朝5時草津のビジネスホテルを出る。

東の空は浅黄色に染まりこの旅最後の日を祝福して

くれているようだ。

隣のコンビニに立ち寄る。背負っていたリュックを

宅配便に託す。身につけているものは杖一本となった。


草津市役所裏手にある商店街から東海道を辿る。

このあたり、旧東海道の道しるべが整備され

すこぶる快適に歩くことが出来る・・・筈のような気がしていたが、

やっぱり、道に迷う。とちゅうの喫茶店でモーニング定食を

注文し、ついでに道を訊く。


どうやら、草津も通過し、大津市に入る。

途中で義仲寺に立ち寄る。

ここには、芭蕉の墓があるのだ。


旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる


辞世の句碑の隣りに芭蕉の墓はあった。

思わず合掌。


地図を見ると道は琵琶湖に沿って歩いているはずなののだが、

湖面は見えない。

琵琶湖大橋に出たときその雄大な湖は完全に

姿をあらわした。

何という広さよ。対岸が遙か彼方水蒸気の中に

かすんで見える。


そこは公園になっていた。GWを楽しむ家族連れや

若いアベックで賑わっている。


歩く、歩く、歩く。痛い足をかばいながら、京都に向かって

歩く。これが最後の日だ。そう思うと足の痛さも忘れ、

身も心も軽くなっていく。


逢坂の関には思っていたより早く着いた。

ここを越せば京都の町だ。

思わず琵琶湖就航の歌がとびだしてきた。


われは湖(うみ)の子さすらいの

旅にしあれば しみじみと

昇る狭霧や 漣の 滋賀の都よいざさらば


いかなるわけか、思い出せなかった1番の歌詞が

すらすらと、口をついて出た。

1番を何度も繰り返し歌いながら逢坂の関から

京都に向かっておりていった。


・・・・しかし、完全に山を越え、平地におりたって

街の住所をみれば、まだ大津市となっていた。


・・・・そして、ついに京都にはいる。

旧東海道がどのあたりにあるのかいつの間にか

小生の目から消えていた。

そこは国道と名神高速道路が折り重なり、

人の行く手を阻んでいた。見れば通り過ぎた遙か彼方に

横断歩道橋がある。あれを渡るしか前に進む方法は

ないのかも知れぬ。


渡って、しばらく行くと旧東海道らしき町並みに出た。

きれいなお姉さんに道をきく。

「ここを、辿っていけば、三条大橋にでられますか」

お姉さんはふっと、口ごもった様子で、すぐに

応えてくれない。

本当にそこまで歩くのかといった感じで、

「そうとう、ありますよ」

行けることが分かったのでお礼を言ってわかれたが、

何か気になった。

小生、京都に入ればすぐに三条大橋にたどり着けるものと

たかをくくっていた。が、それは、まったくの勘違いだった。

道は清水山の裏手を抜け、延々と続く。

それから、2時間あまりも歩き続けて、やっと、

白川の橋を渡り、三条に出たのであった。


大勢の人だかりで黒々と盛り上がって見える所があった。

目をこらしてよく見ると、人混みの後ろに橋の擬宝珠が見えた。

ああ、あれだ。あれが三条大橋だ!


