「〇〇ができないから…(ダメだ)」
って思うことはありませんか?
会話がうまくできないから…(ダメだ)
コミュ障だから…(ダメだ)
仕事がまだまだだから…(ダメだ)
稼ぎが少ないから…(ダメだ)
本当にそうでしょうか?
会話がうまくできないから…(ダメだ)
→会話がうまいひとは、嫉妬され、疑われ、期待されて勝手に失望されて、もっともっと仕事をと言われ、上司の都合のいいように使われ、期待されては叱られる。
会話がうまいほうが、よけいに苦しむ事実は忘れ去られる。
できないほうが気が楽。よけいな気苦労がないから。
コミュ障だから…(ダメだ)
→世界的に見れば、日本は識字率100%。アフリカ、アメリカでも、自分の名前さえ書けない人もいる。
字が書けるのと同じように、言葉も日本人は方言訛りがあるといってもほぼ同じ日本語。同じ朝ドラを日本全国共通語で見て、ほぼ通じる。
コミュニケーションに障害はほとんどない。
実際は「うまく、思ったとおりに、コミュニケーションできない」だけ。
【思ったとおりに】の期待値が高い。
だから、極度に緊張し、疲れ、自分はダメだと思う。
コミュニケーション能力を上げるよりも、期待値を下げたほうが早い。
仕事がまだまだだから…(ダメだ)
仕事ができるようになっても、不安も焦りも苦しみも消えない。だって上には上がいるから。
どこまでいっても「自分はまだまだ」から抜けられない。
「今もじゅうぶん、できていることがある」と認める。
そこからが、成長のスタート。
「え?今の自分を認めたら、成長しなくなるのでは?」
答えはNO。今の自分を認めたら、ぐんぐん成長し始めます。
稼ぎが少ないから…(ダメだ)
江戸時代の庶民は、エアコンも冷蔵庫も洗濯機も車もなかったでしょうねぇ。暑い中、うちわであおいで、毎日 今日食べる魚を買って焼いて、井戸で水を汲んで桶で洗濯して、殿様でさえ籠で冷暖房もなく長々と移動。庶民は歩き。
これだけのモノがそろっている現代、まだ幸せになっていないのかい?
どこまで稼げば、幸せを感じるのだろうね。
「〇〇ができないから…(ダメだ)」
というのは、
できるようになっても幸せにはならないよー。
そもそもの視点を変える。そこに幸せのヒントがあります。