帰ってきてからというもの、もともととっ散らかった部屋に一年分の私物が増えたことで余計にとっちらかってしまっているので、ちょくちょく模様替えとはいかないものの、荷物の置き場所のマイナーチェンジを繰り返しながら狭い部屋を片付けている。
今日は開けることの低さダントツNo,1の棚を開けて整理をしていると、昔の写真、小学校の図書館から借りっぱなしのビートルズの伝記、おじいちゃんから貰った詰将棋の本、中学で使ってたカンペン三個、おなじく中学生の頃書いていた死ぬほど根暗な日記など、その他にも微笑ましくも羞恥心のこそばゆいツボを刺激してくる懐かしい品がいくつも出てきた(日記は速攻で捨てた)。
他のヒトがどうだか知らないけれど、記憶というものはやはり劣化の一途をたどるもので、過去にどれだけ、一生モノだと思えるような鮮烈な体験をしても、時間がたてば記憶力はそれを全くの事実と同じようには頭の中に留めておいてくれない。
幼い頃に見た夢を、現実に起きた事のだと錯覚し、そう思い込んでしまうことがあるぐらいだ。
自分に都合の悪い記憶は都合の良いように改ざんされるし、青春時代の記憶は過剰に美化される事もしばしば。
人間にはその後の人生に支障をきたすような辛い記憶やトラウマは、完全に無かったことにしてしまう能力もあるらしい。
それが稀に、自分の中にもう一人の人格を作り出し辛い記憶は全て第二の人格に預けてしまい、解離性同一性障害いわゆる多重人格障害に結びつくなんてこともあるようだ。
そもそも人の記憶力なんて適当で曖昧なもんだなぁとよく思うのは、自分が大分物忘れをする方だし、昔の思い出なんかを平気で歪曲する人間だからだ。なので他の人はもっとよく昔の事を覚えているし、思い出すことができる、と言うかもしれない。
ただ、ここでいう記憶というのは単にその時起きた出来事、体験した出来事の状況や風景などの視覚的、聴覚的詳細についての事を言ってるんではなくて、どちらかと言えば曖昧で変わりやすい記憶というのは心情なり情念なりの方だと思っている。
あれだけ一途に思いを寄せて心の底から大好きだった恋人にフラれた瞬間というのは、ベタにやすっぽいJ-POPの失恋ソングのように目に映る景色がモノクロの様に色味を失くし、地球のどこにももはや居場所なんかないぐらいに孤独感に襲われ、それこそ天と地が逆転したかの如く、己の無力感と喪失感に打ちのめされたはずなのに、数年もしてしまえばどういうわけか、その人の事を思い出すことなんて全くと言っていいほど無くなり、また思い出したとしても「今頃どこで何してんのかねぇ。懐かしいねぇ。」ぐらいの感想で、その人物に対する興味という興味はほとんどないに等しく、と言ったら言い過ぎか。
一度惚れるほどの人物の事を100%忘れてしまう程人情のない人間ではないけれど、あれほど、希望の全てを失ってしまった!とさえ感じた失恋の痛みも、いまやそれがどれ程の痛みだったかてんで思い出さない、あるいは思い出せないのだから面白い。
その傷が確かに痛かったのは覚えているし、その痛みにとことん苦しまさたのも覚えているけれど、じゃあそれがどのような痛みで実際どれだけ苦しかったのかはっきりした記憶なんてもうない。
その時感じたであろう情念や心情や、景色の見え方、音楽の聴こえ方、テレビで流れるくだらないバラエティ番組がどう目に映っていたか、そんな細かいところも含めて、どんどんどんどん昔の事は忘れていく。
その出来事が確かにあったことは忘れないし、その時感じた気持ちが嘘っぱちではないことも確信できるが、どういうわけか、その気持ちの記憶はどこかで途切れ、今や古い使用不可の地水が
枯れ、重い石の蓋をかぶせられ、しまいには水道に役割を取って代られた古井戸のように、思い出そうにも思い出せない。
また一方で、記憶の曖昧さが「思い出せない」とは逆の方向に働くこともある。
匂いと音は、人間の記憶と密接に関係しているらしく、街中でふと懐かしい香りをかいだり、数年ぶりに懐かしいヒットソングもしくはヒットしていなくても何故かあの頃よく口ずさんだ、なんて曲を耳にすると、それまで「忘れていた」つもりだった記憶が勢いよく音を立てて溢れ出す噴水の様に脳裏に甦ることは、きっと誰しも経験があるはずだ。
「忘れていた」のではなく忘れたつもりになっていただけの記憶もあれば、「覚えている」のではなく覚えているつもりになっているだけの記憶もある。
写真や映像や文章で事細かに、いつの時代に何が起こったのかを形あるものに置き換え、視覚的にそれを記録することはできるがそれは記録でしかなく、記憶ではない。
科学が発展して人間の脳みその中身までをもデジタル化できてその時の、心情や感じた温度湿度、匂い、暗い、眩しい、すべての情報をファイルに保存、いつでも展開、なんて時代になれば「完全な記憶」が実現するが、そんな話は今のところジョニーデップ主演のSci-Fi映画の中での話だ。
記憶というのはおそよすべての人間にとって曖昧で不完全なものであろう。
たとえどんなに完全な記憶力を誇る人がいたとしても
いつか心臓が止まり、口のきけない屍になった時、その人しか知りえない記憶は完全にこの世から消えてしまう。
そのかわりにその人は、まだ生きて記憶を増やし続ける人の記憶の一部になりえる。
なんでもデジタル媒体で保存、上書き、記録、シェア、シェア、シェア、できる現代に生きる者にとっては
時間の経過とともに時に暗い雲、時に神々しい靄にかかってく、誰とも完全にそれを共有することはありえない「記憶」というものはなんとも愛おしいではないか。
だから、酒のつまみの思い出話は花が咲くんだろう。
ここでは繋ぎ止めている古い記憶から、昨日の夕飯に関する新しい記憶まで、思い思いに振り返り、大いに脚色しつつ嘘も真も厚顔無恥に書きとどめていくことにする。
久しぶりにちゃーんと日本語使おう、としたら疲れた。THE 寝る。