ニッポンの書評 (光文社新書) | 誇りを失った豚は、喰われるしかない。

誇りを失った豚は、喰われるしかない。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章17節)

この本は皆さんが読んでいるという理由で

 

読みました。

 

筆者がAmazonやブログの書評にあれだけ

 

噛み付くのは自分の飯の種がなくなりつつ

 

あるという「焦り」からくるのでは? 

 

と考えたのは僕だけでしょうか?

 

 

 

 

もしかしたら、というか僕も筆者の言うところの

 

「一億総書評家」の内の一人かもしれません。

僕も、正直な話、「いい書評」と「悪い書評」の

 

区別なんて言うものはつきせんし、まぁ、

 

どこかで特集されていたり、もしくは僕が書いた

 

記事でいくつかのポータルサイトに掲載された

 

バージョンのやつを誰かがコピペしてそのまま

 

自分のブログに貼り付けているのを目にすると、

 

腹立たしさはまったくおきず、むしろ
「あぁ、僕の記事が彼らの心の琴線に引っかかって

 

くれたんだなぁ。」


という思いのほうが優先します。

話が少し脱線してしまいましたが、この本に

 

書かれているように自分の書く「書評」について

 

考えて書いたということはほとんどなく、一読して

 

心に引っかかったことをダーッと書きたれる、

 

というやり方でキーボードをたたいておりますので、

 

筆者の基準だと「守られている」とのことで

 

書評には値しないのでしょう。個人的には別に

 

それでもいいやとさえ思っています。

でも、雑誌や新聞や書籍などになっている

 

書評が「プロ」の書評でAmazonのカスタマー

 

レビューやブログの書評が「アマチュア」というのは

 

どうなのかなぁ、というのが一読した感想です。

僕も、こういうことをテーマに記事を書いて

 

いるので、「技術書」として書評を集めた本を

 

読んだり、成毛眞さんや小飼弾さんのブログを

 

いまだに参考にしていることがあるので、ブログや

 

カスタマーレビュー。マスメディアや活字に

 

なっている書評に関係なしに、その人それぞれの

 

PCDAサイクルがきちんとうかがえるもので

 

あればいいのではいか? そんなことを考えて

 

います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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