「夫が私のことを理解してくれない」「家事育児の大変さをわかってくれない」
多くの妻が夫に抱く不満だ。
その不満を知り、妻のために、もしくは妻の不満から我が身を守るために、家事育児を手伝う夫もいる。
この記事では夫の動機は問題にしない。
なぜなら、動機がどうあれ作業を手伝ってみても、相手のことはほとんどわからないからだ。
下手をすれば「わかったつもり」になってしまって、理解がそこから先に進まなくなってしまう恐れもある。
こっちを問題にしてみる。
わかりやすい例が妊娠だ。
妊婦体験という行政のプレパパママ講座などで多い催しがある。
妊婦のお腹の重さを模した重りが入った妊婦ジャケットを身につけて、妊婦の大変さを体感しようという試み。
僕は悪くないと思う。
しかし一部の妊婦さんからかは、
「数分つけたくらい何がわかる」「妊婦のつらさは身体の重さだけじゃない」「これくらいでわかったつもりになるならやらないほうがマシ」
なんていう酷評も出ている。
「わかる」と「わかったつもり」の境目。
そのキーワードは「継続性」と「責任感」だ。
妊婦ジャケットを家に持って帰り、数週間つけたまま家事をこなせば、だいぶん妊娠中の妻の体験に近づくだろう。
それでも、お腹に命を宿しているという責任感までは体験できない。
妻と同じ体験をするよりも、動ける夫は動いて、動きにくい妻のサポートをしたほうがはるかに役に立つ。
本当に妻を「わかる」ことなんてできない、という前提から関係を始める。
そして「わかろうとする」ことを続ける。
逆説的だけど、それが「わかる」に近づく唯一の道。
※主夫になってはじめてわかった主婦のこと 中村シュフ 猿江商會
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