夕べは浜名湖の辺(ほとり)清風荘という民宿に泊まった。
着いたとき、客は自分一人のような気がしていたが、
夕方6時を過ぎる頃、続々と男たちが入ってきた。
玄関先の駐車場には重機を載せたトラックが4,5台
止まり、つなぎの服を着た兄さんや、ガードマン姿の
おじさんたちが連なってやってくる。
 この宿は、2食付きで6300円と格段に安い。
人数が多ければもっと安くなるのだろう。
 どこか近くの工事現場で働く労働者たちが
この宿を根城として使っているのかも知れない。


おととい泊まった見附のビジネスホテルも、
同じような感じの宿だった。ビジネスホテルとは
名ばかりで、蛍光灯のカバーはとれ、障子は
破れ、浴衣もタオルも何にもなかった。
ここも夕方6時を回ると労働者たちがぞろぞろ
表のドアーを開けて入って来る。入ってくるたびに
宿の姉さんが黄色い声張り上げて
「おかえりなさーい」
と叫んでいた。
何度も何度も
「おかえりなさーい」
を聞かされているうちに何だか切ない気持ちになってしまった。


「もし、どこから来なすった」

白須賀宿を歩いているとお婆さんに呼び止められた。
にこにこ笑ってとても人なつっこそうなお婆さんだった。
「日本橋からです」
「ええ?」お婆さんは耳に手を当ててもう一度尋ね返す。
耳が遠いらしい。耳の悪い小生は急に親近感を覚え
前より大きい声で「日本橋から歩いてきたんです」
「わたし、90.90歳。まあ少しよっていって
わたしの話きいとくれ」
袖を引かんばかりの勢いである。小生もそろそろ
歩き疲れていたのでお婆さんの後に従った
玄関先に大型の雑種の犬がいたが、性格のいい
犬だった。吠えもしないし、飛びついてもこないのだ。
ただ柔和な表情を浮かべ、静かに尾を振っている。
土間には三和土(たたき)などなく、いきなり畳の部屋だった。
小生は土間の小さな椅子に座らされた。
 「わたし、テレビに出たの」
といいながら持ってきた写真を見れば・・・
ああ、そういえば、BSで確かそんな番組を
みたことがあった。名前は忘れたがサッカー選手か
誰かが東海道五十三次を歩いて旅する趣向だった。
お婆さんは彼に草鞋の編み方を教える役として
登場したらしい。
「呼び止めても、入ってくる人もいれば
逃げていく人もいる。でも、こうやって手紙を
くれる人もいる」
小さな箱に入った手紙を一つ一つ大事そうに
取り出しては、小生に渡してくれた。
人の手紙を読むわけにいかないので、面食らったが
こんなに大事に手紙をとっておく人が今時
いるだろうか、と思うと胸にじんときた。
ひとしきり、お婆さんの自慢話を聞かされた後
小さな草鞋を渡された。小生に持って行け
リュックにぶら下げていけとしきりにすすめる。
「ああ、うれしいなあ。おばさんありがとう」
快くお礼を言って立ち上がる。
「呼び止めて悪かったですね」
「いえ、こちらこそ、こんないいものいただいて」
「気をつけて、いらっしゃい」
お婆さんは道路まで出て見送ってくれた。
犬もいっしょに見送っている。


43411歩
4月24日
吉田宿



浜名湖の浜辺で太極拳を行う小生


 
taikyokukenn

「弥次さん、弥次さん」
袖をひかれたので後ろを向くと
無精ひげを生やしし、真っ黒に日焼けした男が立っている。
歳は30を少し出た格好。
ジーパン姿だが昔ながらの草鞋を
履いていた。


小生「弥次さんとは俺のことかい」

男「何を寝ぼけたこといってやがんだい
 長旅で少しおかしくなったんじゃねえのかい
 弥次さんがおめえさんじゃなかったら、ほかに
 どこに弥次さんがいるんだい」
小生「そう言われてみると、そんな気がしねえでもないが
   すると、おまえさんは、北さんか」

