第16代仁徳天皇は聖帝と呼ばれ、

歴代天皇の理想像となっています。

 

 

その功績に相応しく、

世界最大級の仁徳天皇陵が現存するのですが、

なぜか大仙古墳陵という名称で、

世界遺産登録の一部となる予定です。

 

 

ご存知のように、御陵はお墓です。

敬意をもって謹んで参拝するのは誰が参拝しても

全く問題はないとは思いますが、

観光の目的地として見物に来られることは、

僕は絶対に嫌です…

 

 

あっ!

仁徳天皇でした!

宇治神社でした!!!

 

 

宇治神社の御祭神は 

莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)

仁徳天皇の弟で、頭脳明晰、品行方正、

お顔も良かったのだと推測されます。

 

 

宇治神社は学問の神様として参拝客が集いますが、、

勉学だけでなく、

本当の意味で、全てを兼ね備えた頭が良いと伝承される

莵道稚郎子命をお祀りしている神社です。

 

 

学問と同じくらい有名なのが…

うさぎ!!!

手水舎もうさぎからお水が出てきます…

 

 

本殿を参拝すると…

賽銭箱の先に…

 

 

見返りうさぎ…

莵道稚郎子命のお名前からも

「兎」は推測されますが、

 

莵道稚郎子命が

神の使いの見返り兎に先導されて

この地にたどり着き、

宮を開いたというのが由縁です。

 

 

 

父の応神天皇には、皇太子候補の男子が三人いて、

三人の中で一番小さい莵道稚郎子を皇太子にしました。

 

一番年上の兄が、天皇の座を狙って、

莵道稚郎子命を殺しにきましたが、

知恵を働かせ、返り討ちにしました。

 

しかし…

莵道稚郎子命は皇位に就こうとしません。

2番目の兄(仁徳天皇)に譲ります。

仁徳天皇も父の遺言は無下にできません、

 

 

2人でお互いに譲り合いをして3年経過した頃…

これ以上天皇位を空白にもできない状態になりました。

 

 

仁徳天皇は父の遺志を絶対に尊重します…

どんなに譲っても頑として皇位につきません

 

 

莵道稚郎子命はついに…

宇治川で入水自殺することで、

この皇位継承に決着をつけました…、

 

 

この莵道稚郎子命の御霊を祀って

仁徳天皇が創建したのが宇治神社です。

 

 

伝説に残る聖帝と評される仁徳天皇の

施政の端々には莵道稚郎子命の

真っ直ぐな想いもきっと

大きな大きな影響があったと推測します。

 

 

僕は平成最後の大みそか除夜の鐘が鳴る頃

宇治神社を参拝しました。

そして、前半が終わる6月29日に参拝しました。

 

 

宇治は歩くだけでタイムスリップできる

不思議な街と何度行っても思います。

 

 

宇治市莵道…現在もある正式な住所です。

宇治神社の北側です。

 

莵道の一番西側、三室戸駅付近に

莵道稚郎子命の御陵はあります。

 

おそらく明治ぐらいまでは、

莵道の地域はすべて、

宇治神社の御神域だったと勝手に推測いたします。

 

 

 

源氏物語や宇治拾遺物語の舞台になった

約1300年前の平安時代からの伝統ではなく…

 

 

約1780年前…

皇紀900年頃(西暦240年頃)の

莵道稚郎子命に対しての

尊敬と崇拝に基づいた

伝統を継承し、そこを大事にしているからこそ、

令和の時代になっても、ブレることなく

タイムスリップ感が

あるのかなぁ~というのが、

僕の宇治神社から導き出した答えでした。。。

 

 

 

…明日、宇治散歩最終回は、

  絶大なるパワースポット橋姫神社です~

 

 

 

今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず…感謝!