「ついに、終わる。ついに終わる。終わってしまう」

同じ言葉を何度も口の中でつぶやきながら、

小生は歩く速度を落とし、ゆっくりと橋にむかって進んだ。


最後の一歩!擬宝珠をつかむ! 終わった・・・・・



60395歩

5月3日



sannjou         seki



bashou         biwako


上から三条大橋、逢坂山関碑、芭蕉の墓、琵琶湖



「どないしたいん」

椅子に腰掛けた小生の耳元で

店主のおやじさんがきく。

かなり、困った言いぐさだ。

この床屋は客をとるのが嫌いなのか。

こんな迷惑そうな言い方はないだろう。

「だから、さっき言ったでしょう。染めてもらいたいのです」

彼は鏡の下の戸棚を開けた。見ると薄汚いタオルが

今にもどどっと崩れて落ちて来そうな状態でつまれている。

その中の一枚をおもむろに引っ張り出しおいらの首筋にかけたが、

普通どこの床屋でもかけるあのマントみたいな覆いが

かかってこない。

鏡を通しておやじさんの様子を見ると、携帯電話で

誰かと話をしているではないか。やる気のない床屋である。


旅の記念に頭ぼさぼさ、髭ぼうぼうの状態で帰路に

つくことを考え、しばらくは髭もそらずにいたが、

どうも、このおいらに髭は似合いそうもないことが分かった。

その有様は、「汚い」の一言に尽きる。頭も髭も完全に

真っ白な白髪であるならばまだ許せるが、白黒茶色金髪と

色とりどりの髭が入り交じって、その、汚いこと筆舌に尽くしがたいほどなのだ。

だから、通りがかりのこの床屋にふらふらと入ってしまったワケだった。

店の中はかなり狭く、古ぼけた小さな椅子が2脚置いてあるだけだ。

これは、大きな失敗だった。と、後悔の念がわき起こる。


携帯電話が終わってしばらくすると、おかみさんのような人が

突然店に現れた。そして、この人がマントをかけてくれ、おいらの

髪を染め始めたのだった。そのやり方はすこぶる手際が良く

瞬く間に彼女の仕事つまり、ヘアダイを塗る仕事は終わってしまった。


「髭剃りはる?」

おやじさんががきくので

「お願いします」

と頷けば、いきなり椅子が後ろに倒れ、

腰のあたりにバイブレーターの振動がわき起こった。

お、このぼろ椅子あなどれないぞ。腰をマッサージしてやがる。

こしゃくなやつめ。と感心しながらおやじさんのカミソリを

おっかなびっくり、全身固くして顔面に受ける。薄め開けてみれば

そのカミソリもかなり年季が入った代物らしく鈍い光を発している。

結局、おやじさんの腕前は確かだったようで、顔をきられることなく

ひげそりは終わった。椅子が起きる。


「お茶どうぞ。タバコすいはる?」

振り向けば台の上にお茶が用意してあった。

ヘヤダイが乾くまでにまだいくぶん間があるようだった。

自然乾燥だから時間がかかるのだ。

お茶のサービスに気をよくしたおいらは急に饒舌になっていた。

「水口神社のお祭りはもう終わったのですか」

「4月20日やった」

「ああ、おしいことしました。4月20日だったのですか。

20年以上も前に一度見に来たことがあるんですよ」

「山車がようけでて、町内を回ります」

「水口囃子が全国的に有名ですよね。そのお囃子を

練習してたんで太鼓のメンバーと見に来たのです。

でも、全国的に有名なわりには、

皆さんジーパンはいてやってましたね。

あれはどうかと思いましたが」

などと、普段無口なおいらにしては

ぺらぺらとおしゃべりをしてしまっていた。

それから、とりとめのない会話が延々と続き、

ヘアダイが乾く頃にはおやじさんとの間には

友情さえ芽生えて来るのを感じ始めていた。

「髪洗いますよ」

思わず腰を浮かして前に体を運ぼうとしたときだった。

おいらの動きより先に椅子がいきなり洗い場に向かって前進したのである。

おおお、このぼろ椅子め、まだ隠し技を持っていやがったか。

おいらは、多少狼狽気味に頭をシンクに埋めてお湯がかかるのを待った。


やがて、ドライヤーで髪も完全に乾き

髪型も整った。

「お疲れ様でした」

「ありがとうごさいました」


と立ち上がろうとした刹那、

いきなり椅子が出口の方向に向かって回転した。

おっと、これはこのぼろ椅子に一本とられたわい。

照れ笑いをうかべながら椅子から降りる。


「ありがとうございました。お気をつけて」

おやじさんが後ろで笑っていた。


52253歩

この日は草津宿に泊まる

5月2日


床屋のおやじさん
tokoya








坂は照る照る鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る