北「いつまで、とぼけてやがんだ。江戸から
   ずうっと一緒につるんで馬鹿やってきた
  相棒を忘れるやつがあるか」
弥次「俺が弥次で、おまえさんが北さんか。
    うん、そうだったかもしれねえな」
北「そりゃあそうと、旅も終わりに近づいてきたが
   この旅はよく道に迷ったなあ。道をきいても
  迷った。とくに弥次さん、おめえさんが道聞いたときがいちばん迷ったな」
弥次「おれあ、耳が多少悪いからしかたねえよ」
北「多少どころか、かなり悪いよ。しかし、まあよく
  道を聞いたもんだな」
弥次「昔の旅はよかったなあ。街道沿いに
   松並木はあるし、一里塚も遠くからよくみえたし
   道に迷うなんて頓珍漢な話ゃあなかった」
北「そうよ、今時、歩いて東海道旅するやつは
  よほどの変わりもんよ。ところで、道を尋ねるに
  かけちゃあ、かなり上達したようだな」
弥次「まあな、俺の中にある法則が生まれた」
北「ほほう。法則ときなすったか。で、そりゃなんだい」
弥次「まず、きいちゃなんねんもの。それは
   電信柱と、犬。猫。小鳥」
北「おきゃあがれ、だれが、そんなものに聞いたりするかい」
弥次「ハハ、これはじょうだんだが。俺がさけたのは
   マスクしてる御仁だな。マスクしてるやつああ
   ごもごも言ってて、よくききとれねえ」
北「おめえさん、耳わりいからなおさらだな」
弥次「それから、道を聞いてる最中、自分のかんげえを口にしねえこと」
北「そりああ、なんだい」
弥次「サッタ峠の下る道でじいさんに道尋ねたときは
   怖かったな。道が二つに分かれていてよ。
   じいさんが指さした道と違う道指さして
   こっちも行けるんじゃねえかいって言ったら、かんかんに怒りだしやがった」
北「雨、ざあざあ降ってたから、気い立ってたんだ。あのじいさんは」
弥次「他に法則と言えば、まあ、これが一番肝心だと思うが
   自分のいきたいとこを直に尋ねるのはだめだ
   だいたい、地元の連中は案外地元のことはしらねえもんだ」
北「ほう、それは弥次さんにしてはいいことを言う」
弥次「つまりだ。昔の東海道はどう行ったらいいでしょうか。
    なんて、きくよりゃあ。その道筋にある誰でも知ってる
   病院とか学校を聞いた方がてっとりばやいってことよ」
北「ちげえねえ、これは、おそれ入谷の鬼子母神、感謝感激雛あられだ」
弥次「北さんは道を尋ねる法則を考えたか」
北「あるある大事典ほどはないけどよ。あるにはある」
弥次「それはなんだい」
北「道を聞くときはかならず、きれいな姉ちゃんに聞く」
弥次「ハハハ、女好きの北さんらしい言い草だな」
北「かりにその娘に違う道教えられてもはらあたたねえだろ」
弥次「まあ、そりゃあそうだな。きれいな姉ちゃんと
   話できただけでも、もうけもんだ」


・・・・と馬鹿話しながらやって来ると、いつしか
舞阪の宿場町を通り抜け、浜名湖の辺までやって来た。

弥次「おお、ひろい、いい眺めだなあ。北さん、おい北八・・・あれ?北」
幾ら呼んでも北八の姿はそこにはなく、ただ、渺々と浜風が吹いているばかり・・・


小生、歩きながら少しばかり夢を見ていたらしい。



本日の歩数  35079歩   

新居宿
4月23日

写真:上  浜名湖

    下 弁天橋途中の小生

    
hamanako

masaho

晴れてよかろか 晴れぬがよいか
とかく 霞むが春のくせ・・・・
「時致」を聴きながら
春雨の煙る見附宿を出る。
国道一号に沿って続く
旧東海道を歩く。
ここにはほんのわずかな
松並木があるだけである。
昔を偲ぶ痕跡はほとんど無い。
幸か不幸か朝7時に出発して
着いたのは午前11時であった。
今日はしっかり足を休ませるつもりだ。

右足の小指にできた豆は小さな
風船のように膨らんで今にも
破裂しそうな状態になっていた。
仕方なく夕べナイフで穴を開けた。
水がぴゅうっと勢いよく
畳の上にほとばしって、
おおお、つまらないことだが
いたく感動してしまった。


