結婚当初、ウチに遊びに来た中学生の姪。
皿洗いをしている僕に、
「のりくん、かわいそう」
と言った。
姪の家庭は専業主婦と企業戦士。
家のことは母親がすべてやる家庭だった。
僕がお皿を洗ったり、来客にコーヒーを淹れたりしているのを見て、家との違いに驚いたそうだ。
その姪が高校生になったとき、家庭での男女の役割がテーマの授業があった。
「家事は男性と女性、どっちがやったほうがいいと思うか?」という問いに、
クラスのほとんどが「どちらかといえば女性」と答える中、
姪だけが「どっちでもいい」と答えたそうだ。
姪の回答に和田家での経験がどれくらい影響しているのかはわからないし、
僕は専業主婦と企業戦士の家庭でもいいと思ってる。夫婦で納得してさえいれば。
姪は立派に成長して社会人になっている。
保育園に子どもを送迎するときに保護者であることを証明する保護者札、というものがある。
保護者札を家を出るときに鞄やポケットに入れて、保育園の門についたら首にかける。門からでたらはずす。
これが多くのパパママのセオリーのようだ。
僕は家を出るときから首に札をかけ、保育園に送迎して家に帰るまでかけっぱなしだった。
バイトに直行するときは、かけっぱなしのままバイト先に到着する
こともあった。
いちいち鞄やポケットから札を出し入れするのが面倒くさかったから。
でもそのうち、札をかけっぱなしで送迎するうちにその効果に気づいた。
札をかけっぱなしにしたほうが、自分から他人に会釈をしやすいのだ。
買い物などで札をかけずにあるいているときよりもはるかに関係性が薄い相手にまで会釈をする傾向が強い。
そして、会釈を返してもらえる、相手から会釈をしてもらえる確率も高い。
同じ保育園の保護者はもちろん、みどりのおばさん・おじさん、そして通りすがりの人まで。
よくすれ違う通勤中の忙しそうなおじさんでも、繰り返し会釈をするうちに、会釈を返してくださるようになるのだ。
保護者札は自分はこういう人であると無言で証明できることで、自分の自信になる。
会釈された相手にとってもある種の安心材料になる。
今、娘たちの小学校に行く時、保護者札(PTA札)を忘れていくことが多い。
札がなくても会釈のやりとりができるようになったから。
やっぱり面倒くさがりである。
保護者札を家を出るときに鞄やポケットに入れて、保育園の門についたら首にかける。門からでたらはずす。
これが多くのパパママのセオリーのようだ。
僕は家を出るときから首に札をかけ、保育園に送迎して家に帰るまでかけっぱなしだった。
バイトに直行するときは、かけっぱなしのままバイト先に到着する
こともあった。
いちいち鞄やポケットから札を出し入れするのが面倒くさかったから。
でもそのうち、札をかけっぱなしで送迎するうちにその効果に気づいた。
札をかけっぱなしにしたほうが、自分から他人に会釈をしやすいのだ。
買い物などで札をかけずにあるいているときよりもはるかに関係性が薄い相手にまで会釈をする傾向が強い。
そして、会釈を返してもらえる、相手から会釈をしてもらえる確率も高い。
同じ保育園の保護者はもちろん、みどりのおばさん・おじさん、そして通りすがりの人まで。
よくすれ違う通勤中の忙しそうなおじさんでも、繰り返し会釈をするうちに、会釈を返してくださるようになるのだ。
保護者札は自分はこういう人であると無言で証明できることで、自分の自信になる。
会釈された相手にとってもある種の安心材料になる。
今、娘たちの小学校に行く時、保護者札(PTA札)を忘れていくことが多い。
札がなくても会釈のやりとりができるようになったから。
やっぱり面倒くさがりである。
保育園初懇談会での妻のぶっちゃけ自己紹介の一年後。
保育園保護者会の役員にあたった。
同じクラスのママ友・パパ友には主夫であることは知られていた。
だけどなぜか他のクラスの保護者会役員には主夫であることを伝えることができなかった。
「和田さんってパパが毎日送迎されてすごいですね」
「…うちは妻のほうが長い時間働いてますから…」
ま、嘘じゃない。
当時、映画館でアルバイトをしていた。
その映画館に保護者会の役員ママがお客でいらっしゃったとき、僕は一瞬身を隠した。
アルバイトであることが恥ずかしかったのかも知れない。
誰にでも堂々と「主夫です」と言えるようになるまでは主夫になってから丸二年かかった。
世間の空気に縛られていたんだろう。
いや、それ以上に自意識で自分を縛ってたんだろう。
と、いうのは今だから言えること。縛られて、縛っている間は自覚がない。
保育園保護者会の役員にあたった。
同じクラスのママ友・パパ友には主夫であることは知られていた。
だけどなぜか他のクラスの保護者会役員には主夫であることを伝えることができなかった。
「和田さんってパパが毎日送迎されてすごいですね」
「…うちは妻のほうが長い時間働いてますから…」
ま、嘘じゃない。
当時、映画館でアルバイトをしていた。
その映画館に保護者会の役員ママがお客でいらっしゃったとき、僕は一瞬身を隠した。
アルバイトであることが恥ずかしかったのかも知れない。
誰にでも堂々と「主夫です」と言えるようになるまでは主夫になってから丸二年かかった。
世間の空気に縛られていたんだろう。
いや、それ以上に自意識で自分を縛ってたんだろう。
と、いうのは今だから言えること。縛られて、縛っている間は自覚がない。
妻が最初の産休・育休だったとき、仕事から帰宅した僕に、めっちゃしゃべりかけてきてたのを覚えている。
なんでこんなにテレビの話やら、誰からお祝いの電話もらった話やら、買い物の牛乳が重い話やらをとりとめもなくするんやろう?