国道に降り立ったころ、急に風が強くなってきた。

さしている傘が時折舞い上げられそうになる。

傘はもう役に立たない。

半袖のウインドブレーカーの上にさらに長袖の

ウインドブレーカーを着込んでいる。しばらくは

しのげるであろう。傘をしまいこみ、雨に打たれながら

早足で国道沿いの歩道を進む。


しばらく行くと、道の端で雨合羽を着た人が自転車を

止めて何かやっていた。飛びそうな帽子を

鉢巻きで強く固定しようとしているようだ。

「大丈夫ですか」

思わず声をかけると

「どこからきたのですか」

頭をしばりながら彼は親しげに話しかけてきた。

「日本橋からです」

「あ、わたしも、ですよ」

「ええ?その自転車で来られたのですか」

小生は驚かざるを得なかった。その自転車は

いわゆる、普通のママチャリだったからだ。

しかも、彼は65才だと言っていた。

雨の中、しばらく立ち話をした後で固い握手を

交わし、お互いの安全を祈りあった。

ママチャリはみるみるうちに雨に煙る車道に

消えていった。


風だけでなく雨足も一段と強くなってきた。

もう、足のことはかまっていられない。

体温の低下を防ぐために、さらにスピードを

上げる。ズボンも完全にぬれそぼり、

ウインドブレーカーももう役に立たなくなってきていた。

肩から背中にかけて水が流れていくのが分かる。

雨宿りする場所もない。かりにあったとしても

夜まで降り続きそうな雨だった。歩くしかないのだ。


ああ、あれは小学5年生の頃だったか・・・・

新聞配達の途中で雨に打たれちょうど今と

同じように全身ずぶぬれになったことがあった。

でも、あのときと比べれば今の方がまだましだろう。

少なくとも頭はまだ濡れていない。

雨に打たれながら、あの日のことを鮮明に

思い出していた。


それにしても、この強い風はなんなのだ。

気をはっていないと、風にあおられ、

車道に今にも倒れ込んでしまいそうだ。

雨と風との格闘が1時間以上も続いた。

もうこのままだと、完全に体力がなくなり、

体温も低下し、死の危険さえ感じ始めた頃、

「あいの土山道の駅」

の看板が目に飛び込んできたのだった。

あいの土山の「あい」は馬子唄からきたものだとは

知っていたが、まさに「愛の土山」にみえたのだった。


あいの土山でTシャツを購入し上だけ着替えた。

ズボンとウインドブレーカーは石油ストーブで

乾かし、ほっと、命をつなぎとめたのであった。



47044歩

水口宿

5月1日



mamatyari






坂は照る照る鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る

                      (馬子唄)



雨しとしと振る中を傘さして関ロッジを出る。

今日は東海道3大難所の一つといわれた鈴鹿峠を越える日なり。

山々は霧に覆われ道は人影一つなくただ深閑として

雨にぬれている。小生の歩く足音だけがかすかに

響いていく。


昔大火によって消失したという片山神社の前を

左に曲がり、急な坂道を上っていくと国道一号線に

出た。昔の道標がある。「左江戸、右京」と読める。

その道しるべどおり国道沿いに道をとる。

そのまま15分も歩いただろうか、道路標識をみると、

な、何と浜松方面と出ているではないか。

うむ、このままゆくと日本橋に舞い戻ってしまうのだ。

仕方なく、片山神社まで引き返す。よく目をこらして

見ると、馬子唄が書かれた小さな板が進むべき方向を

教えていた。


薄暗い森の小径を行くと、鈴鹿峠の案内板に

たどりついた。半分消えかかっていて読めない。


さあ、いよいよ鈴鹿峠だ。箱根の険、小夜の中山と

比べてその険しさはいかほどのものか。いざ、ござんなれ!

と気合いを入れて登り始めたのだが・・・

道はあっという間に終わりを告げ、またたくまに

鈴鹿峠にたどりついていた。あっけない幕切れだった。


「左伊勢の国、右近江の国」と標識に掘られていた。

ここが国境だ。ああ、ついに滋賀県にはいったか・・・

自然に口から歌がとびだしてきた。


松は緑に砂白く 雄松が里の乙女子は

赤い椿の森陰に はかない恋に泣くとかや


ああああ、いい雨だ・・・・・

琵琶湖就航の歌の歌詞はこれしか思い出せなかった。

しかし、この歌詞だけで十分だった。大声で歌った。

何度も何度も繰り返し歌いながら山を下っていった。

ときどき、嗚咽がこみあげてきて、歌が喉に

ひっかかった。涙と雨に濡れながら、

ひたすら下っていった。



kennzakai

suzuka2

suzuka1

 