ガストで昼食をとる。
てりマヨハンバーグとドリンクバー
しめて947円なり。


旅も後半に入ると、家族のことが
気になりだ

すのだろうか。
とくに食事をするときが
そんなときだ。


毎朝、かみさんと向かい合って
食べている日々が妙に懐かしい。
食卓には毎朝小生がつくる
多少マンネリ化したサラダ。
ハムと10枚切りのパン二きれとコーヒー。
たいした食事ではないが、
話もそんなに弾まないが、
そんななんでもないことが無性に懐かしい。

あと何日かでこの旅も終わりの時を迎え
再びあの日常にもどる・・・

・・・が、
いつの日か、何年後になるか知れないが、
どちらかが死んだ場合、そのような日常が
壊される日が来るんだな。


勝手な言い草だが、
自分はかみさんより先に死にたいと
切に思う。


本日の歩数  24294歩
浜松宿

4月22日



hyousiki

「東海道ど真ん中○○小学校」と門に
でかく黒々と書かれた看板のある学校の前を
通り過ぎ、東海道ど真ん中ガソリンスタンドを
左に曲がってしばらく進むと東海道ど真ん中商工会議所の

看板をあおぎみながら、
「東海道ど真ん中茶屋」はいったいどこかいなと
探し回っていると、むこうからお婆さんが
やって来るので道を尋ねるとご案内しますと
とても親切な返事をいただいたのでその後を
のこのこついて行くと、ああ、見えた見えたぞ
あれが「東海道ど真ん中茶屋」か、やっと
昼食にありつけると入っていけば、茶店とは
名ばかりで、中はお年寄りの集会所みたいで
土産物らしきものは少しほこりかぶっているし、
どこまで行くのって聞かれたから京都までと
こたえれば、葬式の会葬名簿みたいなノートに
名前と住所をときたので、快く筆ペンで
さらさらと名前をしるすと、なにやら記念品を
渡されたのでお礼を言って振り向けばあの
道を案内してくれた親切なお婆さんも
主然としていすに座ってにこやかに談笑
しているではないか。思わず、さっきはどうも
と言いかけたが何とも妙な感じがして知らん顔を
する。
リュックを背負って出ようとするとリーダーらしき
おじいさんが手招きするのでついていくと
旧東海道の道筋まで出て見附の方角を指さし
ここから1分ぐらい歩くと食べるとこあんから
そこで食べると良い。もどるのいやだろう。
と親切に教えてくださったので、歩き始めると
確かにスナックバーのような店に「日替わりランチ
あります」の看板。ここで食べるしかないなと
ドアを開けると3代に渉る年齢の女性が3人
小生を一斉にじっと見る。圧倒されてランチの
中身も値段もいっさい訪ねずにランチお願いします。
と注文する。出てきたものは豚のショウガ焼きとサラダと
ご飯と漬け物。これが実にうまかった。


ところで、あとから別の小学校の前を通ったが
ここにも「東海道ど真ん中○○小学校」の
看板が下がっていた。袋井の学校はみんな
この看板ぶら下げているのかと思ったら思わず
吹き出してしまった。
「ど真ん中」って、どんな教育的意味が
あるんだろう。


