季節的には既に冬の所もあるが、
紅葉が見頃の地域も多いから、
人によってはまだ秋という感覚かな?
秋というのは「飽き(あき)る程、美味な物がある」
という説もあると言うが、実のところどうなのだろうか。
先日は皆既月食があったね。
神子殿にとって日食や月食、彗星というのは
楽しむ出来事のようだが、
平安時代はどれも凶兆の対象だ。
975年の葉月には日食があり、
陽が昇った後に暗くなり星も見えたから
大騒ぎになったそうだよ。
日月食の類は天の乱れ=国の乱れと捉える。
だから朝廷は大慌てで全ての罪人を釈放したのさ。
時代が変わるとこうも違うものなのだね。
ただ…やはり月は隠れるよりも見える方が良い。
訳もなく物悲しく感じるけれど。
そんな気持ちを歌ったものが、
三十六歌仙の一人、大江千里の作品にあるね。
月みれば ちぢに物こそ 悲しけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねど
(月を見ているとあれこれと物悲しくなる。
私一人だけに秋がやってきたわけではないのだけれど )
どうだんつつじの“どうだん”を満天星と書くのは、
唐の故事由来と聞く。
漢字的に満天星と表現する方が美しいとは思うが、
日本では灯台(どうだん)つつじと記された。
灯台と言っても岬に設置されるものではなく、
結灯台のことで、満天星躑躅の枝分かれしている部分が、
結灯台に似ているからだと言う。
ちなみに結灯台というのは三本足の灯明台のことさ。
冬に葉が散った後の枝を見ると比べやすいかな。
近頃あまり体を動かしていないから週末に
高雄まで馬を走らせようと思っているのだが、
神子殿も如何かな?
金堂へ続く石段の脇にある紅葉が見頃だよ。
ただし……四百段の階(きざはし)を上る事を
覚悟しておきたまえ。
その代わり地蔵院の側から見える錦雲渓は絶景だよ。
何だったら疫病退治の願掛けに、
かわらけ投げでもしてくるかね?
それとも神護寺の別院、高山寺へ足を延ばそうか。
あちらの景色も格別だから、
きっと神子殿のお気に召すと思うよ。