わからなかった。
でも、自分が主夫になり乳児の世話を担ってからわかった。
昼間に話し相手がいないのだ。
妻の話し相手は基本的に仕事から帰った夫だけ。
乳児の母親の多くはそうなのだ。
僕が主夫になった当初、仕事帰りの妻にめっちゃしゃべりかけたらしい。
「こんなにしゃべりの男やとは思わんかった」
妻が呆れるくらい。
どちらかといえば無口な夫だったのに、今はとりとめない話をだらだらして。
普通に社会で働いていれば、自然にたくさんしゃべる相手や機会がある。
これはすっごく大事。人にとって必要なことだ。
そして恵まれているということでもある。
が、恵まれている間はそれが大事で必要なことであることに気づけない。
人は失ってみてはじめて、それが大事で必要なことであると気づくのだ。
逆にいえば、失ったことのない人は失った人の状態を想像しにくいのだ。
でも、いつもそばにいる家族なら、それに気づけるはず。
「のん、顔が死んでるで」
と言ってくれた妻のように。
乳児のいる夫婦で、いちばん大事で必要な存在になれるのは誰か?
なんでこんなにテレビの話やら、誰からお祝いの電話もらった話やら、買い物の牛乳が重い話やらをとりとめもなくするんやろう?
わからなかった。
でも、自分が主夫になり乳児の世話を担ってからわかった。
昼間に話し相手がいないのだ。
妻の話し相手は基本的に仕事から帰った夫だけ。
乳児の母親の多くはそうなのだ。
僕が主夫になった当初、仕事帰りの妻にめっちゃしゃべりかけたらしい。
「こんなにしゃべりの男やとは思わんかった」
妻が呆れるくらい。
どちらかといえば無口な夫だったのに、今はとりとめない話をだらだらして。
普通に社会で働いていれば、自然にたくさんしゃべる相手や機会がある。
これはすっごく大事。人にとって必要なことだ。
そして恵まれているということでもある。
が、恵まれている間はそれが大事で必要なことであることに気づけない。
人は失ってみてはじめて、それが大事で必要なことであると気づくのだ。
逆にいえば、失ったことのない人は失った人の状態を想像しにくいのだ。
でも、いつもそばにいる家族なら、それに気づけるはず。
「のん、顔が死んでるで」
と言ってくれた妻のように。
乳児のいる夫婦で、いちばん大事で必要な存在になれるのは誰か?
3/31付けで仕事を辞し、4/1から専業主夫になった。
生後6ヶ月と赤ちゃんと2人の昼間がはじまった。
3/31と4/1で一番変わったこと。
それは、話し相手の有無。
3/31までは、職場にいけば日本語の通じる仕事仲間がいた。
ときには業界用語を使ったり、趣味の話やバカ話もできた。
4/1から僕の相手は6ヶ月の赤ちゃん。
可愛いけど、話し相手にはならない。
仕事帰りの妻にはめっちゃしゃべった。
だけど、それでも昼間に話し相手がいないことに変わりはない。
最初の1週間で煮詰まった。
でも、自覚はなかった。
妻が言ってくれないと気づかなかったかもしれない。
「のん、顔が死んでるで」
妻が休みの日、ひとりでリフレッシュしといでと送り出してくれた。
赤ちゃんと離れる時間が必要やったんや…
こんな簡単なことが自分では気づけなかった。
育児に対する責任感、まじめだった。
生後6ヶ月と赤ちゃんと2人の昼間がはじまった。
3/31と4/1で一番変わったこと。
それは、話し相手の有無。
3/31までは、職場にいけば日本語の通じる仕事仲間がいた。
ときには業界用語を使ったり、趣味の話やバカ話もできた。
4/1から僕の相手は6ヶ月の赤ちゃん。
可愛いけど、話し相手にはならない。
仕事帰りの妻にはめっちゃしゃべった。
だけど、それでも昼間に話し相手がいないことに変わりはない。
最初の1週間で煮詰まった。
でも、自覚はなかった。
妻が言ってくれないと気づかなかったかもしれない。
「のん、顔が死んでるで」
妻が休みの日、ひとりでリフレッシュしといでと送り出してくれた。
赤ちゃんと離れる時間が必要やったんや…
こんな簡単なことが自分では気づけなかった。
育児に対する責任感、まじめだった。