本日の歩数  今日も迷いに迷って 54000歩

4月21日

domannaka

大井川をわたる。

これまでは列車の窓から眺めるだけだったが、

実際に自分の足で渉ってみると、その大きさに

驚かされる。

橋をわたりきるまでに15,6分もかかったのだ。

この川幅全体に水があふれれば、川止めも

やむを得なかっただろう。妙な実感を伴って

納得した気分にさせられた。


新金谷駅を過ぎた頃、道がわからなくなった。

交差点で小生と同じくらいの年配の

おじさん(小生にとってはお兄さんか)に

道を尋ねたところ、旧東海道はもう一筋

向こうの信号だと教えてくれた。礼を言って

立ち去ろうとしたら、説明はそのあと延々と

続くのであった。その人が渉ろうとしていた

信号が青に変わっても、話は終わらない。

小夜の中山への道筋から、そこの石畳の

でき方等々について、果てはかつて歩いたという

箱根越えの話まで飛び出してきた。声も

でかい人だから、耳の悪い小生にも

よく分かる話だった。おじさんの渉ろうとしていた

信号が5回ぐらい青に変わった頃ようやく

話は終わったのであった。


今日のメインは大井川を渡ることと

小夜の中山を行くことである。ここは

鈴鹿峠、箱根峠とならんで東海道の

三大難所と言われている場所である。

広重の絵にも急な坂道がオーバーに

かかれている。

まずは、石畳茶屋で一息、うどんと

焼きおにぎりを食す。ここにたどり着く前に

すでに汗だくであったから半袖一枚になって

汗をふく。


準備体操をすませ、いざ、出陣というわけで

石畳の坂を上り始めたのであるが、

ここの石畳、箱根のそれとは違っていた。

丸い石なのである。あのおじさんの言っていたとおりだった。

幸い杖を持っていたので助かったが、こんなところ杖なしでは

かなり難儀することだろう。

そして、この石畳の坂が延々と

どこまでも続いていくのである。

ようやく、石畳が終わったと思う間もなく

今度は長い長い急斜面アスファルトの道。

ああ、やっと平らになったかとふっとため息つく

その前にまたも現れるながーーーーーい見上げるような急坂。

上をみると心が押しつぶされそうになる。

下の地面だけをを見つめながら歯をくいしばって

上り続ける。「ろっこんしょうじょ、ろっこんしょうじょ」

母が急な坂道を上るときよくこうつぶやきながら

上っていた。それが突然頭に浮かんできた。

「ろっこんしょうじょ、ろっこんしょうじょ」

小生もいつしかこの念仏を知らぬ間に始めていた。

「ほーーーほけきょ、けきょけきょけきょけけけ・・・・」

どこかで、ウグイスが啼く。箱根のウグイスは

まだ新米だったのか、これほどみごとではなかったな。

「ほーけけきょ」ぐらいで、声もこれほどおおきくなかたなあ。

上るつらさをウグイスの声にまぎらせて

ひたすら、のぼる。

ついに息が切れふっと立ち止まりこれまで上ってきた

坂道を振り返ってみた。ああ、そこには緑一色に

染め上げられた広大な茶畑が広がっていた。



本日の歩数   46154歩

掛川宿

4月20


大井川をわたる
ooigawa


isidatami

     

chabatake                  


 
 黙々と歩く、ただひたすら黙々と歩く。
もともとこの旅は物見遊山が目的では
無かった筈だ。昨日の自分はいささか
気が動転していたのかも知れぬ。
降り続く雨と、旅の疲れから、この
本来の目的を見失おうとしていたのだろう。
そうだ、ただひたすら、ただひたすら
京都目指して黙々と歩き続けよう。


 藤川の辺りですれちがったおじさんは
「日本一周」の幟を立て必死に自転車を
こいでいたっけ。あの人は60代をはるかに
超え出た年齢に見えた。北海道にはいつ頃
たどり着くのだろう。

 このような端からみれば酔狂としか
みえないことを初老の人間がなぜやろうと
するのか。それは老い行く自分に対する
抵抗か。社会から切り離されていく
疎外感から逃げるためか。はたまた、
失い行く自分に対する矜恃を再びとり
もどさんがためか。


 黙って歩いていると、頭の中に
文章や言葉が次々に浮かんでくる瞬間が時々ある。
文章ははじめ文節の連なりとして
生じてくるが、次には単語に
分裂し、最後には子音や母音に
分解する。単語の意味や文章の内容とは
別に単音どうしのひびき合いや口当たりの
よさやリズムをそこで感じることになる。
名文の名文たる所以は内容の深さと同時に
おそらくここにも水源をもつのであろうか。


今朝は朝焼けに輝く富士をみた。



 朝食  すき家朝定     280円
 道の駅 ブラック無糖   120円
 昼食  てんじん屋
      むすび3個     207円

 夕食  ラーメンと餃子   950円


歩数 50055歩

島田宿 泊
4月19日


宇津の谷道の駅にて

utunotani   

本日の行程は距離も短く
足をかばいながらゆっくり歩いても
十分にこなせるとぼくは思っていた。


だがしかし、
今日一日中迷いに迷って
途方に暮れた。


この雨では富士山も見えない。
単調な道をただひたすら
歩き回るだけだった。


神社仏閣にはもうあきた。


今日のブログはこれでお終い。

疲れたからもう寝ます。


歩行距離  46655歩


写真は迷いながらやっと
たどり着いた次郎長親分の墓。


4月18日
jirotyou


satta

iriguti



選挙カーの騒音が消える頃
サッタ峠の登り口に到着した。
あの連中はここでUターン
していたんだな。


雨はますます激しく降り出した。
登り口から上を見上げると、
なんと急な登り坂ではないか。
それもとてつもなく長い坂のようだ。
この雨の中、何を酔狂にこんな坂を
登らなければならないのだ。
しかも草履履きだ。

