日は、。

6日は働いて7日めは、休みなさいという神様の

御命令によるものです。

 

何で休むのか、、人間だからです。

神様は、動き続けても、働き続けても、

御霊であるため、疲れて病気になったり過労死したりしません。

 

昔は、全部人の手足で行われ、すべてが肉体労働でした。

命に関わる水も井戸に汲みにいき、何度も往復したりしないと

いけなかったりしました。

 

服も手縫いですし、米や麦も石臼で人力で粉にしてました。

今と違って、身体は疲れました。

それで神様は、人の健康の維持のために、、休むと言うことを

法で定められました。

 

そうしないと、弱者は休ませて貰えないと言うことが

起きてもおかしくなかった。

こんなことが聖書に書かれている、。

 

アモス書

8:5 お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。
 

意約すると、、安息日なんて、そんなもの

どうだっていいから、、秤も、うまくごまかして、少しでも

多く貸したことにして、取り立てるときは、大きいものにして

たくさん金儲けしたいってこと、。

自分さえ良ければ、、って思考、。

 

慈悲深い主人は奴隷に休息を与えたけれど

がめつい意地悪な主人は、休ませずに倒れるまでこきつかい

病気になったり倒れたら、捨てるか、二束三文で、売り払いました。

 


サム上 
30:13 ダビデが彼に、「お前は誰の配下の者で、どこから来たのか」と問うと、「わたしはエジプトからの従者で、アマレク人の奴隷になっていました。三日前に病にかかり、主人に捨てられました。

 

この世でお金や物がなくて人が奴隷になっても、、

神様は、奴隷制度は作られていない。

 

だから、、苦役に悩む人のために、、

すべての人に休むことを命じられた。

奴隷だという理由で虐げられていた人たちが居たから、。

そういう人たちの保護、という神様の慈悲心の現れ、。

 

身体は、、身分的に奴隷でも、みんな平等、自由な民、。

神様の御前に、、奴隷はいない。

一人もいない。

 

原罪という罪に縛られた人間はいるけど、、それだって

創造された大元から原罪があったわけじゃない。

人は本来、無垢で愛に満ちた存在。

 

魂は霊は肉体に入る前は清いのに、、肉体に

原罪の徴が血の中に霊的因子があるせいで

神様の命を分けた魂は穢れなくても霊は穢れて、魂の輝きを奪う。

 

本来の神様の子として生きれず、原罪という悪魔の徴、

悪魔の木に縛られて、悪魔の誘惑にそそのかされて

罪の中で生きないといけなかった。

 

イエス様が御生まれになり、、、

先んじて、すべての人の原罪を購って下さったから、

 

イエス様以降は、信仰心があって

良い生き方をしようと、自分で強く心に決めたら、

一時には無理でも、、少しずつつ罪から離れて

清い生き方を出来るようになっている。

 

イエス様以前は、悪魔の誘惑にそそのかされて誘惑に負けて

失敗する使命者もいたけど。

イエス様が、悪魔を神様への愛の強さで勝って負かして、、

勝利されたから、、

 

人が悪魔の誘惑に勝ててなくても

イエス様が人として悪魔の誘惑に勝って、、

人が悪魔の誘惑に勝てる道を備えて下さった。

 

見えないけど、神仏を、、想いすがって信じることで、、

信仰心が、神様との心の掛け橋になって、、。

悪魔の誘惑を退けて人らしく生きること、、が

出来るようになってる。

 

すべての教えの与え主は天地創造の父なる神様だから。

いまは、、この教えじゃないと絶対ダメというのは、、

金もうけ主義の邪教だけで、、

他は、すべての人が人らしく生きるための教え。

 

これじゃないと絶対ダメというのは人の想い。

 

神様は、、そんなケチ臭いことは仰らない。

聖書に、神様の御心にそう、愛ある生き方をしてたら、、

神様のものなのよ。

 

原罪からの解放はイエス様しか出来ない。

でも天国に入るのは、

神様の御心にそう生き方をしてる人。

クリスチャンでも洗礼受けてても、、生き方が神様に

背いてたら、、、アウトで地獄行きです。

 

クリスチャンであることは、免罪符じゃないのよ。

無条件での罪の赦しは、、無いです。

悪魔の木に繋がって聖霊をないがしろにしてて

どうして赦される?

 

罪を認めて悔いないままだと赦しは永遠にないです。

口先だけの謝罪で赦すことは無いです。

 

口先で謝って赦されるというのなら、

私、この前、1ヶ月以上、神様に謝罪してたけど?

最後は、苦しいし、穢れ払いのために

髪も70センチ近く切ったし、土下座もしてたけど?