衆生本来仏なり 

水と氷の如くにて

水を離れて氷なく

衆生の他に仏無し


衆生近きを知らずして

遠く求むるはかなさよ

例えば水の中にいて

渇を叫ぶが如くなり

長者の家の子となりて

貧里に迷うに異ならず


六趣輪廻の因縁は

己が愚痴の闇路なり

自性即ち無性にて

すでに戯論を離れたり


闇路に闇路を踏添えて

いつか生死を離るべき

夫れ摩訶衍の禅定は

称歎するに余りあり


・・・・・・・・・・・・・・・


7日目、原を通ったとき、白隠禅師生誕の地を

訪れた。その日以来、一人でもくもくと

歩き続ける小生の脳裏に白隠禅師の和讃の

響きが突然あらわれた。高校時代に憶えた物であるから

半分も思い出せない。しかし、和讃の響きに

歩調を合わせて歩んでいると、いつしか

心が透明に透き通り、得も言えぬ恍惚感に陥り

そのうちまぶたには涙さえ浮かんできた。

小生は唯物論者である。認識の根源に観念論的な

発想を一切置かない主義だ。しかし、この精神状況は

いったいどういうことか。孤独な旅を続けていると

いくぶんナーバスになりものに感じやすくなることは

事実である。原因はそこにあるのか。だが、どうも

それだけではないようだ。つまり、「人間本来仏なり」

という信念、あるいは信仰に似たようなものは

いかな、唯物論でも否定し得ないものではないのか

ということである。


59221歩

       長い長いみちのりだった。さびれた東海道を

       ただひたすら歩き続けた。朝起きると足首の

       関節が固まってすぐには歩ける状態にはない。

       歩き出すまでに1時間以上はかかる有様だ。

関宿

4月30日


関宿の町並み
sekishuku




迷ってもいい道がある・・・


そこはあぜ道

長い長いどこまでも続くあぜ道

田植えがすんだばかりの田んぼは

日に照り映えてきらきら光る

田の面を渡ってくる

涼しい風が

ぼくを

やさしく包む


カエルが鳴く


どこからきたのか

これからどこへいくのか

すべてをわすれて

ぼくは歩いている


迷ってもいい道がある・・・


41249歩

四日市宿

4月29日



コロナワールドでヒレカツ定食を食す。

ここは野原に突然出現したレジャーランドのような所である。

温泉もあればパチンコ屋もある。

本日の行程は長いので、長居は禁物と食べ終わってすぐ様

出かけることにした。


外に出るとどうも空の雲行きが怪しい。

黒雲が立ちこめ、大粒の雨がぽつぽつ降ってくる。

地面に黒い斑点が散らばっている。まだ隙間のある雨だった。

長い横断歩道橋を渡って国道1号線に出たとき、

いよいよ雨は本降りになってきた。風は颱風並みの向かい風。

とても傘なんか差せる状況ではない。雨宿りをする場所を

探したが、遥か遠くに小さなレストランがあるだけである。

ヒレカツ定食を食したばかりの小生はレストランに入る胃袋を

持っていなかった。


しかし、とりあえず、大急ぎ、そのレストランに向かう。

風の来ない側の壁に身を寄せ体を縮めて雨をよけることにした。

30分以上たったころ、空が明るくなり出した。

そして、ついに太陽が顔をのぞかせた。

ああ、やっと雨はあがってくれるかと

ほっとしたが、しかし、しかし、雨はなおも降り続くのだった。

これはどういうことであろう。空は完全に晴れているのに

雨はそれから30分以上も降り続いたのであった。


1号線はだだっ広い大地の上を果てしなくまっすぐ

西に向かってのびていた。

歩いても歩いても同じ道だった。まるで、逆に流れる

ベルトコンベアーの上をただひたすら歩いているようだ。


2時間近く歩いた頃、やっと、そのベルトコンベアーの

終点が見えてきた。

木曽川に架かる橋が遠くに見えたとき、思わず携帯を取り出し、

家族にメールを打つ。


「マサホ君ようやく木曽川に到着。これより実況中継をはじめます」

「今橋を渡ります。あ、今第一歩をふみだしました」

「風が強くて、今にも川に落ちそうです」

「木曽川は満々と緑色の水を湛え、大井川より迫力があります」

・・・・・・・・・・・・(15分経過)

「やっと、橋を渡り終えました。所要時間約15分」

「あ、遙か向こうに長良川の橋が見えます」


ホントは長良川の橋が見えたような気がしただけだった。

その橋に到着するのはそれから、30分以上も経ってからのことであった。


長良川と揖斐川を1本の橋が同時にまたいでいた。

この橋も長かった。

この橋を渡り終えると三重県に入る。


「マサホ君、どうやら、最後の橋を渡り終え、桑名市に入ったようです」

「おめでとう!おめでとう!マサホ君盛んに万歳を叫んでいます」

「これにて、実況中継を終わります」


54791歩

桑名宿

4月28日


木曽川
kisogawa


東海道を歩いていてとりだめたVOW写真のいくつかをご紹介しよう。



丸子にいくとちゅうのタイヤやさんの看板
taiya












                                                        見えるかな十万歩前へと書いてあった


toire














パチンコ屋の看板、パチンコ大学
patinnko

                                                

                                               ほとんどぱくりですな

                                               ki



「えさをやらないで、お腹をこわします」

とある。犬は不在だった。入院したか?

inu


44604歩

宮宿

四月二十七日

唐衣
きつつなれにし
妻しあれば
はるばる来ぬる
旅をしぞ思ふ

       在原業平


岡崎宿を出てしばらく行くと神社があった。
熊野神社と書いてある。そして、鳥居の
横に、「第一岡崎海軍航空隊跡」と
石に刻まれた文字が見える。読んでみると
ここに戦時中予科練の訓練基地があり
若い特攻隊員たちがこの場所から死出の旅路に
飛び立っていったとある。