ここはパス・・・と、一度は
断念する気持ちが湧いたが
ええい、ここでくじけては
男の名がすたる。心と体に
鞭打って、登ることにする。


斜面には甘夏の林がひろがり、
黄色い実が雨に煙っている。
山際は枇杷の木が何本も並んでいた。
15分も上り詰めた頃、道は
平らになった。
雨雲に覆われ海岸線に隈取られた
太平洋が見える。ああ、晴れていれば
ここの景色はさぞ絶景に違いなかろう。
そういえばこの構図は広重の
絵にあったような気もする。


もはや、傘は全く役に立たない。
海から吹き上げてくる風が
全身に吹き付け、リュックサックも
雨を吸い込んでかなり重くなっている。
歯を食いしばりながら30分以上も
歩いただろうか、やっと薄暗い
サッタ峠にたどり着いた。
幸田文の文学碑がただ悄然と
雨に打たれているばかり。


それから男はトイレの軒下で休憩したあと一気に
興津方面に向かって、豆のできた痛い足を
ひきずりながら早足で降りて
いったのであった。


 なんと馬鹿な男よ・・・・


結局清水の宿に着いたのが
夜8時前であった。

4月17日 写真は上が峠の途中から

見た太平洋。下は登り口。

両足にできた豆をかばいながら、
そろりそろりと歩く。
昨日7時間ぶっ通しで歩いたために
ついに、右足にも豆ができてしまったのだ。
今日はゆっくり行くことにしよう。


我が家の方では雨がぱらついている
らしいが吉原の町は薄日が差している
ほどだった。

しかし、富士山はいっこうに姿を
見せてくれない。
本日辿る道筋は富士が一番よく
見えるところなのに残念至極。


ただひたすら、ただひたすら
もくもくと歩き続けるばかり。
海岸線にに沿って歩いている
はずなのに海が全く見えない。
退屈な東海道だ。こんな日は
「時致」では気が滅入るから
八丈甚句をうなりながら歩く。


太鼓たたいて人様よせて
わしも会いたい人があるよ・・・


しかし、この方がもっと気が滅入る
ようなので、すぐにやめる。
そして、うろ覚えの
Yesterdayを歌いながら行く。
こっちの方がまだましだ。


由比駅に着く頃、弱い雨が降り出した。
そして間もなく不思議なことに
薄日が差してきたのだった。
雨はまだ降り続いている。
お天気雨だ。
それも今までに経験したこともない
お天気雨だった。太陽がかんかん
照りだしたのだった。そして
いつしか降っていた雨は
蒸発するかのように消えていた。
屋根瓦がきらきら光っている。
太陽に暖められた体は
たちまち元気を回復した。
傘をそのまま差していく。


差す傘も日傘となりぬ天気雨


            まさほ


この太陽は10分も顔を出して
いなかった。
たちまち黒い雲が天上に姿を
現し、サッタ峠に向かう頃
強い雨が沛然と降り始めたのであった。


「阿部太郎をよろしくお願いします」
突然選挙の街宣車が後ろからやってきた。
小生に向かってウグイス嬢たちが
手を振っている。
小生のような旅人に手なんか振るな。
意味無いだろう。と苦々しく思いながら
会釈をする。

その車が行き過ぎると、また後から
別の候補者の車があがってきた。
「木村、木村拓哉がご挨拶にあがりました。
みなさま、よろしくお願いいたします」
すると前の方から
「阿部、阿部太郎をよろしくお願いいたします」
どこかでUターンしてきたさっきの街宣車だ。
つまり、2台の車が狭い坂の途中ではちあわせ。
そして、この我が輩は前の車と後ろの車で
サンドイッチになってしまったというわけ。
「がんばりましょう」「おたがいがんばりましょう」
何を頑張るのか知れないが、とにかく
エールの交換が始まった。。
二つのスピーカーに挟まれた小生の立場になってみろい。
たまったもんじゃない!。
いくら難聴で耳が遠い小生でも、これには閉口した。
山を越えて静岡県に入ったときから、
数多くの選挙カーとすれ違った。ほとんどが
同じパターンのウグイス嬢の声だった。

