主夫のコラム〜家事と育児とときどき手品〜 -12ページ目

主夫のコラム〜家事と育児とときどき手品〜

主なしごと
・主夫
・くじら保育園園長
・NPO法人ファザーリング・ジャパン関西副理事長


座右の銘
「笑ろてるパパがええやん!」
「いきあたりバッチリ」
「無限多様性の調和」

フェイスブックnoriaki.wada
ツイッターnontapapa

長女が1歳のころ、99歳の祖父から手品ボランティアを頼まれた。
寡黙な祖父だったし、頼まれごともされたことがないので驚いた。

僕が手品を趣味にしていて、長女の保育園でマジックショーをしたことを聞き、通っているデイサービスセンターで孫の手品を披露したいと思ったようだ。

当時のぼくのマジックショーはさんざんなものだった。
趣味で知り合い数人に見せるトランプ手品と、ボランティアで大勢の他人に見せるマジックショーは全く別物。

それでもセンターの高齢者のみなさんは喜んでくださった。
保育園の幼児のように。

高齢者と幼児は似ている。

そのデイサービスセンターには、祖父が亡くなったあとも何度か行かせていただいた。

僕の手品がウケているのを見て満足そうな祖父の姿。
もう見られない思い出。
仕事帰りの妻をまちわびて家の前で待っていたことがある。
長女を肩車して。

夜、帰ってくる妻の顔を見るのが、本当に待ち遠しかった。
専業主夫の当時、それくらい孤独だった。

妻からの帰るメール、着信から25分で帰ってくる。頃合いを見計らって家を出る。
なかなか着かなかったら、妻の車が走ってくる方向に向かって歩き出す。

車道まで出て、妻の車のライトが見える。

僕が手を振り、だっこの長女の手を振らせて妻の車を止める。

50メートルの距離を3人で車で帰る…

つらかったんだか、しあわせだったんだか、よくわからない思い出。
主夫になって2週間後、ひとりで出かける機会を得た。

妻に赤ちゃんをみてもらい、映画を観に出かけた。
久々にひとりで乗ったスクーター、運転する肩の軽かったこと!

家でひとりで赤ちゃんの世話する親は、知らず知らずのうちに大きな責任を負い、その重圧を受けて生活している。

自分が世話をしないと死んでしまう命に責任を持つということ。
これはやったことがないと想像がつかないかもしれない。

世話そのものも大変だけど、それ以上に重いのが責任だ。

赤ちゃんの世話は目に見えるしんどさ。そして目に見えるかわいさや楽しさもある。
でも赤ちゃんの命を守る責任、その重圧は目に見えない。

そのかかっていた重圧を実感したのが、スクーター上の肩の軽さだった。
世間の「母親」をあらためて尊敬した。

そのときに見た映画は北野武監督の座頭市。

劇中のタップのリズムが楽しかったことをめっちゃ覚えてる。
浮かれて財布を落としたことも。


僕は父と遊んでもらって楽しかった記憶はほとんどない。

遊びに連れていってもらったことはある。
でもそれは父が好きなキャッチボールと釣りとラグビー観戦。
残念ながら、僕はどれも好きじゃなかったし、父のペースでつまらなかった。

でも、父以外のおじさんと遊んでもらって楽しかった記憶はたくさんある。

叔父には海水浴に。
向かいのおじさんには巨大迷路に。
ナナメ向かいのおじさんにはスキーに連れていってもらった。

大雪の日、これもナナメのおじさんと、ひたすら雪合戦をしたことを覚えている。

ナナメのおじさんがパソコンを買ったとき「信長の野望」をさせてもらったことを覚えている。
毎週末に晩ご飯まで中学男子に居座られて、迷惑やったと思う。

と、書いているウチに父との思い出もよみがえるもので、毎年夏に連れていってくれた愛宕山登山。
これはちょっと楽しかったような気がする。
父は僕にとって反面教師。
これは人格のことではなく、家庭の父親としてのこと。

父は仕事をがんばってた。地域活動もがんばってた。

仕事は大企業の工場作業員から小さなお守り会社の営業に転職し、全国を走り回って活躍していたようだ。
地域ではいくつも役をやり、人望も篤かったそうだ。

ようだ、そうだというのは、子どもだった僕にはわからなかったからで、これらは大人になって家を出てから知ったこと。

父は仕事と地域活動にはいたけれど、家にはいなかった。
父と遊んで楽しかった記憶はほとんどない。

僕が子どもの頃の父のイメージ。
家でごろんと横になってビール腹をい畳に垂らしてテレビで阪神戦をみてる。

それでも父が嫌いではなかったし、こんなもんだと思ってた。
でも、自分が父親になったとき、手本にしようとは思わなかった。

そんな父も退職し、シルバー人材センターから派遣のアルバイトも終わって時間ができた。

先日、保育園のボランティア体験に同行した。
父は5歳の女の子3人のお絵かきに30分間付き合ってた。

「かわいいねん。ひとなつっこい子やってん」

我が子と遊ばなかったし、我が孫と遊び方がわからないと言ってた父が変わりつつある。

変われる父を尊敬する。