【考察】命の循環 | 新潟コシヒカリのお米農家「まごころ村」ブログ*出張販売・全国発送対応

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昨日はずっと命のことを考えていた

命をいただく


鴨が飛んでくれば網をかけ

捕まえて毛をむしって

肉を捌いていただく


遥々5000キロも離れたシベリアの地より

冬を越そうとやってくる鴨たちなのに


鶏は毎日卵を産んでくれて

癒やしも与えてくれた

一年半でしたがよく懐いて

窓を開けると駆け寄ってきてくれた


同居のワンコやニャンコとも

適度な距離感を保ちながら

同居していた


どちらも鳥といえば鳥

命の重さは同じはず


片や食するために命を奪われ

片や野良猫にやられて命を落とす


命を考えたときに

ありがたく食して自身の力に

変えた方が命を全うするのではないか?

そんな思いがふとよぎった


命は循環

死は終わりではなく生へと繋がる

そもそも私達は生を得なければ

生き長らえることができない


あらゆるものから生かされている

鳥肉、豚肉、牛肉、米、野菜

命のこもっていないものはない


いただくことで

普段そこまで強く感じない

生き物をいただいているという感覚

これが強烈に感じられるのではないか


そういう意味では

昔は死が身近にあった

生き物たちの死を身近に感じることで

生かされているという感覚が

強かったのではないだろうか


そして自身もいずれは死にゆく身

ということも今よりももっと身近に

感じていたのではないだろうか


そして、死を感じることで

生が生きてきたのではないだろうか


うまいマズいよりもありがたい

そんな思いが強かったのかもしれない


ありがたくいただく

貪らない

過食しない


そこにはかけがえのない

命があるのだから