京都府宇治市♪
↑
『紫式部ゆかりのまち』
↑
キャンペーンを
大々的に展開されて
いらっしゃるようです♪
↑
宇治市役所♪
物件調査でやってきました…
初めて宇治市役所へ
調査にやってきたのは
かれこれ20年以上前…
その頃の
時代に取り残された
暗い印象が
今でも僕の印象のまま
変わりません(笑)
↑
当時と比べれば
かなり洗練されたようには
思いますが…
印象を払拭するほどには
至っていない(笑)
宇治市は
紫式部推しのようですが…
そもそも
宇治は『武士の街』と
言っても良いくらい
日本の歴史では
戦いの要所です(驚)
僕達が教科書で習った
平安時代の征夷大将軍
坂上田村麻呂のお墓は
宇治にあります♪
鎌倉幕府が成立する少し前…
平氏と源頼政の戦いは平等院♪
源頼朝が
木曽義仲を破ったのは
宇治川の合戦♪
室町幕府15代将軍
足利義昭が織田信長に
京都を追放されるキッカケも
宇治での挙兵♪
紫式部の源氏物語の影響で
宇治は貴族の別荘暮らしで
雅なイメージですが…
どうしてどうして!
時代が動く戦いは
いつも宇治から
始まったみたいな街です♪
菟道稚郎子♪
↑
『うじのわきいらつこ』と
読みますが…
神功皇后の孫であり
武神と誉れ高い
応神天皇の息子であり
聖帝と称される
仁徳天皇の弟です♪
古事記、日本書紀では
宇治を舞台にした
『菟道稚郎子』の伝承が
たくさん語られております♪
仁徳天皇と菟道稚郎子は
応神天皇崩御の後
お互いに皇位を譲り合って
3年間も天皇が
不在の状況が起こりました…
世界の歴史で
王位や権力を奪い合っての戦いは
嫌というほどたくさんありますが…
兄弟で皇位を譲り合って
最後は弟の菟道稚郎子が自害して
決着するみたいな物語は
おそらくこのお話しだけではないかと
思ったりします♪
ちなみに…
仁徳天皇と菟道稚郎子以外にも
応神天皇の血をひく
兄弟姉妹はいて…
皇太子の菟道稚郎子が
天皇にならないのなら
自分が天皇になると
菟道稚郎子を倒す計画を
立てた兄弟がいましたが…
仁徳天皇がその動きを察知して
菟道稚郎子はこの兄弟を
迎え撃って見事に成敗した戦いも
宇治でした♪
↑
菟道稚郎子は
武神の応神天皇が
皇太子に任命した息子さんなので
当然ですが戦いの能力は
相当のモノでした♪
↑
宇治の地名の
起源ともいわれる
菟道稚郎子は
戦いの名将でもありました♪
↑
宇治を
『武士の街』と
僕は呼びたいのは
そういう由緒も
加味しています(笑)
菟道稚郎子の功績として
有名なのは…
日本で初めて
キチンと論語を学んだというお話♪
↑
応神天皇が
菟道稚郎子の
漢字の先生として
王仁を招いたことが
漢字と儒教が
日本に伝わったとされています♪
つまりこれは…
菟道稚郎子が漢字を習う以前に
日本に漢字は
無かったということ♪
↑
学者さんの定説では
日本に漢字が入ってくる前は
日本には文字が
無かったことになっています(笑)
あくまで伝承で…
確認はされていませんが
菟道稚郎子のお墓は
かなり大きかったという伝承が
あります♪
現状…
世界最大級のお墓として
有名なのが
堺の仁徳天皇陵♪
仁徳天皇の弟…
しかも
仁徳天皇に皇位を譲るために
自殺した
皇太子の菟道稚郎子です…
時代的にも…
技術的にも…
仁徳天皇陵より大きな
お墓を作っても
全然不思議では
無いですよね♪
↑
この謎も
おもしろい♪
↑
宇治の遺伝子は
ボクシングでも世界級♪
↑
20年ぐらい前の
僕の印象のままの
水道部庁舎♪
↑
この案内板は
令和の今でも現役でした(笑)
平安時代の『宇治』も
たしかに魅力的なのですが…
古事記、日本書記に記された
『宇治』は浪漫溢れます♪
さらに…
宇治には
饒速日尊の伝承も
たくさん残っています♪
↑
神武天皇以前に
強大な古代豪族がいた
可能性はかなり高い♪
抹茶と紫式部で
大人気の宇治なのですが…
武士や漢字や建築でも
凄い街なんだと
ちょっと知って
欲しかったりします(笑)
↑
らーめんの名店と
パン屋の名店も
宇治には実は
たくさんあります(驚)
好きなコーヒーの飲み方は?
▼本日限定!ブログスタンプ
今日一日…
怒らず、恐れず、悲しまず…感謝♪
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
WEBマガジンで
阪神タイガースの4番も打っていた
濱中治さんと対談させていただきました♪
↓
※※※※※※※※※※※※※※※※※※1
ブログの感想、個別メッセージ等々
いろいろお聞かせいただくと嬉しいです♪
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
まぐぶろは…
歴史好きの不動産屋です♪
土地・建物・相続・賃貸…
遊休農地・空家対策…
全国対応いたします♪
↓
※※※※※※※※※※※※※※※※※※