富士と道連れ今日の旅




夕べ着ているものを全部
宿の人に洗ってもらった。
タオルも歯ブラシもない。
部屋には小さなテーブルと
今にも壊れかけた
クリーンヒーターが
あるだけである。
しかし、風呂の湯は
最高だ。そして、
少しピントがずれて
いるが、宿の主人
お婆さんとおばさんは
fuji3

親切だった。

ご飯は自分で手盛り。
朝、山盛り3杯食ってしまった。

8時前に出発。
芦ノ湖の向こうに白い富士山が
浮かんでいる。
若い頃、1合目から頂上まで
登ったことがあるが、
写真のように構図が整った
こんな富士山を見たことがない。





fuji2

静岡県に入るまではかなりきつい
旧街道をのぼる。
しかし、あとは全部下りです。

行く先々で富士山にでくわす。
そのたびに写真を撮った。
思わず撮ってしまうんだなあ。


三島着2時。
ビジネスホテルに投宿。
携帯は圏外で通じない。
これをアップロードするために
出かけなくてはならないのだ。

富士山の写真をいくつかのせました。


本日の歩数 25350
右の足の小指にまめができた。
fuji1

そのため、草履履きなり。


写真よく見えるかな。



4月15日

樫の木の坂をこゆれば苦しくてどんぐりほどのなみだこぼる


kyuudou
neko



「はいこちらへどうぞ」

道路工事のガードマンがしきりに

右手の谷に向かって合図している。
道路規制かなといぶかしげに

ガードマンのおじさんの顔を

眺めると

「こちらが、昔の東海道です」

なるほど、確かに車道から右の方に

細い道が見えている。kasinokizaka

お礼を言ってその道を辿る。


どうして、あの人はわたくしが         
東海道を歩いているのが         

分かったのだろうかなあ。


その道はでこぼこした石で

埋め尽くされ、さながら、

古代ローマの石畳のようである。sekisho

木漏れ日が路の上に縞模様を

描き、そよ風に吹かれて揺れている。

うぐいすが啼いている。

ああ、この瞬間ふと、

探し求めてきた

幸の風景を見る思いがする。


上から一人のおばさんが降りてきた。

「写真、おねがいします」

デジカメを渡すとこころよく

シャッターを押してくれた。


しばらく行くと木の橋に出た。          

まだ大人になりかけの猫が

横になって日向ぼっこをしている。

「おーいこんなところでなにやってんだい」

話しかけると、むっくり起きあがって

体をすり寄せてきた。かわいいやつだ。

急にオオちゃんが恋しくなった。


所々、旧箱根街道(東海道でもあるが)

が残っているようだ。この路に沿って

歩くことにしたが、やはり、天下の険とは

よくいったもので、そのつらさは

半端なものではなかった。

特に、樫の木坂では、心臓が                                 

今にも爆発しそうなほどであった。

冒頭に書いた狂歌は昔の人が詠んだもので、

箱根街道での一番の難所がここだったらしい。


今日の歩数は28678歩でしかないが、

小田原を8時に出て目的地にたどり着いたのが

4時すぎていた。


ああ、辛かった・・・・・・


4月15日











kewaisaka
濡れて郭の化粧坂・・・・



長唄「時致」を聴きながら歩いていると

突然、本物の化粧坂に差し掛かった。

ここは「曽我物語」の舞台となったところ。

虎御前が使ったといわれる化粧井戸も傍らに

今にも壊れそうな風情で民家の庭先に見える。

線路の下をくぐると国道1号線に出た。



今朝は5時に出発したから、まだ9時前である。

体が徐々に慣れてきた。

もはや、40000歩は未知の世界ではない。

途中で雨に降られたが2時頃には小田原到着。

万葉の湯にはいる。



電源がきれそうなのでこの辺で終わりにします。


4月14日   32148歩   写真は化粧(けわい)坂


街道筋の松並木

街道筋の松並木



東口から西口へと渡る。今日の出発地点
清源寺を探しにだ。

戸塚の駅は朝の通勤客の群れでごったがえしていた
西口はまだ開発が遅れていると見えて
狭い路地に囲まれた小さな店舗が軒を
連ねている。そのあらゆる路地という路地から
ぞろぞろと大勢の通勤客や学生たちが
溢れ出てくるのだ。
その流れに逆らいながら歩を進めていくと
旧東海道の道筋に出た。そして、すぐ目の前に
清源寺の石段が現れた。
今日は出だしから快調だ。
天気も上々最高の気分である。
昨日の失敗を考え、今日はゆったりとした気分で
歩くことに決め、長唄「時致」
を聞きながら歩くことにした。
三味線のリズムに合わせて
歩くとちょうどいい速さである。

