主夫のコラム〜家事と育児とときどき手品〜 -11ページ目

主夫のコラム〜家事と育児とときどき手品〜

主なしごと
・主夫
・くじら保育園園長
・NPO法人ファザーリング・ジャパン関西副理事長


座右の銘
「笑ろてるパパがええやん!」
「いきあたりバッチリ」
「無限多様性の調和」

フェイスブックnoriaki.wada
ツイッターnontapapa

女性に対して「主夫です」と伝えるとほめられることが多い。
「男性なのに家事育児をするなんてえらい」と。
やってることは一般の主婦といっしょなのに。

妻が女性に対して「夫が主夫です」と伝えると怪訝がられることがしばしばある。
「夫に家事育児をさせてあんたは何やってんの?」という感じ。
やってることは一般の夫と同じなのに。

主婦が家事育児をしてほめられることはないし、夫が働いているだけでほめらることはない。

「主夫です」に対して、男性からは違う反応を受ける。
僕には「妻に稼いでもらって男としてどうなん?」
妻には「夫が家事育児…ふーん」(ここは無関心が多い。想像がつかない男性が多いのかな)

話は変わる。
2010年に大阪市で起きた二児育児放棄死亡事件。最後に二児を残して部屋を出た母親はさんざんテレビや雑誌・ネット上で叩かれた。
まるで人間ですらないかのように。

でも、あの母親は結婚して二児をもうけたのだ。
離婚はしたけれど父親はいた。父親は母と子の厳しい状況を承知していた。
承知の上で無視していた。

なのに、父親の責任を問うような言説はテレビにも雑誌にもネット上にも全くなかった。
同じ「親」なのに。

僕の中で主夫に対する個人の反応と育児放棄事件への世間の反応、この2つはつながっている。

世間の「空気」。
こうしか言いようのない物の中で僕たちは生活している。

で、冒頭の主夫に対する反応(好意的なもの非好意的なものも含めて)はほとんどが、初対面など関係性が薄い人からのもの。

親しくなった人(友人・仲間・親族)は主夫をあたりまえとして受けて止めていて、えらいも何もない。

「空気」に対抗できるのは、近い距離の人間関係しかないのかもしれない。
夫婦関係はその最たるもの。


ウチの子育ての目的は、子どもが二〇歳になるまでに「親からの自立」と「社会との調和」ができるようにすること。

長女は人見知りで引っ込み思案。
子育ての目的を定める前、僕は長女が大人に挨拶できない場面に遭遇するたびにこう言っていた。

「ちゃんと挨拶せなあかんやん」

でも、長女が5歳のころ子育ての目的が定まり、僕は同じ場面で長女にこう言うようになった。

「挨拶するの恥ずかしかった?でもパパは挨拶はしたほうがいいと思うねん」

今、目の前の挨拶できなかった状況に注目しなくてもいい。
二〇歳までに挨拶ができるようになればいいと思うと寛容になれた。

ゴールを二〇歳としたことで僕は子育てがとっても楽になった。
長女も楽になったと思う。

長女は一〇歳で挨拶できるようになった。

この先はわからない。また挨拶しなくなるかもしれないし、二〇歳で親から自立できるかもわからないし、どんな大人になるかもわからない。

でもただただ、娘の成長を楽しみにしている。
「何でおれら子育てしてんにゃろ?」

長女が三歳のころ、ふと妻に聞いたことがある。
妻は即答した。

「子どもを自立させるためや」

ふんふん。一瞬納得した。
でも、もやもや釈然としない感じも残った。

釈然としない理由はいくつもあったけど、そのうちのひとつは自立という言葉のとらえかたについて。

妻は、子どもがひとりでも生きていけるように手に職をつけること、それを「子どもの自立」としていた。
はっきりしててわかりやすい。

でも自立とは「ひとりで生ること」なのか。手に職をつけることも大事だけど、ひとりで生きられない状況になったときに周りと助け合える能力も必要なんじゃないか。

それからいろいろあって今のうちの子育ての目標は、

子どもが二〇歳になるまでに「親からの自立」と「社会との調和」ができるようにすること。

となった。

二〇歳になったら娘たちを家から出す。これは夫婦で共通している。
4歳当時の甥、弟が産まれるので実家にあずけられていたことがある。
甥は軽度の発達障害。多動の傾向あり。

さぞかし退屈しているだろうと遊びに行った。

半日だけだったけど、ひたすら甥と遊んだ。
公園で滑り台、河原で鳩を追いかけ、家で手品。求められるままに何回もウサギの人形をワープさせる…

夕食後、コテンと寝た。

あとで聞くと父母ともにヤンチャな男子に手を焼き、夜も寝ないことに困っていたそうだ。

「じっくり向き合って遊んでもらえたから寝られたのかもしれんな」
母が言った。

半日向かい合って遊ぶなんて簡単なこと。
でもその簡単なことを得られない人がいる。

そして発達障害の子どものような弱者は、そういう状況におかれやすい。

大人の場合、15分だけでもじっくり話を聞いてもらえるだけで救われることがある。
だけど15分話を聞いてくれる相手がいない人がいる。

誰がいい悪いじゃい。

だけどその状況はある。
祖父は102歳で亡くなった。
先に祖母が亡くなってから20年生きた。

僕は祖父が好きだった。
明治男であんまりしゃべらなかったけど、横にいるのが好きだった。

小学校高学年の頃、祖母が旅行に出かけて祖父が独り留守番している家に、独りで泊まりに行ったことがある。

穏やかな一晩だった。

孫と関わるのに、話すとか遊ぶとかいろいろ方法はある。
だけど静かに一緒にいるというだけで伝わるものはある。

見えないものも伝わっている。

僕の中に残っている祖父は、静かだけど毅然とした態度。
それと、しわしわ・ざらざらの手の甲。
それは気持ちいい感触だった。

亡くなる3週間前、病院で0歳の次女を祖父と触れあわせることができた。

祖父の最後のピース写真として残ってる。
次女に何か伝わったかはわからないけど、祖父は次女を感じてくれた。