道徳不要 俺ひとり (幻冬舎文庫) | 誇りを失った豚は、喰われるしかない。

誇りを失った豚は、喰われるしかない。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章17節)

『夕刊フジ』に連載されていた無頼派作家・

 

白川道先生のエッセイ集第2弾です。

 

『修羅を生きる』という言葉がまさにふさわしい

 

生きざまを経てきた白川先生だからこそ書くことの

 

できる珠玉の言葉が胸を打ちます。

 

 

 

 

 

本書は『夕刊フジ』にて無頼派作家・白川道先生が

 

生前連載されていたエッセイを書籍化した第2弾で

 

あります。

 

エッセイが書かれた時期が2009年の民主党が政権を

 

とった時期であろうと察せあれる内容がかなりあって


「あぁ、あんなこともあったなぁ。こんなこともあったなぁ。」


と思いながら読んでいました。

内容に関してはまさに『白川節』と呼ぶのにふさわしい

 

語り口で、伴侶である中瀬ゆかりお姉さまにコテンパンに

 

やり込められている日常ですとか、西原理恵子画伯から

 

もらった猫を「ろくでなし」という意味で「ろくちゃん」と

 

名付け、それはそれは目に入れても痛くない、という

 

言葉がまさにぴったりというくらいの可愛がりようで、

 

読んでいるこちら側も思わず目じりが下がってきて

 

しまいました。

しかし、肝心の時事評論や混迷を極める経済。廃れて

 

しまった『人情』や『男の矜持』を語るときには

 

『修羅を生きる』という言葉そのものの人生を送ってきた

 

白川先生ならではの鋭いまなざしで語られているところに、

 

僕が白川文学を支持する理由があると感じるのです。

中瀬さんの言うとおり白川先生の描く女性は今の

 

世の中には確実に『絶滅危惧種』のような言葉遣いを

 

するような方しかおりません。

それに対して


『これから俺は昭和しか書かない』


という断固たる姿勢の下に、白川先生の作品が紡ぎ

 

出されていたのは分かっているので、それはそれで

 

『アリ』だと個人的にはそう思っております。

僕は昭和の時代を(生まれこそすれ、わずかに生きては

 

いたものの)白川先生のように、「時代とともに」という

 

レベルまで生きていたわけではありませんので、

 

「自分ごと」として感じることはありませんが、あらゆる

 

道徳に背を向けて生きた人間だからこそ語ることの

 

できる『道徳論』がこのエッセイの中にはあると思います。

 

 

※追記


白川道先生は2015年4月16日、自宅で意識を失って

 

いるところをパートナーである編集者の中瀬ゆかりさんに

 

発見され、病院に搬送されるも、大動脈瘤破裂のため

 

ご逝去されました。享年69歳。

 

『病葉流れて』(幻冬舎文庫)シリーズを始め、いくつもの

 

作品を「未完」にして旅立たれてしまいましたが、それを

 

「彼岸」で一番悔いているのは白川先生でしょう。

 

この場を借りて謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

合掌。

 

 

 

 

 

 

 

 

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