 

赦されて当然とは思えなかったから、ひたすら謝罪してた。

辛いし涙しか出なくて、身心にしみるほどに辛くて、

言う言葉に気をつけて、二度としないようにするって、、何度も思った。

 

心から、悔いないと、また、、

懲りずに、間をあけずにまたやるからね。

徹底して放置されるのは仕方ないと思った。

心底悔いるまで、、は、、。

 

分かるけど、、ほんと泣くほどしんどい、、、。

痛い目見るのも、神様に帰順するための気付きの期間だし。

同じ過ちを幾度も繰り返さないためにも必要なこと。

 

神様に従うのって、、しんどいのだけど、

お側に居れることは、何にもまして嬉しい、、。

 

神様は、要らないことは命じられてない。

要らないことも起きない。

すべてが益と変えられてる。

 

マグダラのマリア

 

 

エリシャによる熊を使った子供達の殺害の聖句は、つまづく人が多いみたいね。

 

「列王記 下 2章23節~25節」

エリシャが、ハゲと、子供達に罵られて、

怒って呪ったというお話。

 

前に記事で書いたけど、

熊がいくら強くて凶暴でも、

逃げ足の早い子供を、42人もとっつかまえて噛み裂いて殺すのは。

 

事実じゃなくて寓話だった。

ある牧師は、このエリシャの故事を使って、

神様にたてられた牧師、聖職者を批判し楯突くのはいけないってメッセージして、、

 

その説教聞いて、ショックを受けた信徒が、教会行けなくなったという実話を聞いたことがある。

長い信仰歴がある信徒であっても、

え?ハァ(゚Д゚)ハァ?ってなるわぁ。(笑)

 

牧師は、レビ人じゃないのだからね。

血筋がユダヤのレビ、神官の血筋ではないのだから、、神様が、御自身で選び立てた預言者達と、同列視するのは、、どうか、、と思うけど。

 

血筋、、って、なぜ大切か、、

伴性遺伝ってあるよね?

あれと似たもので、

神様が、祝福し選んだ使命者の産んだ

男子にしか受け継がれない

特別な遺伝子を長子と男子は受け継ぐから、。

 

だから女の子供1人しかいない場合は、父方の、父親と同じ遺伝子を持つ同族の男子しか結婚出来なかった。

 

他に嗣業の土地を他の氏族に行かないようにするためでもあったから、長女で一人娘でなければ、嗣業の移動がないレビの男性にお嫁入りは可能でした。

 

牧師は、神父とちがい結婚して子供を産み育てて自分の血筋を残せるのはカトリックと違って良い部分。

 

カトリックも、信仰が強く清い人なら、、独身でも良いけど、、

 

神様が、人に望まれているのは、

生めよ増えよ、地に満ちよ。なのだから、

夫婦となり子を得て家族を育むことが一番大切なこと。

 

話を戻して、。

エリシャの寓話の42人の子供は、サウル以降生まれ出る王の数、。

 

過去記事の系図とにらめっこしてみてね。

42人だから、、。

2頭の熊は、イスラエルを滅ぼしたアッシリア、バビロニアの王のこと。

もしくは、サルゴン2世とネブカドネザル2世です。

 

統一王と北イスラエル王とユダの王とを、

全部合わせた数です。

3+19+20で、42となります。

 

42人の子供とは、

42人の歴代王たちを意味していました。

 

42人が即位後、イスラエルが不信仰なら滅びる、という寓話形式のエリシャの預言警告的でした。

 

無駄なこと、は聖書に書かれていませんし、

子供を殺すという人の倫理に反することを、神様も是とはなさいません。

 

人を殺すな。と、人に命じられたのは神様御自身です。

 

詳しくはfc2ブログのこちらの記事に書いてあります。

未来の神学、、、その4「列王記 下 2章23節~25節」

 

他に神様の契約の箱を支えようとして

神様に打たれて死んだウザが居ます。

通説だと、ウザはレビではないから打たれたと言われていますけど。

ウザはユダでありレビ族です。

 

ダビデは、ウザが、善意で神様の契約の箱を支えようとしたのに、神様がウザを打たれたと思って怒りました。

 

神様は、正しい御方です。

やましい心があったから、ウザは神様に打たれたのです。清い心でいたら、打たれて死んだりしてません。

 

理由は詳しく

↓過去記事に書いてありますので、

お読み下さい。

 

関連記事 

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ダビデとウザ

神様に打たれたウザ

 

 

神様は、、永遠に公平で、、正しく、

人を悪から導き出す御方、慈愛に満ち

悔いる者を憐れみ、惜しみなく赦しを賜る御方。

 

我が神、我が主、私の避けどころ。

私の憩いの砦。

あなた無くして、私は、、生きていけない。

永遠にお側に居たい。

 

父さま、、幼い時、まだあなたを知らない時から、私は、あなたを求めて居たのです。

私が生まれ出た、魂の故郷、、あなたを、、

 

私の魂は、あなたを求めて乞うるのです。

あなたが必要です、、居てくださいって。

永遠に求めて乞い続けるでしょう。

 

ずっと、、もういい大丈夫と、思ったら、、

簡単に心は奢り堕落してしまう。

だから、、求め続けます、。

愛する父さま、、。

 

マグダラのマリア