神社の傍らに小さな公園がある。
ここいらで一休みだ。
どっこいしょと重いリュックを
おろし、煙草に火をつける。
ベンチはないが、子供が遊ぶ
ぞうさんとパンダの乗り物があった。
これがベンチ代わりだとおもむろに
パンダさんに腰掛けたとたん、おっとっとと
後ろにずどんとひっくり返って
しまった。何やってんだ、馬鹿だなあおいらは・・・
どだい、子供の乗り物に大の大人が乗るのがいけない。



辺りを見回すと誰もいる様子がないので
太極拳を始める。しかし、始めて
まもなく一台の軽自動車が駐車場に入ってきた。
すぐにストレッチ体操に切り替える。
深呼吸をしながら上を見上げると
枯れ葉がぱらぱらと降ってくる。
春の風に吹かれて枯れ葉が散る。
不思議な光景だ。
その木は直径2m近くもある大木だった。
若葉の間に枯れた葉っぱが何枚も出ている。



「それは、春に散る木ですよ」
軽乗用車から降りてきたおじいさんが
にこにこしながら話しかけてきた。
「何という木か知りませんが。かならず
春になるとこうしてぱらぱらと枯れ葉が
舞うのです」
小生、思わず
「ああ、ここから散っていった
予科練の生徒たちみたいですね。
人生の春に散っていった」
と言えば
「これは、いいことをおっしゃる。
この神社にこの木があるのは何かの
因縁みたいな気がするんですよ」
などと会話が始まり、このあたりの 
戦前の様子などについていろいろ
教えていただいた。


そして最後に握手をして
別れることになった。別れ際に
おじいさんはその木の隣にある桜を指さした。
見ると、完全に散ってしまったはずの
桜の幹にひっそりと2輪の桜が咲いていた。
おじいさんはぽつんとつぶやくように言った。
「この桜、だれも愛でるものはいない」


それにしてもあのおじいさんは一体何者だったのだろう。



35122歩
知立 「ビジネス旅館わかば」に投宿


上の歌は在原業平が八橋に立ち寄ったときに
詠んだという歌。伊勢物語に出てくるが
高校生の諸君は古文で習うかも知れませんな。
杜若(かきつばた)を織り交ぜて詠んでいます。
無量寿寺にその碑がある。


上の写真は出会ったおじいさん
そして小生が泊まった旅館。
いつもこんな質素なところに泊まっています。



ojiisann


yado


差せばやむ畳めばしぐる春の雨  まさほ


今日も朝から雨。
思い出してみるとこの旅の大半が雨だった。
春は長旅には向かないのかも知れないなあ。
その降り方も気に入らない。傘を差すと
止むし畳めば降り出すという、ちょっくら
意地の悪い雨が多かった。


雨の中
吉田から御油へと向かう。
愛知県に入ったとたん、
車のスピードが急に速くなったような気がする。
かなり乱暴な運転が目立つ。
そう言えば、豊橋の駅に向かうサラリーマンたちの
歩く速度もかなりのものだ。中には走っている人もいる。
駅にあがっていくエスカレーターでも立ち止まっている者は
ほとんどいない。愛知県人はせっかちなのか、
エネルギッシュなのか。・・・おそらくその両方なのだろう。


雨は降ったり止んだりを繰り返しながら
御油に着く頃にはあがっていた。

御油の宿場に入ってしばらく行くと
前方に松並木が見えてくる。この松並木がすごかった。
よくもまあ、こんな形で残ったものだと、感心するばかりである。
これまでにみたどこの松並木よりも松の数が多くまた太かった。
この辺りは江戸時代松並木の背後には竹藪や雑草が生い茂り
昼間でも薄暗い感じがしたという。
弥次さんが狐に化かされたというのもこの場所である。もちろん
作り話ではあるが。

茶店「弥次喜多」があったが閉まっていた。(原書では北八と喜多八の両方を
十返舎一九は使っている。読まれた方はお分かりだろうが、
話自体もかなりいい加減なはちゃめちゃな話が多い。だからこそ小生は無性に
十返舎一九先生にあこがれるのではあるけれども・・・)


今日は疲れたのでこの辺で・・・


64976歩
泊まるところを探し求めてついに
明日の分まで歩いちまった。

岡崎宿にて
4月25日


御油の松並木を行く


matubayasi

kiro