涙よ、止まるな。 | 自分を見つめてーー知りたかった自分【病気のままで、幸せになる】

自分を見つめてーー知りたかった自分【病気のままで、幸せになる】

HSP(敏感すぎる人) AC(アダルトチルドレン)
うつ病 & 自律神経失調症 について、悩んでいる人のために伝えたい。


苦しい。苦しくて死にたくなる時だってある。
でも大丈夫、あなたは幸せになれるから。

昨日の夕方から不調。。

今日も朝から心は泣いてばっかり。

ちょっと元気だったからって、昨日、張り切りすぎたかな。


自分の過去や、現在を、

やむをえず勉強するようになって、知識が増えて、

ああ、こんなに問題のある20年間を過ごしてきたんだ、

こんなに我慢してきたのは、やっぱり問題だったんだって思う。

正確に言えば、まだ

「問題がある」なんて言っちゃいけない、

認めちゃいけない、

親も頑張ってきたんだ、だから良い家族だって思わなきゃいけないんだ、

それなのに不満ばっかり持つ私は、最悪だ――って思う。

それで自分を責めて、責めて、

人を前にすると、なぜか笑顔をつくっちゃう。

元気な声を出しちゃう。


本当はもう、限界を超えているのに。

だから身体のあちこちに、症状が出て、

もう隠しきれないくらいまできているのに。


なんとかして、元気で、だいじょうぶな「私」になろうとしている。

本当は、だいじょうぶなんかじゃないのに。


ずっとずっと抱え過ぎて、

ここ何年も、涙さえ出なくなってた。

汗が出なくなることがあるように、

涙も出なくなっちゃうのね。


心は大声で泣いているのに、

表情だけ笑顔作って、「元気そうでよかった」って言われて

「相手に心配かけずに済んだ、よかった。。」って思って、

ギリギリのところで存在してる私。


そうやって無理してるな、

もうこれ以上、自分を偽らなくていいんじゃないかなって、

自分に声をかけたら、

どっと涙が出てきて――


正直、「やっと涙が出た。。」ってホッとしてる。

だって、叫ぶこともできない、暴れることもできない、

泣くことでしか、ストレス発散できない状態まで来ているのに、

涙すら出ないんだよ。絶望的。

すぐ涙も止まっちゃうけど。

でも今日は、一歩前進。

だって涙が出たってことは、

ちょっとでも自分の現状を、認められたってことだもんね。


いつもいつも、良い子だった私。

小学校の時から、家庭のアンケートとか、食事調査とか、

そういう時は、「こう答えるのよ」って親から言われて、

現実とは全然違う、理想の答えを言って、

いいねえ、素敵な家族ね、理想の家庭ねって言われたよ、

そういう報告をしてた。


典型的ないい子。

やっとこの数カ月、母にだけは、言いたいことを言えるようになってきた。

「典型的ないい子って、本当は問題があるって言うけど、

うちは、典型的ないい子で、しかも問題も無いわってずっと思ってた。

でもやっぱり“うちだけは例外”なんてことないのね」

そうそう、“うちだけは例外”と、きっとそういう家庭の親はみんな思うんだろう。

でも、因果の法則に狂いはないんだよ。

原因となることがあれば、必ず結果は起きるんだよ。

それが“自分だけは違う”って

みんな思ってるのも事実だけど、

“自分だけは違う”なんてありえないんだ。

理想とか、希望とか、こだわりとか、執着とか、

そういうもので、力任せにネジ曲げられる真理じゃないんだもの。

因果関係は、間違いないよ。。



「親のせいにばっかりして、親のことを責める子どもなんて、

絶対あってはならないんだ。

過去のことは過去。もう過ぎ去ったことを持ちだすな。

第一、そんな子に育てた覚えはない。いい加減にしろ。

あんなに良い子でいたのに、

今周りに居る奴らがいけないんだ、

病院の医者も、何も分からないで勝手なことを言ってるんだ。

そんなことを言って、家庭を崩壊させようとして――」


父の言葉。

自分の思う通りにならないと、

壁に穴をあけ、包丁をまな板に突き刺して折り曲げて、

食器を割り、机を壊してきた、

それはもう過去の話で、過ぎ去った事で、もう無かったことになるの?

そして家庭を崩壊させようとしているのは、

今私の周りに居る人のせい?


今まで、親の言葉を信じて、

親の言うことにすべて従って、

親の思う通りの理想の子供で、

理想の成績、

理想的な性格、

勉強もスポーツも趣味も優秀。

そういう20年間が、無駄だったとは思わない。

生まれてから、そういう人生を歩んできたから、

本当の幸せを求めようという心が起きた。

だから無駄なんて一つもないし、

今の自分でよかったんだって思う。


でも、だからといって、

親のやってきたすべてが正しいわけじゃない。

むしろ、よくないことは、よくない。

暴力や、言葉で、相手を抑圧して、

自分の思い通りにしようと

無理やり自分に従わせるやり方が、

正しいわけがない。


そういう親のことまで、なんとかして“感謝しよう”としてきた。

ずっとずっと、感謝を求められ、

これだけ育ててきたんだぞ、

親がいなかったら、お前はここまで生きて来れなかったんだぞ、

感謝して当然なんだぞ、


そう育てられてきたから。

でも、感謝しなくていいことまで、感謝するの?って先生から言われた時、

「はい、私が知らないところで、きっと親には苦労があるから」

って答えたけど、先生は、「そうかなあ」って。

「じゃあ、虐待を受け続けてきた子供も、親に感謝する?」

わたしは「はい」って答えたはいいものの、

理由を聞かれると答えられなかった。


「感謝できない事まで、感謝しようとしても、それはむりなんだよ。」


そうなんだ……

私は言葉が出なかったよ。

感謝すべきことに感謝せず、

感謝できない事に、感謝しようとしている私。


大事な人を失い、

それほど大事じゃない人にばかり、頭を下げている私。


自分で自分に気づいて、

自分で自分をいたわって、

自分で自分のことを愛して、

自分で自分を幸せにする。


そうしよう。簡単なことじゃないけど、

きっとできるよね。