こんなこと毎回毎回繰り返していて
恥ずかしくないのかなあ。

まあ、選ぶのは国民だからこの選挙活動は
国民の民度を表しているともいえるが。
民度を高めるにはやっぱり教育が大事か。
デューイさんも「民主主義と教育」の
中でデモクラシーを発展させるための
基礎は教育にあり、なんてこと言ってたけど。
でもなあ、日本の教育現場こそ一番
デモクラシーが育ってない場所じゃないかい。
教師という教師がほとんど上意下達、金太郎飴
平目の集団で、子供たちにどうやって
真の民主主義を教えられるんだい。
デューイさん、あんた間違ってるよ。
変えるものは教育ではない。
今の社会から虐げられている
無産階級だ。かれらがその事実に
気がつき、自らの現実を否定しようと
したとき、世の中が変わるのだ。
いわゆる、階級的な視点が
あんたには欠けているんだよ。

やっぱり、マルクスとエンゲルスは
正しいのだ。

あれれ、話が変な方向へ行ってしまった。
サッタ峠のことはまた書きます。


本日の歩数  59671歩

興津宿

4月17日 
  



こ、こ、これはやばい。
清水にさしかかったときだった。
突然・・・も、もよおしてしまったのだ。
今日は午後から荒れ模様になるらしいので、
午前中に目的地に着こうと思い4時50分に
ホテルを立った。
こんなことになるなら、かたちだけでも
しゃがんでくればよかった。
どこかコンビニか、24時間営業の
ファミリーレストランはないものかと
懇願する思いで歩いていったが、
この道筋には店らしきものは
一軒もないのでござった。
腹に力をいれ、ぐっと、歯を
食いしばりながら東海道を
行く・・・男一人。

昔、娘たちに読んで聴かせた
絵本の題名が脳裏をかすめる。
「がまんだがまんだうんちっち」
こんな苦しいときになぜ
頭に浮かぶんだ、ちくしょうめ
神様、仏様、、無神論者の
おいらでも、思わず叫びだしたくなる気分だというのに。
そのうちに、冷や汗が額ににじんでくる。
「東海道中膝栗毛」の弥次さんが
同じような場面で粗相をしでかす話が
一度ならず2度3度と出てくるが、
昔の人は道中の厠はいかがしたもので
ござったろう。野原でその挙に
でたものだろうか。思わず野原を探す。
人間捨て鉢になったらそこまでやるかもしれぬ。
何しろ、まさにこの事態は極限状況なのである。
しかし、ここには野原などない。
すべて、冷たいコンクリートの
建物とアスファルトの道路だけだ。

国道1号線に出た。右と左を
苦しさにかすむまなこで眺めてみたが
店らしきものがまったくない。
ふと信号の向こうにマクドナルドの
案内板が見えた。矢印がしてあって
国道から左に曲がって500メートル
と書いてある。
おおおおおおおおおー
うんの助け、いや神の助け
こみ上げる腸動(こんな言葉あったかな)を
ぐっと、押さえ込み、小走りに、しかし、
腹に振動を与えないように気を配りながら
道を急いだ。つぎの交差点にでたとき、
おお、朝日を浴びて神々しくも光り輝くマクドの
あの黄色い M が目に飛び込んできたのであった。
そこにたどり着くまでの距離の長かったこと。
昨日の箱根越えの道よりも何倍も長く感じられた。

自動ドアーの前に立つ。開かない。
早朝は手動かな。手でやってもびくともしない。
ううう、絶体絶命。我が輩のウンもついにここに
尽きたか。

張り紙がしてあるのが目についた。
「現在この時間はドライブスルーの
営業のみとなっております」
そういうことか。急いでドライブスルーの
方へ走り、マイクに向かって叫ぶ。
「ママックマフィン1個とコーヒーとトイレお願いします」
「はいかしこまりました」
女性ののんびりした声がかえってきた。
横のドアが開き店長らしき男性が顔を出す。
「トトトイレかしてください」
リュックを脱ぎ捨て一目散にトイレに走り込む。
おお、わたくしめは、おもいっきり、
ここで幸運の快哉を叫んだのであった。

「危機一髪を救っていただき
どうもありがとうございました」
出がけに大きく一礼して
お礼を言ったが、あとで冷静に
なって考えてみれば
あのお礼の言葉すこし変だったかも知れぬ


あのお二人の今日1日の幸運を
心から祈る!


本日の歩数   41125歩

吉原宿

4月16日