それにしてもここの通勤客たち
咥え煙草が多いのには感心した。
小生も懐から気兼ねなく煙草を出して
吸いながら歩く。いい町だなあ。
しかし、小生、吸い殻は捨てない。
携帯灰皿を持参している。
とみると、向こうから男子高校生が
二人堂々と煙草ふかしながらやって来るではないか。
これはいかんぜよ。注意しようと思ったが
自分も吸っているのでそれができなかった。

目的地、平塚には夕方4時に着いた。
すべてが順調快適な旅であった。
今夜のカプセルホテルには
風呂がないので、銭湯に行く。
昔と全く変わりのない銭湯だった。


本日の歩数   48606歩


4月12日
 

四時戸塚到着元気溌剌腹八分目


うちのママさんに送ったメールの内容である。

実は元気溌剌どころではなかったのである。

万歩計は50000歩を超えていた。

昼に食したものは三つで300円のおにぎりのみ。

保土ヶ谷で道に迷い大幅に時間が遅れたために

残りの行程はただがむしゃらに歩き続けてきた。

足は半ばしびれた状態になっていた。

腹もぺこぺこだった。デパートにはいって

どらやきを注文しそれを出口のベンチに腰を

下ろして平らげた。



弥次北のあののんびりした旅と比べれば

悲惨の一語に尽きる。

疲れは集中力や判断力を鈍らせるから

自分探しの旅とかっこいいこと言っても

頭の中は目的地に着くことだけを考えている。


これじゃあ、だめだ。もっとのんびりした

気分でゆかなくっちゃ。


と反省して今夜はビジネスホテルに投宿。



お詫び  写真の容量が大きすぎてこの

     ブログに入れられません。

     写真の容量を小さくして次回からはのせます。

     ごめんなさい。


4月11日




日本橋から燕が濡れて五十三次春の雨


学生時代の親友から教わった都々逸を口ずさみながら日本橋の道標の前に立つ。

いよいよ出発の朝が訪れた。この都々逸がまさに自分の身に訪れようとは思ってみたこともないこともない。

通りがかりのサラリーマンを呼び止めてカメラのシャッターを押してもらった。親切な人だった。

そして・・・・意気揚々、男一匹まさほ君は五十三次の旅に出たのであった。

朝の空気は都会とはいえども澄み渡り、天上には雲一つない青い空が広がっている。歩く一歩一歩に

充実感がみなぎり、思わず叫び出したくなるのであった。この高揚感、長い年月水槽に閉じこめられていた魚が

いきなり大海に放たれたような気分である。自由とはかくも人の心をゆさぶるものか。思わずまぶたに

涙が浮かぶ。長かったなあ・・・・・・・・・。


ところで、バイザウエイ、約20分ほど歩いたあたりで、何だか変なのであった。交差点は人形町だ。えええ、

ここは何ヶ月か前に来たことがある場所じゃあないか。用もないのに水天宮の神社にお参りして

帰った記憶がある。去年はさんざん東京都内を散策したが、そのときに来たことがある場所だったのだ。

地図をよく眺めてみると、銀座発祥の碑のそばを通るはずになっているのに、この道じゃあだめだ。

そして、仕方なく元の日本橋の上に舞い戻った。ここから、銀座方向に舵を取り直して歩き始める。

ああああ、あの高揚感もたちまちしぼんでしまって、半ばしらけた気分で歩く。40分も無駄な

歩きをしてしまったのだから。


旧東海道は国道15号線に沿って歩くのだということに気づいたのは田町辺りにさしかかった頃だった。

万歩計を見ると20000歩を超えていた。段々と腰が痛くなってくる。背負ったリュックが重いので

それが腰に負担をかけているのだ。休憩が必要だ。コーヒー店に立ち寄りトイレで湿布薬を貼る。

靴を草履に履き替えてまた歩き出す。

しかし、人間の体は不思議なもので、30000歩を超えたところで、腰の痛みはかき消え、

川崎に到達する頃は40000歩を超えたが、なんということよ、足が妙に軽くなり、

勝手に動いているような感じになってきたのだ。この日のために鍛錬を欠かさず続けてきたが、

30000歩40000歩は自分にとっては未知の世界だったのである。


それとも、まさほ君は超人なのか、カプセルホテルで風呂に入って旅の汗を流した後で

川崎市街をふらふらと歩き回る余力さえ持ち合わせていたのである。

今夜は一人で派手に豪勢に焼き肉と決め込んだ。それも最上の肉だよ。

それでも、紅灯の巷を彷徨うことになれていないマサホ君は早めにホテルに帰り

もう一風呂浴びて、今、これを書いているというわけであった。

写真は明日載せるつもりです。みなさん、おやすみなさい。